片想い
彼との再会は突然だった。
久々に顔を合わせた瞬間、貴方と過ごした日々が堰を切ったように溢れ出す。
蘇るのは何度も思い返した、私達が出会ったあの日。
……あの日は急に雨が降ってきたんだよね
イヤホンを外すと、落ち葉が舞う音がした。
◇◇◇
「やばい、雨降ってきそう」
暗い雲に覆われた空を仰ぎ見て、私はバス停に向かう足を急いだ。
バス停に着き、屋根の下に駆け込む。
荒くなった息を整えていると、ポツポツと雨音が聞こえてくる。
あっという間に雨は強くなり、激しい音が響く。冷たい椅子が体温を奪い、私は腕をさすった。
雨は止む気配もなく、独特のじめっとした香りが鼻にまとわりつく。
靴に目をやると、地面の濃淡が屋根の境ではっきり変わっていた。
そろそろ時間かなと、バスが来る方角に目を向けると、
遠くから、ぱしゃぱしゃと、水を跳ねながら誰かが走ってくるのが見えた。
「すみません!入ります」
息の乱れた声と共に、勢いよく屋根の下に少年が駆け込んでくる。
荒い息で体が上下し、その度に濡れて張り付いたワイシャツが合わせて動く。
徐々に息が整うと、彼は小さく溜息をつき、私の方を振り向く。
「急な雨で参ったよ。ごめん、入った時雨とばなかった?」
彼の真っ黒な瞳が、少し揺れながら私を見つめる。
目があった。一拍、動けなかった。
すぐに、冷静を装って私は大丈夫と答えた。
「よかった」
彼が口角をあげて笑うと、小さな八重歯がみえる。それが妙に可愛く見えて、私も微笑み返す。
「君も学校帰り?びっくりしたよね雨なんてさ」
少年はシャツを捻り、地面にはぼたぼたと水滴が落ちる。
その様子を眺めながら、私は、そうなの、と返す。
「天気予報は曇りっていってたのに、びっくりしたよね」
「だよね。俺、折り畳み傘今日に限って家に置いてきちゃってさ。ついてないなぁ」
少年は言葉とは裏腹に、楽しそうに話す。
彼の纏う空気はなんだか暖かくて、初めて会ったのに妙に居心地がいい。
スマホに視線を落とすが、バスの到着時間は当に過ぎていた。
「さむ……」
ふと、彼が呟く。
シャツを絞るのをやめた手は、忙しなく両腕をさすっている。
私は鞄を漁り、タオルを彼に差し出す。
「拭くものないんじゃない?これ、どうぞ。今日使ってないから」
彼は目を丸くして、私とタオル交互に視線を送った後、目を細め笑った。
「ありがと!助かる」
タオルを受け取ると、彼は髪の毛を拭き取り、シャツ、ボトムと水気をとっていく。
(タオル、厚手でよかった)
私はその様子を眺めながら、ふとそんなことを考えていた。
一通り拭き終わると、彼はこちらに向き直り、勢いよくお辞儀をする。
そして、満面の笑みを向けた。
「ありがとう!タオルが厚手で、めっちゃ助かった!」
そう言われて、私は思わず笑ってしまった。
彼が首を傾げて私をみたので、
「私も、厚手でよかったって思ってたんだ」
そう伝える。
「まじ?一緒じゃん!気が合うな」
口を大きく開けて笑う彼につられて、私もまた笑ってしまう。
雨音はいつの間にか小さくなっていて、遠くからバスが近づく音が聞こえてくる。
もっと、話していたかったな。
私は小さく息を吐き、自分の足元に視線を向ける。地面の濃淡はさらに広がっている。
「あのさ」
彼が何かを言いかけて、私は顔を上げる。
彼はこちらを向いている。
視線が交わり、喉が、小さく鳴った。
少しの沈黙の後、彼は言葉をこぼす。
「このタオル、今度洗って返すとか……あり?」
はにかみながらそう言う彼の耳が、赤く染まっているのに気がつき、私の胸は締め付けられる。
「うん、大丈夫だよ」
少し声がうわずったのが妙に恥ずかしい。
直ぐに、目を逸らしてしまう。
顔はみえないけれど、彼の声は嬉しそうに、ありがとうと呟いた。
目の前にバスが到着する。
ドアが開くが、人がぎゅうぎゅうに乗り込んでいた。
彼を見ると、眉を寄せて苦笑いしていて、私も困ったような表情で返す。
私が手すりに手をかけ、彼の方を振り向くと、彼は目を細め、大きく手を振る。
「じゃあ、またな」
「うん、またね」
私も、片手をひらひらと振り、バスに乗り込む。彼も後を追って乗り込むが、間に人が入り込み会話どころではなかった。
人混みの中、ぼうっとした頭で、時折見える彼の横顔を見つめていた。
初めて会って、初めて少し会話をしただけなのに……胸の中には熱がこもっている。
(こっち、みないかな)
そんな事を頭の片隅で考えながらバスに揺られていると、彼が顔をあげこちらを向く。
私がびっくりして、目を見開くと、彼は口パクで『じゃあね』と言って、バスを降りていった。
(なに、これ……)
私は熱くなった顔に、そっと手を添える。
顔が妙に熱いのは、人混みのせいなのか、それとも……。
私は彼の居た場所から目が離せないまま、バスの揺れに身を任せ続けた。
彼との再会は、思っていたより早かった。
翌々日、バス停に向かうと誰かの脚が見えた。
胸の高鳴りとは裏腹に、私の足取りは少しゆっくりになる。
