第21話 憧れの人と新しい共有
「というわけで、皆さん。くれぐれも気を抜かないように。――よい夏休みを!」
チャイムが鳴り終わるやいなや、教室は一気にざわめきに包まれた。
机を引く音、友達を呼ぶ声、笑い声。
待ちに待った長期休暇。
それだけで空気が軽くなったように感じる。
「ついに夏休みか〜!」
「海行こうぜ!花火も!」
クラスのテンションは最高潮だ。
俺もその中で、ちょっと浮き足立ちながら荷物をまとめていた。
(あ〜、ついにきたか……高校生活最後の夏休み)
桐谷さんは部活。
白石さんは音楽室でピアノの練習。
真桜さんと翔は、研究の準備で忙しいらしい。
……となると、俺は。
帰宅後、エアコンの効いた部屋でベッドにダイブ。
カーテン越しに揺れる夕方の光を見上げながらつぶやく。
「夏休み……海……それ以外、なにすればいいんだ!?」
妙に現実的な悩みだった。
「今までの夏休み……家でゲームしたり、パソコンいじったり……たまに翔とダラダラ過ごすくらいだったからなぁ」
ふと呟くと、胸の奥が少しだけ沈んだ。
思い出そうとすればするほど、あの頃の孤独や退屈も一緒に浮かんでくる。
(生まれ変わっても、過去は残ってるなぁ……)
そう思うと、部屋の静けさがやけに重たく感じた。
「……よし。ショッピングモールでも行くか」
外に出るのは勇気がいるけれど
もう、何かに怯えてばかりの自分でいたくなかった。
翌日。
きっちりと身支度を整えた俺は、
ショッピングモールへと向かっていた。
「よし……一人でも外出できること、証明してやる!」
何度か訪れた大きなガラス張りの建物が見えてくる。
エスカレーターの音、人々の話し声、流れるBGM。
そのすべてが少し眩しく感じた。
翔と食事に来たり、真桜さんに服や下着を選んでもらったりしたことはある。
でも今日は初めて、一人でここに立っている。
「取りあえず、時間まで好きに過ごすか」
そう呟きながら、俺は人の波の中へと歩き出した。
と……とは来たものの。
ショッピングモールって、何する場所なんだ?
目の前に広がるのは、人、人、人。
賑やかに笑う親子連れ、手をつなぐカップル。
騒がしく盛り上がる男子グループに、キャピキャピと写真を撮り合うギャルたち。
「……うわぁ、俺……ここにいていいのか?」
場違い感に軽く眩暈がした。
とはいえ、せっかく来たんだ。
気を取り直して、かつて真桜さんと巡ったように服屋を回ってみる。
「お、これ可愛いな」
気になった服を手に取っては、鏡の前で軽く合わせてみたり。
トレンドを見て回るのも楽しいけど、それも30分も経つと飽きてきた。こういうのって誰かがいて楽しむもんなだな…
「……あぁ、俺、だめかもしれない。外出、向いてないタイプかも」
映画もピンとこないし、
一人でクレーンゲームするのも地味に恥ずかしい。
ため息をついて、エスカレーターに乗る。
「よし……最上階から順にぐるぐる回って、下へ降りてこう……」
とりあえず……回る。
カフェ、本屋、ガチャガチャスペース、イベント広場。
「ここ、本当に何でもあるなぁ」
歩くたびに新しい音や匂いがして、少しずつ胸が軽くなっていく。
18年間、男の時は外の世界に触れて来なかった。
でも今は違う
“やっと普通の人たち”と同じ場所に立ってる!……気がした。
そんな中、ふと目に留まったのは、静かな音が漏れているブース。
「……楽器コーナー、かな?」
キーボード、ギター、ドラム。
整然と並んだ楽器たちの前に立つと、指先が自然に動いた。
俺はキーボードにそっと触れ、鍵盤を押す。
ポロン――。
「あぁ……懐かしいな」
暇を持て余していたあの頃。
ボーカロイドで曲を作ったり
耳コピしたりとこっそり動画サイトに上げて夜を過ごしてた。
「……でも、あれも黒歴史に近いか。再生2000くらいだったし」
苦笑しながら、なんとなく鳴らしてみる。
少し切なくて、でも落ち着く。
「夏休み、曲作りでもしてみようかな……いや、せっかくの高校最後の夏だし、もっとアグレッシブなことしたいよなぁ」
そう呟きながら、ポロポロンと鍵盤を弾いていると――
「もしかして……裕香さん?」
「え……?」
振り向くと、そこにいたのは…
「白石さん……!?」
ししししし、白石さん!?なんでここに……!?
「お疲れさま、裕香さん。楽器に興味があるのかな?」
振り向いた白石さんが、優しく微笑んだ。
休日仕様のゆるいワンピースが、上品さの中に少しだけラフさを混ぜている。
「え、えっと……ピアノをちょっとだけ、です」
「ええっ!裕香さんもピアノに興味あるの!?嬉しい!」
その瞬間、白石さんのテンションが一気に跳ね上がった。
普段の落ち着いた笑みとは違う子どもみたいに目を輝かせてる
……ギャップもありめちゃくちゃ可愛い……!
