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第1話 両親の借金により前野裕貴、消滅

「俺の人生は、この先も特に変化もなく、何も成し遂げない…平凡なまま終わるんだろうそう思っていた。この日までは。」


「はは……お似合いだな。」


鏡の前。

ピッタリサイズの制服にスカート

呆然と立ち尽くす俺。


「……なんで、こうなったんだろうな。」


数日前に遡る。


俺の名前は前野裕貴。男子高校三年生。

身長つセンチ、顔は平均より少し下。特に特徴もない。

自己紹介なんて、この程度で十分だろう。


友達は、ほぼいない。

定番の“コミュ症”が治らなかったせいだ。

かといって誰かから声をかけられるほどの特別な魅力もない。


だから俺が会話する相手は一人だけ。


「おーい、裕貴。今日ゲームどうだ? ウチ来いよ。」


「いいな。じゃあコンビニでなんか買ってくるぞ」


「気にすんな。手ぶらで来いって!」


彼の名前は神宮寺翔。俺の唯一の友達だ。


なんと、有名製薬会社の社長の息子。

成績優秀、スポーツ万能、顔もイケメン。

漫画のキャラかと思うような設定の持ち主。しかも家は馬鹿みたいな豪邸。なのに、なぜか俺と友達をやってくれている。


きっかけは、学校で俺がこっそりゲームをしていたところを見られたことらしい。

翔は意外にも漫画やゲーム好き。

家では研究と勉強漬けで、気軽に話せる相手が欲しかったとか。


……本当に、俺でよかったのか?


その日もいつものように、翔の家に向かう。

送迎の黒塗りの車に一緒に乗り込み、豪邸の門をくぐった。


でかい。

もう十回は来ているのに、やっぱり見上げて同じ言葉を漏らしてしまう。


「おじゃましまーす」


扉をくぐった瞬間、いつも息を呑む。

部屋に広がるのは、雑誌や写真でしか見たことのない一流ホテルのそれも最上ランクとか多分そんな感じに近い空間。

壁一面に広がる大きな窓、柔らかな照明、絨毯の厚みまで桁違い。

置かれた調度品や飾り物はどれも本物で、目を奪われてしまう。


「さっさとやろうぜ!最新機種、ようやく買えたからな!」

翔は当然のように高級ソファへ腰を下ろし、ゲーム機の箱を開ける。


「お前くらいなら、コネ使って発売日に買えただろうに。」


「正規ルートで手に入れてこそゲーム好きってもんよ。」

笑いながらコントローラーを手渡してくる。


こうして肩を並べてくだらない会話を交わせる時間

それが俺にとってどれほど貴重か。


「裕貴、相変わらず強いな。俺もコンボ覚えたんだけどなぁ。」


「悲しいが俺には時間があるんだよ……翔。お前のキャラ、空中はともかく地上じゃ発生遅い技ばっかだから、別キャラにしたら?」


「馬鹿野郎、ロマンってもんがあるんだよ!

