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婚約破棄された令嬢、亡命聴取を受ける  作者: ゆりんちゃん


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第一章:辺境の波紋

 私の名はエリアナ・グレイ。王国調査局に所属する、一介の調査官だ。

「平民登用制度」という聞こえの良い看板の下で採用された一期生。それが私の、今のところ唯一にして最大の経歴である。


 ゴトゴトと、馬車の規則的な揺れが思考を鈍らせる。窓の外を流れていくのは、見慣れた王都の石畳ではなく、鬱蒼とした森と、時折現れる荒れた畑ばかり。

 ここは王国の辺境。そして私は、国家の最高機密――亡命してきた公爵令嬢の真意を探るという、身の程知らずな任務のためにこの地へ向かっていた。


 向かいの席には、この任務における最大の謎が、足を組んで優雅に座っている。


 第一王女、ヴィクトリア殿下。

 短く切りそろえられた髪は快活な少年を思わせ、その顔立ちは女性的な美しさよりも「凛々しい」という言葉がふさわしい。

 今日の彼女が身につけているのも優雅なドレスではなく、上質な生地で仕立てられた乗馬服に近い活動的な衣装だ。

 貴族の令嬢ならまずしないようなだらしない姿勢で足を組み、私を見つめるその瞳には、軽薄そうな笑みの奥に、すべてを見透かすような鋭い光が宿っていた。


 なぜ、彼女がここに?

 いくら国家機密とはいえ、王族自らが同行する理由など、私にはまったく理解できなかった。


 辞令を受けた日を思い出す。

 私を呼び出した上司の顔は、激励や期待とは程遠く、死地へ赴く部下を見るような憐れみに満ちていた。絞り出すように「頑張れ」とだけ言った声が、今も耳に残っている。


 やがて馬車の速度が落ち、ガタリと最後の揺れを残して止まった。

 目的地のベルナール子爵家屋敷に到着である。

 窓の外には、深い森を背景に、古いが手入れの行き届いた石造りの館が静かに佇んでいる。華美さはなく質実剛健、その姿は中央の政争とは無縁の地の歴史を物語っていた。


「エリアナ、お前が先に降りろ」

 向かいの席から、ヴィクトリア殿下が静かに言う。

「責任者は調査官であるお前だ。まず顔を見せるがいい」


 その言葉にうなずき、深く息を吸ってから馬車の扉を開けた。


 玄関前には、やつれた顔に無理やり笑みを貼り付けた初老の女性が、侍女も伴わず一人で立っていた。ベルナール夫人だろう。その表情からは、この異常事態への心労が手に取るように伝わってくる。


「王国調査局、調査官のエリアナ・グレイと申します。急なご連絡で、ご迷惑をおかけしております」


 私が貴族の作法に則って頭を下げると、夫人は慌てて力なく首を振った。

 平民の私に対しても丁寧で、見下す色は微塵もない。善良な方なのだろう。だからこそ胸が痛む。こんな方が、国家の都合という理不尽に振り回されている。その心労が、夫人の全身からにじみ出ていた。


「いえ、とんでもございません。ようこそお越しくださいました。私は領主マグナルの妻、イエリーナでございます。ただ…申し訳ないことに、主人は心労がたたって床についておりまして…ご挨拶もできず、誠に申し訳なく」


 夫人が詫びるようにそう告げた。

(政争とは無縁の辺境で、静かに領地を治めてきただけの領主が、なぜこんなことに巻き込まれねばならないのか。亡命してきた公爵令嬢を匿う――地方貴族にとって、これほどの重圧はないだろう。ご主人が倒れても無理はない…)

