第33話 狩人に目をつけられた俺
体育祭も無事に終わり、
校内にはまだ、どこかふわふわとした空気が漂っていた。
「はぁ……体育祭……あ〜……終わった……終わってしまったな……」
やりきった満足感や楽しさも、もちろんある。
けれどそれ以上に――
周りに大きな迷惑をかけず、最後まで乗り切れたという安堵感のほうが強かった。
「人間、やればできるもんだな……うん。俺は、頑張った!」
誰に聞かせるでもなく、
一人でぼそぼそと呟きながら、自分自身を褒める。
……たまには、いいだろう。
俺はスマホを手に取り、クラスのグループアルバムを開いた。
「みんな、色々撮ってるなぁ……」
全力で走る生徒。
笑顔でゴールテープを切る生徒。
ダンスパフォーマンスの一瞬を切り取った写真。
うーむ……俺、あんまり写ってないな。
まあ、積極的に写真を撮ったり、撮られたりしていたわけでもないし
こんなものか。
そう思いながら、画面をスクロールする。
そして――
アルバムには載っていない、自分のフォルダを開く。
そこにあったのは、一枚の写真。
白石さんと並んだ、チア姿のツーショット。
「むふふ…俺には……これがあるから、いいや……」
思わず、頬が緩む。
誰にも見せるつもりはない。
体育祭の喧騒が遠ざかっていく中で、
胸の奥に、そっと残る
小さくて、大切な一枚だった。
「ゆかっち〜! 今日の放課後、空いてる?」
……ということで、今日も今日とて、
真桜さんは当たり前のように声をかけてくる。
「あ……うん。一応」
「それじゃあさ!
部活とか諸々終わったら、プチ打ち上げしよ!」
「プチ打ち上げ……?」
「ファミレスでご飯食べるの!結構楽しいよ!」
「ファミレス……か……」
言葉に詰まった俺を見て、
真桜さんはすぐに察したように笑った。
「あ〜、しんみり禁止!
ゆかっち、そろそろ前向いてこ!」
……流石だな。
俺が「ファミレスに行ったことがない」とか、
そこにどんな思い出があるかを語り出す前に、
もう全部わかってるみたいな言い方だ。
こんな気遣い、
普通にできるものじゃない。
「あ……そうだね!
わかった! 私、放課後は特に用事ないから、
適当に時間つぶして待ってるよ」
「りょー!」
軽い返事。
でも、その裏にはちゃんとした優しさがある。
一緒に、ファミレス。
そうだ!そろそろ苦い思い出も、
“いい思い出”で上書きしていってもいい頃だ。
そう思えた自分に、
少しだけ驚きながら、
俺は放課後を待つことにした。
そして、放課後。
生徒たちはそれぞれ、部活やレッスンへと向かっていった。
――体育館。
「はーい、走り込み終わり!
最後にチーム分けして、ハーフコートでゲームするよ」
顧問の声に従い、バスケ部員たちが素早く動く。
三対三に分かれ、模擬戦が始まった。
キュッ、キュッ――
体育館に、シューズが床を擦る音が響く。
「神崎さん!」
部員が神崎に向かってパスを投げる。
……が。
「あ……」
一瞬の判断遅れ。
ボールは指先をすり抜け、相手に叩き落とされた。
「…………はぁ」
短く、深いため息。
「神崎さん……大丈夫?」
「ごめん。今日、ちょっと調子悪いかも」
「あ、うん……気にしないでね」
(……こ、怖……いつも以上に、機嫌悪そう……)
表情を変えずにコートに立ち続ける神崎。
だが、その胸の内はざわついていた。
(……ダメ。全然、部活に集中できない)
(あの時のせいだ……絶対)
無意識のうちに、脳裏に浮かぶ光景。
倉庫裏。
翔と、見知らぬ女子。
親しげな距離。
彼女の名前は、神崎天音。
私立白鳳学園――女子バスケットボール部のキャプテンでありエース。
ダークレッドのセミロングヘアを高めのポニーテールに結び、
コートに立てば誰もが目を奪われる存在だ。
運動神経は抜群。
容姿も、あの真桜に負けず劣らず整っている。
性格は強気で、やや傲慢。
勝ち気で負けず嫌い。
周囲にも自然と強く出るタイプ
……だが。
意中の翔の前に立つときだけ、
その態度は一変する。
声は少し柔らかくなり、
視線は上目遣いになり、
まるで子猫のように甘えた表情を見せる。
彼女は、自分でも自覚している“二面性”を持っていた。
そして今――
その神崎の心は、大きく荒れていた。
(……今までだって、翔くんが女子と話すことはあった)
(正直、どいつもこいつもしょうもない女ばかりだけど)
(それでも翔くんは、ちゃんと対応してた。
丁寧だけど、どこか事務的で……私に対しても、そう)
(それなのに……)
脳裏に浮かぶのは、
体育祭の倉庫裏で見た光景。
(……たまたま見かけただけの、あの女子)
(真桜ちゃんのクラスの子……?それとも転校生……?)
(――あの子と話してる時の翔くん……)
(……あんな笑顔、見たことない。なんで……?)
