第3話 新しい名前、新しい制服、そして新しい日常
あれから一週間。
俺は特に問題もなく検査を終え、無事に退院することになった。
真桜さんにはトイレのことからスキンケアまで、一通りの“女子の基本”を叩き込まれた。
構造が男の頃とはまるっきり違うから、今でも慣れないことばかりだ。
スキンケアは必須、ムダ毛処理も必須。チリチリとすれば即剃る。三日と放置してはいけないらしい。
俺からすれば「腕毛なんて誰も気にしないだろ」と思うんだが……。
「はぁ……風呂上がりの作業多すぎる。いっそ髪、切っちまいたいな。」
そんな愚痴をこぼしながら、新しい住居へ足を運ぶ。
社宅を丸ごと貸してくれるらしく、案内された部屋の扉を開けた。
ガチャ――。
俺だけの部屋。
男の頃にも“自分の部屋”はあったな。
当時の俺にとっては、唯一安堵できる空間だった。
翔と遊んでいない時は、ひたすらゲームとパソコンに没頭して時間を潰す日々。
ふと記憶に浸ると、胸の奥からじわりと寂しさが込み上げてきた。
俺があれほど孤独に浸っていたというのに……両親は何一つ気に留めてくれなかった。
モヤモヤとした思考が渦を巻いていると――。
ピンポーン。
この部屋に来て初めての訪問者。
……誰だ?モニターを覗く。
「……!?」
「裕貴くんか。退院おめでとう。」
背筋が伸びる。
俺は慌てて部屋に迎え入れた。
「!? え、えっと……社長……?」
神宮寺聖十郎さん…
あの実験以来、姿を見ていなかった人物だ。
「そうだ。まずは改めて、協力してくれたことに感謝する。」
社長は深々と頭を下げた。
「い、いえ! そんな……!」
「いや、これくらいは当然だ。それと今後の君だが……まずは通帳に五百万円を振り込んでおいた。存分に使ってくれ。それと、これも。」
差し出されたのは、光沢のあるブラックカード。
「これ……は?」
「君専用のクレジットカードだ。多少コネを使わせてもらったが。遠慮なく使ってくれて構わない。」
「は、はは……ありがとうございます……」
俺にとって、一万円ですら大金だった。
五百万なんて、牛丼何杯食えるんだ?としか思えない。
「“被験者”なんて呼びたくはないが……君のデータは、私や会社にとって本当に貴重なものだ。これくらいの報酬では安いくらいだよ。」
俺も一度でいいから「五百万なんて安い」と言ってみたい。
「それと……君の家庭事情も聞いた。本当に大変だったね。ここでは私を親だと思ってくれればいい。親の愛がないというのは辛いものだろう。私は忙しい身だから、なかなか顔を合わせられないかもしれないが……協力できることがあれば遠慮なく言ってくれ。」
「あ……いえ、そんな……」
「翔も真桜も、君を友達だと言っていた。私も君を誇りに思っている。複雑な言い方かもしれないが……君にも愛情を注ぐつもりだ。」
その言葉を聞いた瞬間、目頭が熱くなった。
愛情が伝わるそれだけで、こんなにも胸が満たされるのか。
辛いことを辛いと言える相手がいる。それがどれほど心強いことか、今になって知った。
「う……すみません……! 俺、こんなこと言われたの……初めてで……」
「うん。泣いていいんだよ。男だとか女だとか、そんなことは関係ない。感情は素直に出せばいい。」
聖人の親もまた聖人だった。
実験を受けてよかった。そう思えるくらいには、この言葉に打たれていた。
社長が部屋を去り、俺だけがぽつんと残された。
部屋は十畳ほどの個室。
家電は最低限揃っていて、さらに風呂、トイレ、そして寝室まで完備されている。
都会でこのレベルを借りようとしたら、どれだけの家賃になるんだろう。
極秘実験に志願したとはいえ、これは破格の待遇だ。
ベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を見上げる。
「今後……どうするかなぁ。」
そんな独り言をつぶやいた時だった。
ピンポーン――。
再びチャイムが鳴る。
モニターを覗くと、そこには見慣れた顔。
「引っ越し祝いしようぜ、裕貴!」
「おっつ〜。ゆーくん、入れて〜!」
神宮寺兄妹だった。
相変わらずのテンションに、思わず肩の力が抜ける。