こんな白石さん、初めて見たかもしれない。
「裕香さんはどの機種に興味あるのかな?CASIO?YAMAHA?」
「え、ええと……そ、そういうの、あんまりわかんなくて……」
「それなら、ちょっとだけ教えてあげるね!」
お、教え魔お姉さん…!?
内心の動揺を隠しきれないまま、黙って説明を聞いた。
ーーーー
「――っていうわけ!」
「……はい」プシュー
白石さんの説明が終わるころ、俺の脳は完全にオーバーヒートしていた。
ごめんなさい白石さん……めっちゃ丁寧に教えてくれたけど、正直、全然理解できてません!
家にある安物のキーボードをポチポチ触ってただけなんて、今さら言えない……言えない……!
「ここのキーボード、どれも高いけどね。これなんかはオススメだよ」
白石さんが指差したのは、YAMAHAの3万円台のモデル。
PC接続もできて、録音機能付き。シンプルで扱いやすい…
だそうだ。
「ありがとうございます……」
「ふふ、ごめんね。つい熱が入っちゃって。真桜も光もあんまり楽器に興味なくて、誰かに話せるの嬉しくて」
「い、いえいえ!知らないこといっぱい教えてもらって、勉強になりました!」
その言葉に、白石さんは少しだけ嬉しそうに笑った。
その柔らかい表情に、胸が少しドキッとする。
でも、そこでふと好奇心が湧いた。
勇気を振り絞って、聞いてみる。
「白石さん……少し、試し弾きしてもらってもいいですか?
どんな感じなのか、聞いてみたくて」
「え?いいけど……うーん、何弾こうかな……」
白石さんは少し考え、指先で軽く鍵盤をなぞる。
すると、流れるように音が紡がれ始めた。
店内に、ピアノの旋律が優しく響く。
クラシックでもポップスでもない優しく、どこか切ないメロディ。
多分、バッハとかショパンとかそんな感じの
(……すげぇ……本物だ)
思わず息をのむ。
音に包まれるような、心地よい時間だった。
「ふぅ……こんな感じかな」
白石さんが最後の音を静かに響かせ、手を離した。
「すげぇ……じゃなかった、すごい……!白石さん、とても素敵でした!」
思わず本音が漏れた。
白石さんは少し頬を染め、照れたように笑う。
「ありがとう。なんか……そんなふうに言われると、ちょっと照れるな」
柔らかい声。
その瞬間、ふと周囲がざわついた。
見れば、通りがかった数人がこちらをちらちら見ている。
スマホを構えている人までいた。
「や、やば……!裕香さん、行こっか!」
「え!?あ、はいっ!」
白石さんに手を引かれ、二人で慌ててその場を離れる。
走るように店を出て、隣のカフェに逃げ込んだ。
席につくと、二人して小さく笑ってしまう。
「ストリートピアノみたいになっちゃったね」
「あはは……」
カフェの空気はゆるく、外の喧騒から切り離されたみたいだった。
「そういえば白石さんは、なんでここに?」
「ちょっとした息抜きかな。ピアノ好きだし、ふらっと寄ったの。それに……今年が高校最後のコンクールだからね。練習用のピアノを見ようかなって」
「そうなんだ……」
そういえば、白石さんは全国レベルの演奏者だった。
目の前で笑ってるのが少し信じられない。
俺なんかが隣に座っていいのか、って思うほどの人。
「でも、裕香さんと話せてリラックスできたかも。ありがとね」
「い、いえ!私、何もしてないですよ!」
「ふふっ。そういう時間が大事なのよ」
こんな俺でも白石さんの役に…立てたのかな?
なんて疑問がよぎる
しばらくは雑談が続き…
「裕香さんはピアノ、始めるつもりないの?」
「うーん……もともと趣味でちょっと触ってたくらいだし……」
「もし本格的にやるなら、ぜひ教えてね。一緒に弾こう?」
「……うん!」
白石さんはにっこり笑い、荷物を持って立ち上がる。
「じゃあ、また練習行ってくるね」
軽く手を振り、去っていった。
残された俺は、しばらくその背中を見つめていた。
そして――
「すみません。このキーボード、カードでお願いします」
「お買い上げありがとうございます」
レジで手続きを終えながら、思う。
憧れの白石さんと同じ音を、少しでも鳴らしてみたい。
コンクールなんて無理でも、
せめて“好きなことを語れる相手”くらいにはなりたい。
帰ってピアノを触ってみよう――そう意気込んで店を出た。
……が。
「お……重い……!」
思ったよりずっしり。
両腕に食い込む箱の重みで、早くも腕がぷるぷるしてきた。
こういう時、つい忘れる。
自分、もう“男”じゃないんだった。
ズリズリ……ズリズリ……
引きずればなんとかなるかと思ったが、すぐに限界。
周囲の視線も気になり始めたその時――
「すみません! 郵送もできますよ!」
店員さんの声が救いのように聞こえた。
「あっ……お願いします……!」
即答。
配送の手続きを終え、肩の力が抜ける。
外に出ると、夕暮れの風が少し心地よかった。
「ピアノ、届いたらいっぱい触ろう」
思えば、こんな風に自分からやってみたいと思えることなんて久しぶりだ。
そう思いながら、俺はゆっくりと家路についた。
――俺の夏休みは、まだまだ長い。