 そう考えた瞬間、背後で馬車の扉が開く音がした。場違いなほど明るく、気さくな声が響く。


「やあ、そんなに堅くならなくともいい。無理を言っているのはこちらなのだから」


 ひらりと軽やかに馬車から降り立ったのは、ヴィクトリア殿下ご自身だった。旅の疲れなど微塵も感じさせない清々しい顔で、にこやかにベルナール夫人に手を振ってみせる。

 その瞬間、夫人の顔から必死に保っていた表情がすべて消え去った。


「ひっ……あ」


 声にならない息遣いを漏らし、王女の姿を信じられないものを見るように凝視したまま、夫人はふらりと体の力を失った。


「夫人っ!」

 私の叫びと、糸の切れた人形のように崩れ落ちる夫人の姿は、ほとんど同時だった。


 ---


 侍女たちが青ざめた夫人を別室へ運び出し、ようやく客間に静寂が戻った。しかしそれは穏やかさではなく、張り詰めた緊張感に満ちている。

 私たちの前に残されたのは、この家の娘、コレット嬢だった。母親によく似た面立ちだが、顔は蝋のように青白く、今にも泣き出しそうだ。


「も、申し訳ございません、ヴィクトリア殿下! 一家総出でお出迎えすべきところを…父も母も、なんて無様な…! このような無礼、いかようにお詫びすれば…!」


 彼女は震える声で、同じ謝罪を繰り返す。その姿は痛々しく、見ているこちらの胸が苦しくなるほどだった。

 その重苦しい空気を破ったのは、やはりヴィクトリア殿下である。優雅に紅茶を一口含み、ことんとカップをソーサーに置くと、穏やかに言った。


「顔を上げなさい、コレット嬢。連絡なしに王女が訪ねてくれば、驚いて倒れるのも無理はない。それに、王命とはいえ、そちらの家にこれほどの無理を強いているのだから」


 そして殿下は、必死に平静を装うコレット嬢に、悪戯っぽくウインクしてみせた。

「だから、多少の無礼は『私は』気にしない。もっと肩の力を抜いてくれて構わない」


 その軽やかな口調に、コレット嬢の強張った肩から、ふっと力が抜けた。張り詰めていた緊張が、少しだけ緩んだのだろう。表情に微かな安堵の色が浮かぶ。

 しかし私は、その言葉に引っかかりを覚えた。『私は』気にしない。それは裏を返せば、『私以外がどう思うかは別だ』という意味にも取れる。優しさの中に、越えられない一線を引く冷たさ。やはりヴィクトリア殿下は、単なる気さくな王女ではなかった。


 一瞬の安堵を見せたコレット嬢だったが、殿下はすぐに視線を私へ移した。「お前の出番だ」という無言の合図である。私は背筋を伸ばし、コレット嬢に向き直った。


「コレット様、本題に入らせていただきます。お預かりしている『客人』――イザベラ様のご様子はいかがでしょうか」


 私の問いに、コレット嬢はこくりと頷いた。

「はい。母屋から離れた別棟でお過ごしいただいております。必要なものは侍女に仰ってくださいますが、私たちがお世話をしようとすると、かえって申し訳なさそうにしまして…」

 そこで一旦言葉を探すようにうつむくと、顔を上げた彼女の瞳には、先ほどまでの恐怖とは違う、夢見るような輝きが宿っていた。

「あの方は…婚約を破棄され、国を追われるように亡命してきた方だとは思えません。いつも毅然としていて、それでいて物腰は柔らかくて…。まるで物語のお姫様がそのまま現れたかのようで…とてもお美しい方です」


 私は内心、その陶酔したような言葉にわずかな違和感を覚えた。これから調査するのは国家の存亡に関わる重要人物だ。物語のヒロインではない。しかし内心を表には出さず、平静を装って続けた。


「そうですか。では、事前にお願いしていた件――客人との会話の記録や行動の監視は、滞りなく行われていますか」

「は、はい! もちろんです!」


 私の事務的な問いに、コレット嬢ははっと我に返ったように背筋を伸ばした。控えていた侍女に目配せをすると、侍女は部屋の隅に置かれた木箱を恭しく抱え、私たちの前に運んでくる。

 コレット嬢はそれを受け取り、そっとテーブルの上に置いた。

「こちらに、侍女たちが記録した客人の発言と行動の記録、それと…ご本人の許可を得て写し取ったメモや日記になります」


 テーブルに置かれた木箱を見て、ヴィクトリア殿下は満足そうに頷いた。

「よくやってくれた、コレット嬢。骨が折れただろう」

 その労いの言葉に、コレット嬢の顔がぱっと輝いた。しかし次の瞬間、驚愕の表情に変わる。殿下がすっくと立ち上がったのだ。


「で、殿下?」

「ヴィクトリア様?」

 私とコレット嬢の戸惑う声が重なる。まさか、もう席を立つつもりなのか。


 殿下はそんな私たちを面白そうに見やり、悪戯が成功した子どような笑みを浮かべて言った。

「書類は後でいい。まずは噂の客人に直接会おうではないか」


 あまりに唐突な提案に、私は言葉を失った。証拠書類に目を通し、情報を整理してから面談するのが常套手段だ。それを無視していきなり本人に会うとは、あまりにも型破りな判断だった。


「そ、そんな、今からですか!? しかしまだ何の準備も…」

 慌ててコレット嬢が引き止めようとするが、王女は聞く耳を持たない。

「案内を」

 その一言は短く、そして絶対的だった。


「は、はいっ!」

 裏返った声を上げたコレット嬢は、半ば駆け出すように部屋を飛び出した。私は慌ててその後を追った。


 ---


 別棟は、母屋から渡り廊下で繋がった、こぢんまりとしながらも品の良い建物だった。客間の前で、コレット嬢が深呼吸を一つし、震える手で扉をノックする。

「イザベラ様、お客様がお見えです」

「……どうぞ」


 中から聞こえたのは、鈴を転がすような涼やかで落ち着いた声だった。扉がゆっくりと開かれる。

 そしてそこにいた人物を前に、私は息を呑んだ。


 窓からの柔らかな光を浴びて、一人の女性が静かに椅子に座っている。

 豊かな金髪、透き通るような白い肌、そして、すべてを見透かすような、穏やかながら強い意志を宿した紫の瞳。彼女がこちらに向けた穏やかな微笑みは、まるで一幅の絵画のようだった。


 これが、婚約を破棄され、国を追われた公爵令嬢……? 冗談ではない。

 コレット嬢が「物語のお姫様」と評したのも無理はない。そこには、悲劇のヒロインにありがちな悲壮感は微塵も感じられず、絶対的な美しさと気品に満ちた優雅な姿があった。

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