少しホッとしながら、二人を部屋へ招き入れた。
「へ〜、結構広いじゃん、この部屋。」
「まぁ……お前の部屋に比べたら全然狭いけどな。」
「そういう生々しいこと言うなって。ほら、軽い食べ物と飲み物持ってきたぞ。」
「私も色々持ってきたよ〜!」
大きなリュックを置く真桜さん
「二人とも……ありがとう。」
真桜さんの荷物は気になるが後にするとして
テーブルに並べられた軽食を囲んで、三人で小さな引っ越し祝いを始める。
たった一週間ぶりなのに、やっぱりこの空気は落ち着く。
「裕貴、今後はどうするつもりなんだ?」
「あ〜……俺も考えてはいたけど、正直わからない。社長や医者からは生活は保障するから、好きにしていいって言われてるし。」
翔は少し間を置き、真剣な顔で切り出した。
「……それなら。学校に戻るのはどうだ? 元の学校に、転校という形で。」
「!? いやいやいや!そんなの色々と面倒だろ!」
「書類関係の段取りは全部こちらで引き受ける。最後の高校生活を一年も過ごせないなんて、あまりにも勿体ないだろう。」
「……いや、それは“前野裕貴”としては名残惜しいけど、今の俺は……女なんだぞ?」
「いいじゃん、ゆーくん。私も一緒にいるんだし。学校戻れば色々都合いいよ?」
「神宮寺さん……いやでも、元男が女子更衣室やトイレとかって……」
「いいんじゃない?私の裸見ても照れてるだけだったし〜。ね、兄ぃ?」
「…………は?」
思わぬ爆弾発言に、俺は硬直した。
「……それなら問題ないな。真桜と風呂に入ってもそんな反応なら、大概の女子を見ても大丈夫だろう。」
(裕貴の制服姿……必ず拝ませてもらう。ここが交渉の肝だ……)
……おい翔、お前までかよ。
「えぇ!? ちょ、それは流石に……」
翔はまっすぐ俺を見つめ、言葉を続けた。
「裕貴……これは俺のわがままだ。お前がいないのは寂しい。また一緒にゲームしたいんだ。頼む。」
「私からも!大丈夫っしょ!私の友達いい人ばっかだし、最後の一年楽しもうよ、ゆーくん!」
「……二人がそこまで言うなら……」
正直、学校に戻りたいかどうかは微妙だった。
翔とは学校が違っても遊べるし、フリーターでもいいかとも思っていた。
だが、どうやら最後の高校一年は、想像もできないほど波乱に満ちたものになりそうだ。
「というわけで……これはお前の新しい戸籍と学生証だ。」
「……いや、もう準備してあったのかよ。」
「前川裕香……三年二組……これが俺の新しい名前か。」
「わーい!私と一緒のクラス〜!兄ぃ、淋しくなんない?」
「そんなガキじゃねぇ。俺は。」
(……正直、苦渋の選択ではあったがな。)
翔が補足するように口を開いた。
「裕貴、お前は一応、うちの社員の子供ということにしてある。極秘メンバーの一人だ。だから安心しろ。」
「あ、ああ……そりゃどうも。」
なんというか……意見を挟む余地なく、外側から全部固められていってる気がする。
「そんで私は〜!ゆーくんの制服と部屋着、持ってきた!」
「だからそんな大荷物……って、えぇ……」
「せっかくだから着てみなよ!サイズ合ってるかも分かんないし!」
「……っ!そうだな。明日の登校を考えても、シミュレーションは大事だ。俺は寝室へ行っておく。――着替えてくれ。」
(……真桜、ナイスだ。)
「ちょ、ちょっと待て!? ここで!?」
「うん、取りあえず脱ごっか。」
真桜はにっこり笑いながら、俺の動揺なんて一切お構いなしに迫ってきた。
ドタバタと真桜に急かされ、半ば強引に着替えさせられる。
スカートをはき、シャツに袖を通す。
見慣れたはずの制服、だがこれは女性用だ。
鏡の前に立つと、そこには小柄で制服を着こなした“女子”が映っていた。
「はは……お似合いだな……」
「ゆーくんいいじゃん! ぴったり!私のチョイス最高! 兄ぃ〜、入っていいよ〜!」
ドタドタドタドタッ!!!
カチャ……。
「……おう。取りあえず違和感はないな。」
「そ、そりゃどうも……」
「後は、できるだけ挙動不審にならないようにな。」
(あぁぁぁぁ!!!可愛い!!!再び見れた制服姿!!いや、今度は女装じゃなくて正装か!?
いい……その恥じらいの表情……あぁ、説得してよかった……!)