どりゃぁ!横スマ!」

一撃狙いで突っ込んでくる翔。


「すまん、カウンター。」


ドガァァン! 画面に赤黒い閃光に染まり、勝敗が決まる。


「くそっ!また負けた!」

悔しげに頭を抱える翔。普段完璧なイケメンの顔に、子どもみたいな不満が浮かんでいる。


「……イケメンでも、そんな顔するんだな。」

思わず笑いが漏れた。


ポテチをつまみながら談笑していると、部屋のドアを軽く叩く音が響いた。


コンコン。


「兄ぃ〜、入るよ〜」


「はいはい。」


勢いよく扉が開き、明るい声が飛び込んでくる。


「おじゃま〜。あ、ゆーくんおつ〜。また兄ぃの相手してくれてんの?」


「あ……ど、どうも。そ、そんな……神宮寺さん。」


「あはは! 真桜でいいのにってば。うけるんだけど。」


現れたのは神宮寺真桜、翔の双子の妹だ。

明るめの髪に派手めなアクセ。ぱっと見はギャルそのもの。けれど実際は留学経験があり、勉強もスポーツも抜群。まさに才色兼備。

やっぱり遺伝子ってすげぇ。


学校でも一、二を争うほどの美貌に、抜群のスタイル。

おまけに胸のサイズも目を引くほど……正直、同じ空間に座っているだけで気まずい。


「で、兄ぃ。ゆーくんに勝てたの?」


「もう三回は勝ったな。二十戦中でな。」


「めっちゃ負けてんじゃん。」


「俺の学習能力を舐めんなよ?ここから巻き返すから見てろ」


軽口を叩き合う二人。口は悪いが、不思議と仲の良さが滲んでいる。

――学校のスクールカーストで男女それぞれのトップに君臨する双子。

そんな二人が、なんで俺なんかと一緒に過ごしてくれているのか。本当に運を使い果たしてる気がする。


気づけば外は夕暮れ。時計の針は十八時を回っていた。


「あ、もうこんな時間か……。俺、そろそろ帰るわ。」


「そうか。雨だし、送っていくぞ。」


「ゆーくん、お疲れ〜。また兄ぃのわがままに付き合ってあげてね」


「あ、いや……そんな……」


「うるせぇよ。行くぞ、裕貴。」


翔にぐいっと肩を叩かれ、俺はそそくさと立ち上がった。


帰り道、翔の家の高級車に乗せてもらう。

革張りのシートは柔らかく、車内の空調も心地よい。けれど、俺の心はずっと重かった。


「はぁ……帰りたくねぇな……」


思わずため息が漏れる。


「お前も大変だよな。うちに泊まるか?」


「いやいや、いいよ。流石に迷惑かけるし。」


そう返しながらも、本当は少し心が揺れた。

この時間が一番嫌いだ。天国から地獄に突き落とされるような感覚。


俺の両親は、昔から俺のことを空気のように扱ってきた。

記憶に残っているのは、幼い頃から「置いてけぼり」にされた光景ばかり。


気づけば玄関の前で一人ぼっち。

二人は旅行や外食に出かけて、俺には

「冷蔵庫の中の残り物食べてて」と置き手紙ひとつ。

運動会にも、授業参観にも、卒業式にも、一度として姿を見せなかった。


高校生になっても変わらず

夜、部屋の隅で宿題をしている俺の前に、父は無造作に千円札を放り投げてきた。

「晩飯はこれでなんか買え」

母はその横で化粧を直しながら

「アンタももう大きいんだから、手間かけさせないで」

と言うだけ。


あの冷たい視線を思い出すたびに、胸の奥がざらつく。

俺は何をしたんだろうか?どうしてここまで冷たくされるんだろうか?

考えても答えは出ない。ただ一つわかったことは俺は、二人にとって邪魔でしかなかったんだ。


それでも、車の中で隣に座る翔が気軽に話しかけてくる声が、ほんの少しだけ救いに思えた。


「ここで降ろしてくれ。」

「了解。すみません、ここでお願いします。」


翔の合図で運転手が車を停める。


「翔、いつもありがとうな。……俺、なんにも返せてないし、翔にはもっといい友達が――」

「また卑屈になってるぞ。両親のこと考えてる時は、いつもそうだ。」


翔は真顔で俺を見据え、軽く肩を叩いた。

「俺だって暇人じゃねぇよ。お前を家に呼んで、送迎までしたくなるくらいの価値はある。だから一緒にいるんだ。……またゲームやろうぜ。」


「はは……そんなこと言ってくれるの、翔だけだよ。ありがとう。」

「何かあったら、俺に遠慮なく言えよ?」

「そうだな。またな!」


高級車を背に、俺は小走りでアパートへ向かう。

冷たい雨粒が頬に落ち、予想外の夕立に急ぎ足になる。


……だが、すぐに違和感に気づいた。


開きっぱなしの玄関扉。

見慣れない男たちが三人、廊下に立ち尽くしている。

一目で「カタギじゃない」とわかる風貌。


心臓が跳ねた。足がすくんで動けない。


そのうちの一人がこちらに気づき、ギロリと振り返った。

重い靴音を鳴らし、ずかずかと近づいてくる。


「……君、前野くんだよな?」


「………はい。」


声が震えていた。


「君の両親さ、うちに借金しててね。必ず返すって言ってたのに……逃げちまったんだよ。」


「……は?」


理解が追いつかない。頭の中のギアが外れて、思考が空回りする。


男は口元を歪めて笑った。

「だからさ。君に代わりに払ってもらおうかなって。選択肢は簡単だ。売春、奴隷、臓器、好きなの選んでいいよ。」


「あ、あ、あぁ……え……?」


耳鳴りがして、言葉が霞んでいく。

恐怖で全身が硬直し、視界が滲んだ。


「君も可哀想だよなぁ。親に逃げられて、肩代わりなんて押しつけられてよ。アイツら舐めてるよね?」


嘲笑混じりの声。

理解不能な現実。

「恐怖で頭が真っ白になる」というのは、まさにこの瞬間だった。


「さ、行こうか。」


ゴツい手が俺の肩に伸びた、その瞬間


ピカッ……!