「はぁ……気分わる……」
吐き捨てるように呟き、
神崎は部活を終えて部室で着替える。
あまりにも露骨な不機嫌さに、
同室している女子部員たちの空気が一斉に強張った。
誰も、余計なことは言わない。
「……じゃ、私、先帰るから」
短くそう言い残し、
神崎は少し強めに扉を閉めて部室を出ていった。
バン、と響いた音が、
彼女の荒れた心情をそのまま映しているかのようだった。
イライラを胸の奥に押し込めたまま、
神崎天音は校門へ向かって歩いていた。
(……ほんと、最悪)
体育祭の後だというのに、
胸の中は一切晴れない。
そんな時――
校門付近で、やけにうろちょろしている女子が一人、視界に入った。
ーーーー
「あ〜……時間つぶすって大変だな……
というか俺……友達、少ない……」
スマホを片手に、独り言をこぼしながら歩くその姿。
偶然にも
神崎の不機嫌の“根幹”とも言える少女が、そこにいた。
「そろそろ、真桜さんか桐谷さん来るかな……
ファミレス、楽しみだな……!」
俺は校門前でソワソワしながら、
みんなが揃うのを心待ちにしていた。
その時――
「ねぇ、ちょっといいかな?」
「…!?……あ、はい……どうしました……?」
振り返った瞬間、
血の気が一気に引いた……
神崎……さん……?
男だった頃、同じクラスだった人。
俺を“ドブを見るような目”で見てきた人――。
(やばい……怖い……)
「ちょっとね。私、体育祭が終わったあと、話したい人がいて……その人を探してたの」
「……は、はい」
「それで、倉庫裏でやっと見つけたんだけど」
「……あなたと、楽しそうに話してるのを見ちゃって。
声、かけづらくてさ」
「……え、えぇ……?」
「ねぇ、あなた……翔くんの知り合い?」
…………え、えええええ!?
なに??その表情…!怖い!!
笑顔なのに、絶対零度のような目線…!!
頭の中が一気に真っ白になる。
翔に気があるのは、遠目にも分かってた。
だからこそ、翔は倉庫裏へと呼んでくれたんだ…
余計なトラブルを生まないために
でも、よりにもよって
一番見つかっちゃいけない人に見つかってる。
うわわわ!!!翔!!助けて!!
今すぐ来て!!まじで!!助けて下さい!
「え、えっと……い、一応……幼馴染で……
翔の会社の社員の娘……でして……」
「……翔?……呼び捨て、なんだ」
「あ……っ!」
やばい…やばいやばいやばい!!
ドブを見る目のほうがまだマシだった!!
あれは“無関心”だった!!
今のこれは獲物を見る目だ。
浮かれてた罰か…?
さっきまで青春だなんだって思ってたのに……詰んだ……
「随分……距離、近いんだね」
言葉は淡々としているのに、
圧がすごい。
俺は、もう何も返せなかった。
男の頃から「怖い人」だとは思ってた。
でも、同性になった今は―
その恐怖が、倍どころじゃない。
(そんなつもりじゃ……ない)
そう言いたい。
でも――
倉庫裏で、コソコソ話してたところを見られている以上、
下手な言い訳は、火に油だ。
(どうする……?どうすればいい……?)
――その時。
校舎の方から、救いの声が響いた。
「ゆかっち〜〜!!
遅れてごめんね!お待たせ――」
勢いよく近づいてきて、
そして、ぴたりと足を止める。
「って、あまねっち?」
「……真桜ちゃん。お疲れさま」
空気が、静かに張り詰めた。
俺は、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
「……真桜ちゃん。この子と、知り合い?」
――俺にとっては、
返答次第で死亡ルートになる質問だった。
(やばい。ここで変な答え出たら終わる……)
だが――
そんな俺の生死など露知らず、
いつも通りのテンポで真桜さんは答えた。
「そうだよ〜!私の兄ぃの会社の社員の子!」
(!?)
「小さい頃から社内でちょくちょく会ってたから、
自然と仲良くなったって感じ!
だよね? ゆかっち?」
「……あ!う、うん! そう!」
必死に頷く俺。
「それでね、ちょっと訳ありで高校行けてなくてさ。
私たちの紹介でここに来たわけ!私、すごく嬉しかったんだ〜!」
なんて回避性能の高い説明。
普段のノリで忘れがちだけど、
この人、神宮寺家の人間だった。
成績も優秀だし、瞬時の判断力も優れてる。
「……そうなんだ。いいなぁ、幼馴染」
神崎さんの声から、
さっきまでの刺すような圧が、わずかに抜けた。
(……助かった?
これ……生き延びた……?生存ルート…??)
「あまねっちは、兄ぃ待ち?
兄ぃなら今日は会社にいるけど、呼ぼうか?」
「いや、いいよ翔くんに迷惑かけたくないし。
それに今日は……その子に用事があっただけだから」
「なるほどね!」
「じゃあ、私は帰るね!
またね、真桜ちゃん!……それに、ゆかっち!」
ドクンッ――
胸の奥で、心臓が大きく跳ねた。
「またね〜!」
「……う、うん。また……」
そう返した声は、我ながら少し上ずっていた。
神崎天音は、校門へ向かって歩きながら、内心で舌打ちする。
(……ふーん。幼馴染ね。そういうのいたんだ知らなかった)
(ムカつく。それに……なんだろう。初めて見たはずなのに、やけに馴染みのある顔)
(気のせい?……いや、なんか引っかかる)
釈然としない感覚を胸に残したまま、
彼女の姿は校門の向こうへと消えていった。
ーーーー
その背中が完全に見えなくなった瞬間。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
俺はその場に崩れ落ちた。
膝から一気に力が抜ける。
「あわあわあわあわ……!!」
「おお、すごい顔」
「こ、こわかった……!!ありがとう!!真桜さん!!」
心底そう思った。
今のは、マジで死線だった。
「いいよ〜。なんとなく、変な空気っぽかったし」
真桜さんは軽く笑いながら言う。
その笑顔に、
俺はようやく――生き延びた実感を噛みしめていた。
肩をすくめながら、真桜さんは続ける。
「ゆかっちもさ、
なかなか面倒な相手に目つけられちゃったね〜」
「ううう……俺、何もしてないのに……」
体育祭が終わって、
少しだけ前を向けたと思った矢先――
理不尽な人間関係に巻き込まれてしまった。