「はは……大丈夫かな、俺……」
「大丈夫大丈夫!しばらく私と一緒に行動すればいいんだって!」
なんというか……この兄妹、成績は優秀なのに、やけにノリで生きている部分もある。
いや、むしろ下手な学生より学生らしいというか……。
どうあれ、明日には転校だ。
5月から卒業まで俺はやりきれるんだろうか。
「じゃ、これからは“ゆかっち”って呼ぶね!」
「俺も裕香って呼ばないとな。しばらくは間違えるかもしれないが……早く馴染めるといいな。」
「あ、あぁ……そうだな。裕貴って呼ばれても振り向かないよう、俺も頑張るよ……」
「ゆーくん……じゃなかった。ゆかっち、それとこれ!」
「……!?」
真桜が手渡してきたのはナプキン。
一気に女としての実感が突きつけられる。
「これ……確かナプキンだよな?女性の……その、生理の……血がじわっと出たり、お腹がズキズキしたりするやつ……」
一瞬間が空く
「俺は男だから詳しくは分からんが……まぁ、軽い人もいるらしいな……」
「ねぇ兄ぃ、ゆかっちって彼女いたことなかったんだっけ?」
「……そうなんだよな。ゆう……裕香は悪くない。知らないことは罪じゃない。」
……なんだ?空気が一気に変わったぞ?
さっきまでノリノリで笑っていたのに、今は神妙になっている。
「んーとね、ゆかっち。血は“じわっ”じゃなくて、“ドバーッ”て出る時もあるんだよ。」
「……え?」
「あとね、ズキズキじゃなくて“ギリギリッ……!”って痛みの時もあるんだよ。」
「……えぇ……」
「とりあえず体調が変だと思ったらすぐ言ってね! 私がフォローするから!」
「あ……ありがと……う。」
……怖い。
さっきまで明るく笑ってた真桜さんが、目だけ死んだ笑顔に変わってた。
生理って、そんなに……恐ろしいのか。
翔が横から口を挟む。
「裕香、その辺は“女子高生の上司”である真桜に聞けば大丈夫だ。」
女子高生の上司……。
“初心者女子”と並んで、また新しい謎の造語が増えた気がする。
俺はただ、今後の自分の生活にますます不安を覚えるしかなかった。
時間は過ぎ、二人は帰っていった。
真桜さんは
「また朝迎えに来るからね〜」と笑顔で手を振っていた。
……なんでこんな俺にここまで気を遣ってくれるんだろう。
ありがたさと同時に、申し訳なさばかりが積み重なっていく。
「一週間ぶりの学校……いや、“前野裕貴”はどうなってるんだろう。アパートは……?」
知りたいことは山ほどあったが、疲労はピーク。
俺は布団に潜り込み、深い眠りに落ちた。
***
翌朝――。
ピンポーン!
インターホンの音で目を覚ます。
「……ん……7時!?早いなぁ……」
モニターを確認すると、そこには元気いっぱいの真桜さん。
「ゆかっち、おはよー!開けて〜!」
……相変わらず明るい。
けど、美少女がお越しに来てくれる朝ってのも、悪くない。
俺はとりあえず彼女を部屋へ入れた。
「ゆかっち〜、いよいよ初登校だよ!ワクワクするね!」
「あはは……今日は翔はいないのか?」
「兄ぃは忙しいんだよ。会社で研究の補佐してるからね。」
そういえば、いつも登校はギリギリだったっけ。
……高校生で研究補佐、ほんと規格外だ。
「というわけで、さっそくメイクするよ!」
「メ、メイク……?どれくらいかかるのかな?10分くらい?」
「今日は30分は欲しいかな。」
「えぇっ!?そんなに!?」
俺の叫び声に、真桜はケラケラと笑っていた。
「軽くなら十五分程度で終わるけど、今回は気合入れなきゃ!」
「ひ、ひぇ〜……」
真桜に椅子へ座らされ、メイクが始まった。
下地を塗り、コンシーラーで細かい影を隠す。ファンデーションを重ねると、肌が一気に均一に見える。
ビューラーでまつ毛を上げ、マスカラを軽くひと塗り。唇にはほんのり色が差されて……。
「……はい、できた!可愛い!!私、天才だわ!」
「これが……俺……?」
思わず漫画みたいなセリフがでた
鏡に映るのは、見慣れないほど整った“女子高生”の顔。
違和感と同時に、不思議な説得力があった。
「これで準備万端だね。……あとゆかっち、学校では俺ってあんまりいわないよにね」
「あ、そうだね……え、えっと、私……!」
「ぎこちな〜!朝から面白いな、ゆかっち!」
「うぅ……恥ずかしい……」
***
真桜に連れられて登校する。
スカートは風でスースーするし、肩まで伸びた髪が首筋をくすぐる。
歩くたびに胸が揺れ、内股に歩く時の何もない感覚がやけに意識に残る。
たった登校だけで、自分の身体が変わったことを嫌でも思い知らされていた。
***
三年二組の教室。
「えー、突然ですが転校生を紹介します。それではどうぞ。」
先生に呼ばれ、教壇の前へ立つ。
「ま……前川裕香です。よろしくお願いします……」
パチパチパチパチ!
温かな拍手に迎えられた瞬間、胸が少しだけ熱くなる。
こうして俺の女子高生としての新しい高校生活が、ついに幕を開けた。