窓の外が白く光り、直後に轟音が鳴り響いた。


ゴロゴロゴロォォ……!!!


「――っ!? うわぁぁぁぁっ!!」


稲光に弾かれたように、震えていた膝が勝手に動き出す。

俺は反射的に全力で駆け出した。


怖い。怖い。怖い――本当に、命が終わると思った。


「待てやぁぁ!!!」


背後から怒鳴り声が響く。足音が迫ってくる。

捕まったら終わりだ。そう確信していた。


「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!! ……なんでだよ! あのクズ共!!」


怒りと恐怖がぐちゃぐちゃに混じり、声にならない叫びが口から漏れる。

両親に裏切られた現実が、刃物のように胸を抉った。


全身が悲鳴を上げているのに、それでも足は止まらない。

これが“火事場の馬鹿力”ってやつなのか運動なんてまともにしてこなかった俺の体が、今だけは異常なほどの力を振り絞っていた。


辺りはすっかり暗くなっていた。

雨で濡れたアスファルトが街灯にぼんやりと光る中、俺は人気のないスーパーの屋上に身を潜めていた。


息が荒い。全身が震えている。

なんとかまいた……そう思いたいが、これからどうすればいいのか、答えは出ない。


「……俺が、何をしたっていうんだよ。」


誰もいない空に向かってつぶやく。

親戚を頼る? いや、無理だ。

俺の両親はそれぞれの親戚から嫌われていたし、誰がどこにいるかすら知らない。

結局、俺には逃げ場なんてない。


絶望がじわじわと身体を締めつける。

さっきまで走っていた足は、今や折れそうなほど重い。

そんな中で、あの言葉がよみがえった。


(遠慮なく、俺を頼れよ。)