彼は私の方に気がつくと、この間みたいに笑って手を振った。
その様子に、少しホッとしながら私は彼の横に座った。
「これ、ありがとう」
彼は鞄からタオルを取り出し、私に渡す。
綺麗に畳まれたそれからは、柔軟剤がかおる。
「どういたしまして」
私がタオルを鞄に仕舞っていると、彼が声を掛ける。
「名前、聞いてもいい?」
顔を上げると、彼は私の方を向いていた。
頬を掻きながら、照れ笑いしている様子が私にも伝染する。
「う、うん。私は長濱恭子」
「恭子ね。俺は前田悠一」
急に名前で呼ばれ、反応が少し遅れる。
「ゆ、悠一だね」
私も名前で呼んでみるが、妙にくすぐったい。
その後も色々話をしたけれど、夢の中のようにふわふわしていて、会話に身が入らなかった。
その後も何度も同じ時間にバス停で顔を合わせ、言葉を交わした。
学校のこと、部活のこと、趣味のこと、色んな話をした。
お互いの事を知るほどに、想像と違う面もみえる。
けれど、それが彼を深く知れた事でもあり、嬉しくもあった。
そんな中でも、まだ彼に聞けていない事があった。
(今日こそ、連絡先を聞くぞ……)
彼と話すのは、とても楽しい。
だから、少しステップアップしたい。
それなのに、連絡先を聞くのを毎回ためらってしまう。
一歩進もうとすることで、約束もなく、顔を合わせるこの関係が終わってしまうかもしれないから。
私は今日も、ポケットに忍ばせたスマホに手を伸ばしていたが、その手はまた取り出す事はなかった。
(明日こそ、聞こう)
バスを降りる彼と、目配せしながらそう思った。
この日々が終わるなんて、思っていなかったから。
次の日、彼はバス停に現れなかった。
ただ、体調不良でお休みしたのかもしれない。
部活が忙しいのかもしれない。
彼が居ないバス停で、毎日色んな理由を考えた。
きっと一時的なもので、明日になれば彼がバス停で待ってるはずだ。
一日、また一日過ぎていくと、
彼がもう、こないんじゃないか、そんな考えが頭の中をじわじわと侵食していく。
いつからか、あんなに楽しかったバス停に向かう足取りは、重くなっていった。
あれから季節は変わり、制服は長袖になった。
木々は紅葉し、バス停へ向かう道は様変わりした。
今でもバス停が近づくと少し体が強張るが、胸にあるのはほんの少しの期待だけだ。
当たり前のように、ベンチには誰もいない。
私は小さく息を吐いて、ベンチに座る。
鞄からスマホを取り出して、ワイヤレスイヤホンを耳につけてショート動画を流す。
楽しかった日々を思い出すこの場所は、私にとっていつしか辛い場所に変わっていた。
避けようのない時間をやり過ごす為に、たいして興味もない動画をみる。
私の前に影がかかり、私は顔を上げる。
そこには、彼が立っていた。
あの頃と変わらない、はにかんだ笑顔のまま。
私はあわててイヤホンを外したため、地面に落ちてしまう。
それを彼が拾い上げ、私の手のひらの上に乗せる。彼の指先が触れ、痺れるような感覚を覚える。
「久しぶり」
彼の声が聞こえる。
私の中で、数ヶ月前の感情が蘇り、熱くなる。
「久しぶり……」
何で来なかったの?
聞きたいけれど、聞いていいのかわからない。
彼が隣に座る。
手のひらにじわりと汗が滲み、喉が渇く。
何を話そうか、何度も繰り返したはずなのに、想定していた言葉はどれも適当ではない気がして、うまく言葉にできない。
「俺、ちょっと怪我しちゃってさ。それで親に送迎してもらってたんだ」
彼は足を指さして、苦笑いをする。
それを聞いて、私はようやく息ができた気がした。私の想定内のことだったから。
「大丈夫なの?」
「うん、もうすっかり治ったよ。なんか毎日話してたのに何も言えずに行けなくなっちゃったから、心配かけちゃってたら悪かったかなーって思ってた」
ごめんな、と話す彼に、気にしないでと応える私。
だって、また会えた。
これからまた毎日一緒に過ごせたら。
「長濱はさ、変わりなかった?」
目の前で、急にカーテンを引かれたような、明確な拒絶。
私は自分の顔が強張ったのを感じて、少し顔を下に傾ける。
「うん……私は、何も変わってないよ」
胸の鼓動が激しくうねり、目頭が熱くなっていく。
「俺はさ、彼女が出来たんだ」
彼が小さく笑い、八重歯が一瞬だけみえる。
「……これ、長濱には言っておきたかったんだ」
彼が伝える言葉の一つ一つが、私の胸を抉っていく。
「……うん、わかった」
そう、伝えるのが精一杯だった。
地面には落ち葉がひらひらと舞い落ちる。
そして、また別の場所に飛んでいく。
彼は立ち上がり、小さく息を吐いた。
そして、もう行くねと呟く。
「ありがとう」
消え入るような声で、そう呟く。
「うん、ありがとな」
そう答えた彼の声には、いつものような暖かさがあった。
落ち葉を踏む音が、遠ざかっていく。
冷たい風が私の頬を撫で、私はようやく涙をこぼす。
私は手に持ったままだったイヤホンを着ける。
再生した音楽を聴きながら、瞼をそっと閉じた。




