国を出たい
「え…………」
思いがけない言葉を言われて、間の抜けた声が出た。驚く私に、サイモン様は話を続けた。
「今回の襲撃で、今、王都はめちゃくちゃだ。どこも混乱していて、正確な把握ができていない。だから、今がチャンスなんだよ」
「待っ……待ってください。どういうことですか?いえ……そもそも、さっきのはどういう仕掛けなんですか?突然火が消えて……。王城の様子も知りたいです。サイモン様。あなたが何か知っているなら、全て教えてください」
「もちろん。でも、先に聞かせて、アマレッタ。きみは、この国を出たい?家を捨て、国を捨て、自由になりたいというのなら、僕はそれに協力する」
「何を──」
サイモン様とは、夜会やティーパーティーで顔を合わせたら、挨拶をする程度の仲だった。私と彼は三大公爵家の一員だ。幼い頃からの付き合いでもある。
いわゆる、幼馴染、というものだ。
関係は、だいぶ希薄だが。
私は、彼の突然の言葉に面食らったが、すぐにサイモン様は本気だと知った。彼は、真っ直ぐに私を見ている。
本気で、聞いている。
「逃げるなら今しかない。状況の把握が出来ていない、混乱している今なら」
「そ、れは」
私は、自ら髪を切り、貴族であることをやめた。
サイモン様も、私の短い髪を見ている。貴族の娘として有り得ない髪の長さだ。
だからこそ、彼は言っているのだろう。
「……だけど、私には責務があります。私は、春を司る稀人。セミュエルを捨てることは」
「そのセミュエルの王家は、きみを良いようにしている。きみという婚約者がいながら平民の女を愛人にし、都合よくきみを使っている。僕はずっと……ずっと、この状況に思い悩んできた。それは、きみも同じでしょう?」
「…………」
「今、決めて、アマレッタ。この機を逃したら、僕はもうこんなこと、二度と言えない。この混乱にかこつけて、きみを国外に逃がす。僕には、これくらいしかできないけど──僕は、幸せになって欲しいんだ。苦しむきみを、見たくないんだよ。アマレッタ」
「サイモン様……」
彼の眼差しは、真っ直ぐだった。
真摯な瞳に射抜かれて、私は当惑した。
気持ちはもう決まっていた。
セドリック様の本音を知ってから。
私の行く末を知ってから。
ここで、飼い殺しにされるのではなく。
私は、私のために生きたいと。そう思っていた。
でも、最後の理性が。
アマレッタとしての矜恃が。
その選択を押しとどめる。
だって、私はこの歳まで貴族として育てられた。
衣食住に困ることも無く、貴族としての特権を受容して生きてきた。
それを無下にし、自分の楽のためだけに全てを捨てる。恩を仇で返す行いだ。
私が、貴族として生きてきたこの十七年間。
愛はなかったけど、母は、父は、金はかけてくれた。
それは、事実なのだ。
それに私が国を出れば、セミュエルに春は訪れなくなる。
苦しむのは── 無睾の民だ。
沈黙する私に、サイモン様が私を呼んだ。
顔を上げると、やはり彼は私を真っ直ぐに見つめている。
「僕は、幼馴染としてきみの幸せを願っている。貴族がどうの、とかじゃなくて。……個の幸せを……なんでもいい。ちっぽけなものでいいんだ。少なくとも、今のきみよりはずっと。今のきみは……いや、少し前から。きみは、ずっと苦しそうだった。悲しそうだった。きみのこころが、感情が、殺されていくのを僕は目の当たりにした」
「サイモン様……」
「何も出来ず、すまなかった。必要以上にきみに接すれば、要らない噂を招く。……言い訳だ。僕は、自分の保身のために、動かなかった」
彼は、なにやら思い詰めたようだった。
彼が、そんなふうに思っているなんて、知らなかった。
白銀のまつ毛が伏せられ、青の瞳が覆い隠される。
「……だから、これは僕の贖罪だ。自己満足なんだよ」
彼は、そう言って、私をまた見つめた。
力強い眼差しだ。
(……そっか。そう……そうなのね)
私は、家族の愛など知らなかった。
家族の愛に触れたこともなかった。
だから、愛がどういうものか、分からなかった。
だけどこれも。
ひとつの、愛の形なのだろう。
それをひとは友愛、と言うのだろう。
(……私は、アマレッタは、ひとりぼっちじゃなかった)
それを、知れただけでも。
そう思った時、私たちの会話を聞いていた私兵が、おずおずと声を上げた。
「お嬢様……アマレッタ様。国を出てください」
「あなた……」
驚いて振り返る。
彼は、交戦時に傷を負ったのか、あちこちに擦り傷を作っていた。彼もまた、サイモン様のように真っ直ぐに私を見ている。
「ずっと、ずっと。お嬢様を見てきました。私たちは、お嬢様の味方です。お嬢様の幸せを、追い求めください」
「私も同じ意見です」
「恐れながら、私も」
私兵たちは、みな同じ意見のようだった。
それに、唖然となる。
サイモン様は、そんな彼らを見て困ったように笑った。
「ああ、ほら……。きみは、愛されてるんだよ、アマレッタ。鳥籠の中で過ごしたきみには実感が湧かないんだろう。時間をかけて、きみの尊厳は、ひととしての意思は、とことん貶められた。……もう、自由になる時だ」
「……私を、外に逃がす手助けをしたと知れたら、サイモン様も危ないのではありませんか?」
私が国の外に出たら、この国に春は訪れなくなる。春が来なければ、ずっと、ずっと冬のまま。
私が国を出ることは、セミュエルそのものを見捨てることを意味しているのだ。
私が尋ねると、彼は首を傾げて笑って見せた。
「うーん。バレたらまずいね。処刑かな。でも、大丈夫だよ。国のことも、心配はいらない。しばらくの間なら、きみ抜きでもなんとかやってみせる。……もともと、きみの境遇を見て見ぬふりしていたんだ。気にすることはない」
「でも」
「アマレッタ。細かいことは良いんだ。今は、きみの気持ちを教えて。きみは、どうしたい?国を出たい?ここを出て、自由になりたい?……答えは、イエスか、ノー。その二択だ」
「──」
ふたつの選択肢を突きつけられた私は、息を呑んだ。
思うことは、たくさんある。
私が、稀人が国を出るなんてとんでもないと思う気持ちもある。許されない、とも思う。
だけど、だけど──。
それら全てを抜きにした時。
自分の気持ちに素直になるのなら。
私の答えなど既に決まっていた。
「……国を、出たい」
ぽつり、言葉を零す。
たった一言だったけど、それで、私の人生は決まったように感じた。
声に出したら、言葉の重みを感じた。
それと同時に──覚悟も、した。