「……翔。」


雨に濡れながら、俺は足を引きずるように神宮寺家へと向かった。


***


「裕貴……大変だったな。」


玄関先に立った俺を見て、翔は眉をひそめながらも迷わず中へ招き入れてくれた。

温かい光が差し込んだ瞬間、張り詰めていたものが一気に崩れて、涙がこみ上げてくる。


「う……すまん!巻き込んでしまうかもしれないのに……ありがとう!」


「お前の過去を知ってて、こんな状況で見捨てられるかよ。」

翔は強い声で言い切った。


だがすぐに真剣な表情に変わり、低くつぶやく。

「……にしても、龍鬼会か。あそこはしつこい上に、規模も広い。簡単に手は引かねぇぞ。」


「ほんとにな……。両親、本当にクズだ。」


言葉にしてみても胸の痛みは消えない。

けれど隣に翔がいてくれるだけで、少しだけ呼吸が楽になった。

コンコン。

ガチャリと扉が開き、ふわっと甘い香りと一緒に真桜が入ってくる。


「ゆーくん来てるんだって? 泊まってくの?」


ゆるふわな雰囲気を漂わせながら、真桜が部屋に入ってきた。


「真桜、実はな――」


***


一通り説明を聞いた真桜は、頬を引きつらせて吐き捨てた。

「うへぇ……最低じゃん。ゆーくんの両親、ゴミカスのクズの極みだね。」


「あ……そこまで言わなくても……」


「で、どうすんの兄ぃ。会社でなんとかすんの?」


翔は苦い顔で首を振る。

「そんな簡単に言うな。製薬会社がヤクザに関われば、一瞬で黒い噂になる。……だが放ってもおけねぇな。」


「うーん、アイツらしつこいしね。借金を肩代わりできないの?」


俺はおそるおそる口を開いた。

「あ……いや……龍鬼会は、多分……両親の報復に……俺を酷い目に……」


「うわぁ〜、タチ悪っ!」


初めて真桜さんと長く話したけど、まさかこんな内容になるとは。


「翔……やっぱりすまん。俺だけでなんとかする。迷惑はかけられない。」


「おいおい、謝るな。それに、俺は見過ごさねぇよ。」


「そうそう。私だって心配してるんだよ、ゆーくん。」


マジでこの二人は聖人だ。しかしその優しさが、逆に胸を締めつける。罪悪感で押し潰されそうだ。


「それじゃあ翔……!どこか整形手術できるとこ紹介してくれ!」


「落ち着け。」


「お前んとこ製薬会社だろ?なんかこう……姿を変える薬とか!」


「………!」


その時、翔の表情が変わった。何かを思いついたように。


「いや……なくはないが。」


「ちょっと兄ぃ、本気?友達だよ?」


「わかってる!そんなもん、友達に人体実験させるわけねぇだろ!」


秀才兄妹が専門用語を飛ばし合っている。俺にはまるで意味不明だ。


「し、翔……否定しないってことは、本当に何かあるんだな!? 頼む、教えてくれ!」


「……これは完全秘匿の話になる。俺の会社で実験してるのは性染色体の調整を安全に行うための、新しいプロジェクトだ。」


難しい話が続いたが、俺の頭には一文字も入ってこない。


「……つまりどういうことだ?」


翔は真顔で言い切った。

「簡単に言うと裕貴。お前は女になる。」


「…………は?」


横から真桜が補足する。

「ゆーくん、つまりね。性染色体を“リサイクル”できる特殊なたんぱく質を開発してるの。男から女へ、女から男へ、仕組みを切り替えられるってこと。」


「いやいやいやいや待て待て待て!!」


「もうちょっと……馬鹿でも分かる説明にしてくれ!!」


「つまりだな……性別を変える実験をしてるんだ。秘密裏にな。最初はネズミから始まって、猫、兎、猿……全部成功している。残るは、人間だけ。」


翔の言葉は、もはやSF小説の一節みたいだった。

内容は頭に入らない。ただ感情だけが激しく揺さぶられていた。


「いや……確かに、それなら“前野裕貴”は完全に消せる。でも……」


真桜が食い気味に口を挟む。

「兄ぃ、やっぱり普通の方法で助けようよ。遠くの学校に転校させるとかさ!」


俺は悔しかった。

ここまで何もない俺を、ここまで本気で考えてくれる。

会社の看板を背負っているのに、“友達だから”って理由だけで。

だからこそ――せめて、自分で選択したかった。


「わかった……!なんでも実験を受ける。頼む!」


「裕貴、待て!」


「ゆーくん、マジ!? 一旦冷静になろ?」


「俺はいつも助けられてばっかだ。秘密の実験ってことは、被験者にはリスクがある。……俺なら絶対に秘匿を守る。龍鬼会は地の果てまで追ってくるかもしれないし、ここで生き延びられれば結果的に神宮寺家にだって貢献できる。……だから、せめて恩返しをさせてくれ!」


「バカ言うな!そんな危険な橋、渡らせるわけねぇだろ!」


「それに……遠くへ行ったら、翔に会えないかもしれないだろ。」


「――っ!」

翔の目がわずかに揺れる。


「……わかった。父さんに聞いてみる。」


「ええ!?兄ぃ!?」


「神宮寺……真桜さん……。いいんだ。たぶんこの方が……生存確率が高い。」


「そ、そうなの……?」


“生存確率”なんて言葉、正直よく分からなかった。

でも翔の頭に浮かんだアイデアに、俺は賭けるしかないと思った。


そして、会社の地下――。

何重ものセキュリティを抜けた先に、まるで映画でしか見たことのない光景が広がっていた。


巨大な培養カプセルがあり、淡い緑色の液体がゆらめく。

モンスターや人造兵器が封印されていそうな、不気味で神秘的な空間。

そこが、俺の運命を変える実験場だった。


「事情は聞いたよ。初めまして、裕貴くん。」

重厚な声が響く。

「私の名前は神宮寺聖十郎。この会社の社長をやっている。

今回、被験者を志願してくれてありがとう。この実験は我が社でも壮大なプロジェクトでね。」


神宮寺聖十郎。世間知らずな俺でも知っている名前だ。

日本最高峰の医療技術を率いる男。ニュースでは海外首脳と握手している姿を見たこともある。

そんな人物に頭を下げられている、実感が追いつかない。


「父さん、そういうのはいいから。……絶対に成功させてくれよ。」

翔が険しい目で言う。


「もちろんだ。息子の親友だ。私も責任をもって助けるとしよう。」


「お、お願いします……!」


遠くで翔と真桜が緊張した面持ちで見守っている。


「さて、裕貴くん。今から複数の薬を投与する。まずはリサイクルタンパク質を――」


またしても専門用語。やはり頭には入ってこない。


「大丈夫。あまり苦しくはない。すぐに意識は失うが、心配はいらない。……それじゃ、始めよう。」


腕に冷たい感触が走る。

三種類ほどの注射が次々と打ち込まれ、全身が熱を帯びる。


ガシャン、とカプセルの扉が閉まり、透明な液体が満ちていく。

身体がぐにゃぐにゃと形を変えていく感覚が襲う。

――なのに、不思議と気持ち悪くはなかった。


むしろ……心地いい。

全身が溶けるように軽くなり、頭がふわっと浮かぶ。

高揚感が波のように押し寄せ、目の奥が白く光っていく。


(……このまま死んでも、悪くないかもな。)


