息をするよに綴りたい
纏めると、創作論に関しての私の個人的な意見としては、
「そんなもん、他人に語ってたまるか! なんで手の内見せなきゃいけないんだ!」
……というのが本音であり、なるべく語りたくはない。
いや、語ったところで私の創作論などたかが知れているから、誰も読みたいとは思わないだろうが。
皆、書くことにこだわりを持っている。
皆、書くことに情熱を注いでいる。
きっとその想いこそが、創作論なのだと私は思う。
熱くなれるのは良いことだ。
これからも、皆の創作論をすこし遠くから眺めたいと思っている。
なんかそれいいかも! と思うことがあったら、遠慮なくいただく。
うははは、皆、大いに語れ!(セコい)
それとは別に、私は時々
「こういう系の話書いてみたらいいかもよ?」
と、人に言ってしまうことがある。
主にジャンルの指定である。
その書き手さんの作品を読み、才能を感じた時、我慢出来ずに駄々洩らす。
「こういう風に書けばもっと良くなるだろうになぁ」
「この人は多分、こっち方面の才能なんだよなぁ」
という、人間観察と直感と分析のたまものだ。(?)
これはまんざら外れてはいないはず。
というのも、私は人のいいところを見つけるのが好きで、更にそこを伸ばす方法がなんとなくわかる(時がある)からだ。
ずっと芝居に携わり、更に演出という仕事を長くやっていたからなのだろうか、他人の持つ「才能」というか「輝き」みたいなものを見つけるのは得意である。あと「面白」もよく探す。
もちろんこれ、私が勝手にそう思っているだけで、ただの自意識過剰な可能性が大いにある。簡単に人を信じてはいけないよ?
それに、具体的に「こっちやってみたら?」なんてことを口にしたのは数人だけ。あとは思うことがあっても絶対口にはしない。
──覚えているか?
私の心がちっさいということ。
そもそも人に助言など出来る立場ではないし、万が一、そんな立場になったとしても、積極的に助言はしないだろう。
面白い話を書く人間は少ない方がいいのだ。
あったりまえじゃないか。(ふんすっ)
今、Web上にはとんでもない数の小説がひしめいている。
そのすべてが、陽の目を見るわけではない。
どんなに頑張ったところで、努力したところで、そんなもん、みんなしている。それどころか、まったく努力してない風の人間がポッと売れて書籍化したりすることもあるだろう。(偏見あり)
つまりそれは、才能だ。
凡人は、足掻けば足搔くほどつらくなり、頑張れば頑張るほど空しくなる。
努力すれば報われるわけじゃない。
苦しんで、涙流しながら耐えて、挫折の向こう側にあるのが輝かしい未来だって?
まさか!
一生くすぶって終わる人間の方が圧倒的に多い。
我々の書いている話に出てくるような、素敵な未来など、どこにも待ってはいないのが現実だ。
……さぁ、どうする?
もう、書くのが嫌になって来たんじゃないだろうか?
いいんだよ、書くのをやめてくれて。むふふ。
わかるだろう?
決めるのは自分だ。
創作も、それを続けることも、やめることも、決めるのは自分だ。
努力の方法も、それを楽しむのも、苦しむのも、自分で選べばいい。
私は自分に、そう言い聞かせる。
こんなに大変なのだから、挑戦も失敗もみんな楽しんで、笑いながら創作したっていいじゃないか。
よく「苦労は買ってでもしろ」なんて言葉を聞くが、そんなことを人に偉そうに語るやつほど、打たれ弱く、大した苦労をしていないに違いない。
本当につらい思いをしたことがある人は、誰かに対して「苦労しろ」なんて言わないものだ。苦労なんか、しない方がいいに決まってる。「悩む」必要はあるかもしれないが、「苦労」っていうのはなんか違う。
私は楽に生きたい。(駄々洩れた)
お話を書くこと。
文章を綴ること。
それは私にとって楽しくもあり、厄介でもある作業だ。
賞金を目指している、と口では言うが、実際は自分にそんな力があるとは思っていない。
それでも、足掻いていたいし、足掻くことを楽しみたい。
大袈裟な誓いなどいらなくて、ただ好きなことを続けたいから頑張っている。どっちに転ぶか、そもそも転ぶことすらできるのかわからないけれど、こんな風になにかを綴り、それを読んでくれる誰かがいる。
もう、それだけでもかなり幸せな私を、私はもっと幸せにしたいわけだ。
欲張ることが大切。
好きなものに対してはどこまでも貪欲であれ。
探求心と好奇心。
書き続けることで得る経験値。感想、助言から得る新しい解釈。
欲張って、かき集めて、全部抱きしめてまた書いていく。
私は天才ではないから、仕方ない。
可能であるなら、明日目が覚めた時、天才になってたらいいのにとは思う。
素晴らしいお話を「ちょちょい」と書けるような才能があったらいいのにと。
更に、家のポスト開けたら札束がゴッソリ入っていて、
「世の中なんて、チョロいよな」
とか言いながら生きていけたらいいのにと、心底思っている!
あれ? また脱線した?
とにかく、だ。
創作論は、語りたい者同士で大いに語り合うのがいいだろう。
喧嘩も勝手にすればいいと思う。
筆を折りたくなったら折ってくれて構わない。
もしかしたら小説とは違う何かが待っているかもしれないのだし、私としてもライバルが減って助かる。(まだ言うか)
私は文章を綴るのが、好きだ。
呼吸をするのと同じくらい、当たり前に書き続けたい。
ハガキの裏側に。
社報の片隅に。
どこでも構わない。
言葉を綴って、生きていたい。
私と同じように、書いている仲間がいる。
皆、違う道の上にいるけれど、悩んだり、笑ったり、ふざけたりしながら頑張っている。
私は、書き友みんなが大好きだ。
これからも楽しみながら書き続けたい。
楽しんだり悩んだり、時に地団太を踏みながら書こう。
物語は、待ってくれない。思い立った瞬間を形にしなければ、どこか遠くに過ぎ去ってしまうから。
どこかの誰かに届くような、届いた瞬間、温かく弾けるような、驚きと感動と笑いを与えらえるような、なんかすごいやつを書けるようになりたい。
どうかいつか、私の文章を面白いと言ってくれたあの人の墓前に、本をお届けできる日が訪れますように……。
おしまい。
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お読みいただき、感謝です!!!