あなたの人生、私の人生
「怪我を、していたんだね」
そういえば、彼には言っていなかった。
あの時──オリビアが部屋を訪れた時は、水をかけれただけだったから。
「すまなかった」
その謝罪に、目を瞬いた。
彼は、気に病んでいるのだろうか?
私が、怪我をしたことを。
だけどこれはオリビアがやったことで、サミュエル殿下のせいではない。
それを言いたくて、私は口を開いた。
「この怪我を気にされているなら決してサミュエル殿下のせいではありません」
「いや、俺のせいだ。きみは、俺を責めていい」
「えっと」
断言されてしまい、返答に迷う。
サミュエル殿下が、窓の外に視線を向けた。
依然として、外は大雨が降り注いでいる。
「きみのことは俺が必ず守ると言っておきながら……情けないな」
私は、困惑していた。
この怪我はオリビアがしたことだし、サミュエル殿下は──間接的には関係があるのかもしれないけど。それでも、彼のせいだ、と責める気にはなれない。
きっと、彼は必要以上に責任感を感じている。その、以前の私──予言の中で出会った私を、助けられなかったから。
きっとそれが、今も尾を引いているのだ。
「サミュエル殿下のせいでは、ありません」
しっかりと伝えたくて、私は言葉を区切って彼に言った。
サミュエル殿下が私を見る。
私は、彼のはちみつ色──夜だから、少し暗いその色を見つめて言った。
「彼女の気持ちを宙ぶらりんにして放置したことは良くないと思いますけど……この怪我を、必要以上に重く受け止めなくてもいいんです」
「……だけど」
歯切れ悪く、彼が言う。
私は彼の言葉をさえぎって言った。
「過去、ここではない世界線で。ほかの私が、あなたとどんな会話をして、どんな出会いをしたのかは分かりません。ですが、サミュエル殿下」
私は、彼の名を呼んだ。
彼は私を助けてくれる理由を、 自己満足と言った。彼のワガママだ、とも。
だけど、違うのではないか、と感じ始めていた。
彼は、確かに私に責任を感じているのだろう。
「私の、人生です」
「──」
「人生は、選択の連続です。数多ある選択のうち、どれを選び取るか。みなが毎日、毎秒、無意識にその選択を行っている。その結果、何が起きたとしてもそれは私の責任で、決してあなたのせいではありません。私の人生の責任は、私が持ちます」
もっと、早くに言うべきだった。
彼は、罪悪感に囚われているのだ。
セミュエル国で私を助けられなかったことを、酷く悔いている。
だから、こうして過保護なまでに私に接するのだ。
私は、彼の気を和らげたくて、笑いかけた。
「自分の人生ですもの。自分で、責任くらい取らせてくださいませ。あなたが持っている責任、私に返していただけませんか?それは、元々は私のものですから」
柔らかい口調を意識して、茶目っ気たっぷりに言った。
いつまでも、そんなものに縛られているべきではない。
彼にも、彼の人生があるのだから。
私が言うと、サミュエル殿下は目を見開いて──それから、泣きそうに笑った。
困ったように、それでいて、苦しそうに。
「きみは……」
と、その時。
背後から声をかけられた。
「あれ、誰かいるのか?」
てっきり、私たち以外誰もいないものだと思っていたので飛び上がるほど驚いた。
しかし、サミュエル殿下は特に驚いた様子もなく声のした方を見ると──。
「見回りの兵士だ。見つかると少し厄介なことになるな」
確かに、ただの平民に過ぎない私と、第二王子のサミュエル殿下が一緒にいるところを見られるのは良くない。
密会をしていたのかと勘ぐられるだろう。
私も頷いて答える。
サミュエル殿下が、踵を返して、ふと。足を止めた。
何か言い忘れたことでもあるのかと思って見ていると、彼が呟くように言った。
「きみの人生は、確かにきみのものだ。だけど、俺はやはり、きみの幸福を望んでしまう」
「サミュエル殿下」
彼の名を呼ぶと、私が何を言うより早く、彼が言った。
「きみにはきみの人生があるように、俺にも俺の人生があるのだろう?なら、俺は、俺のしたいようにやるさ。おやすみ。アマレッタ、いい夢を」
そう言って、サミュエル殿下は去っていった。
私の部屋はすぐ目前だ。
私は見回りの兵士に見つかる前に、自室に飛び込んだ。
「…………」
何はともかく、明後日の出立に備えなければならない。
私は、静かに目を閉じた。
雨の音だけが、静かに聞こえる。