最後にそんな言葉が浮かんで――俺の意識は闇に沈んだ。



***



パチッ――


目を開けると、そこはあの無機質な研究室ではなかった。

白い天井、カーテンで仕切られた空間、消毒液の匂い。

よく知る病院の一室のような場所で、俺はベッドの上に横たわっていた。


隣では看護師がパソコンに向かい、淡々と何かを打ち込んでいる。


「あら、起きましたね。じゃあ慣れないでしょうけど、まずは起き上がって鏡を見てみましょうか。」


促されるまま、フラフラと足を下ろす。

立ち上がった瞬間、身体に妙な違和感が走る。

歩く感覚、重心の位置、全部が自分のものじゃないような……。


それでも言われるまま、鏡の前へ。


映っていたのは――病衣を着た、一人の女子。


「……え……? 本当に……? これ、俺……?」


「そうですよ。」

看護師はあっさり答える。


肩まで伸びた柔らかい髪。

細い手足。

病衣の上からでもわかる膨らんだ胸と丸みを帯びた腰。

長くなったまつ毛。

面影は確かに俺なのに鏡の中の顔は女だった。


震える手で自分の身体を触れる。

柔らかさや曲線が、指先に正直すぎるほど伝わってくる。


「ほ……ほんとに……女になったんだ……」


声すらも、前より少し高く、耳に違和感を残した。


看護師から経過観察や生活上の注意を色々と説明され、念のため一週間ほど入院することになった。

その後は新しい戸籍や住居を用意してくれるらしい。

さすが有名企業、やることのスケールが違う。


ベッドの上でぼんやり座っていると、ガラリと扉が開いた。


「裕貴……だよな? 実験は成功したと聞いた。無事か?」


「あ、翔……それに神宮寺さん。今のところは大丈夫だよ。」


「ゆーくん、めっちゃ髪伸びてんじゃん。それに顔つきもちょっと変わった?」


「なんか……俺じゃないみたいで……うぅ、少し変な感じだ。」


翔が真剣な表情で言葉を続ける。

「裕貴。父さんはお前に感謝していた。そして今後の生活と保護を、責任をもって支援するとも言っていた。」


「そりゃ当然でしょ。」


「……なんか、そこまでされなくても……でも、神宮寺製薬に少しでも貢献できたならよかった。俺も翔に何か返せたのかな……」


「余計なこと考えず、しっかり休んでろ。また来るから。」


「じゃねー、ゆーくん。なんか気になることあったらすぐ言いなよ?」


「あはは……ありがとう。」


二人が去った後、静かな病室に笑みがこぼれた。

やっぱり……あの兄妹は聖人だ。いや、もう天使の生まれ変わりなんじゃないだろうか。


廊下を歩く兄妹。


「真桜、裕貴に……女について色々と教えてやってくれ。」


「んー、いいよ。友達だし、事情知ってる方がいいでしょ。」


「助かる。……俺は少しベンチで休むから、先に行っててくれ。」


「りょー。」


真桜が先に行き、人気のないベンチに腰を下ろした翔は、深く頭を抱えた。


(……………あぁぁぁぁ〜! 可愛い……! 可愛すぎるぞ、裕貴! 本当に……本当に女になるなんて……!)


(思い返せば、高2の学園祭だったか。クラスの出し物で女装企画があって、ジャンケンに負けた裕貴が無理やり女装させられた。あの恥ずかしそうな表情、ぎこちない仕草、着慣れない服……。周りの連中は“へー、意外とイケるじゃん”とか“似合ってるわ、笑”なんて言ってたが…節穴どもめ!あれがどれだけ破壊力あったか、俺だけが分かっていた…というか性癖を歪まされてた。)


(だからあの時からだ。お前に近づいて、仲良くなって。お前は本当に何も疑わずに俺に応じてくれた……嬉しかったなぁ。正直、あわよくばもう一度女装を頼んでみようかとまで思ったくらいだ。)


(そして――会社の実験に“性別変換”を提案したのも、ちょうどその頃だったな。……イカれてるよな、俺。まさか最初の被験者が裕貴になるとは。皮肉にも、夢が叶っちまった……)


拳をぎゅっと握りしめる。


(しかし裕貴……。俺はお前が安心できるように、必ず責任を取る。だから――また元気になってくれ……!)



場面は戻り――。


「……はぁ。両親さえまともだったら……こんなことには、ならなかったのに。」


借金。ヤクザ。性転換。

たった一日のうちに、常識も未来もひっくり返った。


非現実すぎて笑えそうにもない。

ただ、これがもう俺の現実なんだ。



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