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お話に掛ける時間と出来の良さ

 さて、書き手の皆さんにおきましては、プロットの作成をみっちりやる派、大雑把派、え?プロットってなんですか派がいることだろう。

 それと同時に、書き終わった作品の推敲も、命懸け派、それなりに派、まぁ一応見ますけど派など、様々なのではないだろうか。

 推敲始めると、いつまでやればいいのかわからなくなる、という話をたまに見かけて驚く。


 私はこれ、ほとんどないのである。

 というのも、もちろん推敲はする。でも、のめり込んでどこまでも深堀りして、ああしたりこうしたり、こうしてみたりああしてみたりはしないのだ。

 時間をかけてじっくり向き合うことは大事。

 でもその「じっくり」の時間や深さは、人によっても違う。

 それに、実は私、時間をかければ必ずしもいいものになるとも思っていない。

 そもそも面白い話ってのは最初から面白いし、そこそこのお話をいつまでも追いかけるくらいなら、別の話を書きたいと思ってしまうわけで。


 はい、これ炎上案件!?(かな?)


 推敲は大事。

 もちろん、今までもこれからも、しっかりやりますとも。

 でもそれは()()()、が枕詞となるだろう。

 私は、書くのが早いらしいが(みんなの話聞いて、早いのかも?と思っているだけ)書き終わると、まず推敲。


 1回目はざっと読み、わけわからん言い回しになっている場所を直したり、私だけが分かってる風で書いてるような場所に説明加えたり、誤字脱字もわんさかあるし、なんじゃこれは!? と言いながら実行。


 2回目はもっとじっくり読み込んで、展開や台詞の言い回し、全体の流れを見たりなんだりかんだり。


 3回目はまたざっと読み、おかしな個所はなかろうか? の確認。

 更にここで少し寝かせる。(2~3日)


 4回目、5回目。

 本当にこれでいいのか、時々音読などして「、」の位置を確認する。私の書く話は脳内で映像化するから、話しているキャラの息継ぎの場所が「、」になる。でも時々1文が長くなりすぎるようで、そこは意識するようになった。

 そのくらいだろうか。


 基本、深追いはしない。

 特に長編は、そこまで大きく話を変えることはしない。

 短編の場合、そこから長編にしたりすることがあるけれど。


 書き上げた時点で、そのお話に関してはほぼ完了していると思っている。

 ブラッシュアップして、ピカピカに磨き上げる作業をして、それで「ヨシ」とする。だけどその「見直し」や「ピカピカ」が足りてるか足りてないかは、結局のところ私基準なわけで。

「もっとこうすればいいのに」

「もっと深追いして、もっと追及して、もっと」

 なのかもしれない。

 でも、それやってどこまでやるの? ほんとによくなる?

 どんどん話が変わっていくなら、それはもう、別の話じゃないか。


 実際、推敲してるうちに別のアイデアが浮かんでくることもある。そっちが良ければ取り入れることもあるが、あまりにも変更が多くなると、それなら書き直したほうが早いのでは? となる。

 私が今さっき書き上げたこの話は、出した時点で完成している。出来立てホヤホヤのこの瞬間、既に生れ落ちているのだ。それをわざわざ崩して練り回すくらいなら、この子はもうこのまま世に出しちまえ! となる。(気が短い)

 時々、人の作品を読んだ時にも思ったことがある。「直す前の方が勢いがあってよかったのになぁ」と。それを感じた時、寂しくなる。(良くなる場合の方が圧倒的に多いとは思いますが)


 この件に関しては賛否両論だろうし、考え方は皆違う。

 時間を掛ければ、その分良くなるのは間違いない。

 ただ、話がわかりやすいこと=良くなること、なのかと言われると、そうとも言えないと思うのだ。

 それに、作品をよくするための推敲の「時間」はどのくらいの長さなのだろう??

 1週間? 1か月? 1年???

 これも、人それぞれである。


 モノづくりということで言えば、私は帽子を作ったりもする。

 型紙に合わせ布を切り、縫い合わせていくのだ。

 素敵な帽子を作るのに必要なものは、なんだかわかるだろうか?

 基本的な技術ミシンとかと、経験と、「センス」だ。

 型紙を選ぶ(もしくは作る)ところから、布のチョイス。もうここまでで、出来のほとんどが決まるといっていい。いくら丁寧に縫っても、いくら時間をかけてアイロンを当てても、形と生地選びのセンスが上手くなければ、他人の目を引く素敵な帽子にはならない。


 モノづくりって、結局のところ、センスだと思っている。

 センスって、才能だ。

 だから才能がない人間は、経験と知識でセンスを磨くしかない。

 よく、募集要項Q&Aや、公募の選出基準なんかに書かれているのを見かけるが

「多少文章が乱雑でも、目新しいもの、目を引くストーリー設定のものの方が選ばれます。誤字などはそこまで気にしなくても問題ありません」

 のような文言。

 必要なのは、基本的な技術と、圧倒的才能センスなのだと思う。(公募内容にもよるし、諸説あり)


 才能は、目には見えない。

 それを所持しているのはほんの一握りである。

 そうじゃない人の方が圧倒的に多い中で、皆どうやってセンスを磨いているのかと考えた時に出てくるのが、よく聞く「インプット」というやつなのだろう。


 某SNSで創作論と並んで炎上しがちなのが

「何冊本を読むか」

 の話題である。


 知らんがな。


 読むの好きなら読めばいいし、読みたくないなら読まなきゃよかろう。知らんけど。

 残念ながら、私は本を読むのが得意ではない。

 昔から、大して読んでこなかった。読める本と読めない本もはっきりしていて、ラノベで言うとBL、百合、時代物、ホラー(グロい系)、NTR、ざまぁ、チート、ハーレム、なんかは苦手分野だ。ほぼダメじゃん。

 よく読むのはミステリーと新書。とはいえ、月に2~3冊読めばいい方だろう。圧倒的に読書量は少ないと思われる。その分、漫画を読んだりアニメを見たり、外で人間観察をしたり妄想したりはしているが。


 モノ書きは読書必須。

 よく言われている。

 言ってる意味は分かるが、説明がなさ過ぎて誤解を招く発言だな、といつも思う。


 インプットは読書じゃなくても可能だ。

 ただ、「人の文章からしか得られないインプット」というのは絶対にある。だから、読める本あるなら読んでおいた方が断然お得かもね!

 ……くらい書いておけばいいのに、と思う。

 ただ、いくら読んでも、そこから何かを得るかどうかは、読む側の能力も問われるわけで。読めばいいってものではないのではなかろうか。でも読んだほうがいい。それは間違いない。


 要は、知識の吸収なのだ。

 物知りであること、は絶対に武器だから。

 辞書一冊丸暗記、とかいいのかもしれない。


 興味を持つこと。

 好奇心を持つこと。

 本を何冊読むか、なんて話をするより、この2つが大事じゃないだろうか?

 どんなに良質の音楽を聴き続けても、楽器を奏でることはできない。

 それと同じで、とにかく書き手は「物語を書く」しかないと思うのだ。



~続く~

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