語りたがりと押し付けたがり
創作論が某SNSで炎上するのは、語り手の創作論と読み手の創作論が嚙み合わないからだろうと推測する。
だけどこれ、頑張って寄り添ったとて、噛み合うわけがないとも思っている。
前回も書いたが、創作論は書き手の数だけあるはずだ。
噛み合う部分もあれば、ぜーったいに相容れないことだってあるに違いない。
どちらかと言えば相容れないことの方が深いだろう。
多い、ではなく、深い。
こだわりポイントは各書き手さんに必ずあるはずで、こだわりがあればあるほど、そこを突かれると頑なになる。だから相容れないポイントは多いのではなく、多分、深い。
例えば、
「花」
をテーマに小説を書くとする。
書き手によって内容は様々だろう。
恋愛ものを書く人もいれば、ホラーを書く人も。詩だって俳句だっていい。
花を創作にどう盛り込むかだって違うはずだ。
大きな意味での「花」を扱う人もいれば、特定の「花」を使う人もいるはずだ。真ん中に花を置くのか、脇に置くのか、花を出さずに花を表現しようとする天邪鬼だっているに違いない。
そのくらい、みんな違うことを考えて創作しているのに、なんで創作論が合致するというのか?
んなわけないでしょ。
当たり前のことなのに、それでも炎上案件になるのは、掲げる創作論が「絶対的に正解」であるかのように、声高にババンと出すからなのだろうか?
読んだ誰かが過剰に反応して
「そうじゃない!!」
と言い返すからなのだろうか?
そもそも、自分の創作論が正しいと主張するのは、ある意味正しいと私は思う。
だけど、それを人に押し付けるのはだいぶ自意識過剰だな、と思ってしまう。
どんだけ自信あるのよ?
で、あなたその創作論で書いて、すごい作家なの?
と思うと、全然無名だったりするのもお約束。(諸説あり)
語るなとは言わない。
でも、押し付けるな、とは言いたい。
というか、そんなもん、見かけた側がいいとこ取りすればいいだけの話だ。
ここは賛同できる。でもここは私とは違うかな……で、いいじゃないか。
みんなどうしてそこまで揉めるんだ??
……と、そんなことを思っていた私だが、思い当たることがあった。
私はかつて、お芝居をやっていた。
皆、知ってるか?
役者ってのは、演劇論を語るのだ。(笑)
これがまぁ、白熱すると大喧嘩に発展する。
まさに、それと同じなのだろう。
私は理解した。
創作論で揉めるのは、熱いだからだ!
それだけ情熱を持って、創作に向かっているからに他ならない。
若かりし頃、私もよく仲間と演技や芝居について語ったものである。
今思えば、恥ずかしいこともいっぱい言っていたと思う。
でも、語らずにはいられないほど大好きだった。それは間違いない。
ただ、お芝居の場合、人の演技に口を出すのは「演出家」の仕事であり、役者同士でやることは殆どない。他のやつがどんな芝居をしてようが、知ったことではない(あまりに下手とか、相手をしててやりづらいとかがなければ)のである。
役者は、自分がいかに舞台上でいい芝居できるか、それだけ考えていればいい。
それに比べ、「書く」という作業は団体でやるものではないし、お芝居とは違う。書いている間は独りだし、Webに上げても読んでもらえなければそこでも独りだ。(ガーン)
いかに読んでもらうか。
プロデュースまで含め、全部考えなければならない。
なんだか大変だな、書くって!!(今更)
でも、多分この「孤独」ゆえに、語りたがりや押し付けたがりが出てくるのではないだろうか……などと考えたりする。
仲間が欲しい反面、その仲間は敵でもある。
書籍化を目指していない、趣味の書き手さんはまた違うかもしれないが、「自称、孤高の書き手」を気取って、偉ぶっている(?)人を何人も見かけた。
もっと普通に楽しくてよくね? と思ったけれど、孤高の書き手からすると、そういうのは「甘え」とみなされるようだ。
創作論は、大いに語ればいいと思っている。そして目にしてしまったなら、読んでしまえばいい。
それは自分とは違う視点で「創作」を見る機会にもなるだろう。
けれど、人の創作論を鵜呑みにする必要などない。自分とは異なる意見を誰かが口にしていても、それは当たり前。
某風邪薬と同じで、
「あなたにはあなたの創作論」
があるのだ。
そして、言いたい。人の創作論にケチをつけるなど、以ての外だ。創作の数だけ創作論は存在し、明確な答えなどどこにもない。それくらいわかるだろう?
お話に感想を送るのと、書き方や意欲に対してケチをつけるのは全く違う。人を見下すことでしか自分を上げられないような輩は、朽ちて滅びてしまえばいい!(諸説あり)
有難いことに、私は書き友さんに恵まれている。
私の作品を読んでくれて、感想をくれたり、叱咤激励?してくれたり。
楽しみながら書けているのは、周りのみんなのおかげに違いないと、いつも思っている。
そして、時々駄々洩れる「私的創作論」みたいなことを近況にチロチロ書くと、皆が「私はこうやってる!」「自分はこういう感じ」と教えてくれる。私はこうして人の創作論を引き出し、いいとこ取りをするのである。(ぇ
忘れてはいけない。
私の心は、ちっさい。
そして、せこい。
……話が逸れた。
お芝居の話で例えるなら、カクヨムというサイトが舞台で、書き手は役者。独り芝居だから、舞台上には自分しかいない。でもそれはかえってわかりやすくて、
「自分の話をいかに輝かせるか」
だけを考えていればいい。
演出家はいないから、誰も導いてはくれないけど。
いただいた感想や反応を見ながら、自分で自分をプロデュースするしかない。
ここで気を付けなければいけないのは、感想をくれる人=演出家、ではないということ。
誰かの感想や意見はとても嬉しいし有難いけれど、それが絶対なわけではない。経験ある方もいるかと思うが、たまに、感想に意地悪を書いてくる人もいる。明らかにそうではないことを書かれることもあれば、抽象的な言葉で攻めてくることもある。ネチネチと、くだらない嫌がらせをしてくるやつは、確かにいる。私以上にちっさいではないか!
我々は「書く」人間であると共に「読む」力も必要だ。
意地悪を書かれたときに
「ああ、これはただの意地悪だな」
と判断できるくらいには、読む力がないといけない。そうでないと、「あなたのためを思って」という名の、ストレスのはけ口にされてしまうからな。
~続く~