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罪悪感の始まり(1)

私がこうなってしまった出来事がある。


私がまだ小学生の頃。

私は父、母、私と妹の4人家族で、徒歩5分内に祖母が独り暮らしをし、その圏内に父の兄の家族が住んでいた。

さらにいえば近所にはわりと多くの親戚が暮らしていた。

かなりのどかな田舎で近所付き合いが密な感じだった。

助かる部分もあったと思うが、母にとっては息苦しさが多かったと思う。

父は生まれ育った環境で当たり前のことも、今思えば母には当たり前ではなかった。


親戚が近くにいることは、多くの監視があるがあるということだ。

私が小さい頃には祖父も生きていて、かなり頑固な人だったのを覚えている。

多くを話さず、身の回りは祖母が多くを担い、家事育児は女仕事だと当たり前に思っている人だった。


母はいつもその環境に戸惑い苛立ち、些細なことにも終始気が張っていた。


少しでも外に出たいと働くことを父に相談し、実際働き始めたのは私が小学生に上がる頃だった。


小学校から直接、私は祖母の家に帰る。

そこには当たり前に、親戚の子供が数人ほど常にいた。

子供たちは各々宿題をしたり遊んだりして、親の迎えを待った。

私も宿題をして、祖母から料理や裁縫などを教わった。

親戚には女の子が少なく、私が祖母の家に出入りしていたときには私だけだった。


だからなのか、祖母は私を可愛がってくれていた。


手先が器用な祖母に色々教えてもらうのは楽しかった。


祖母は母にかなり優しく接していたのを覚えている。

祖母も母と同じで嫁いでここで暮らすことになり、苦労したのだと思う。

祖父が厳格な分、祖母はおおらかな人だった。


私が小学2年生の時に祖父が他界した。

田舎の割りと広い家に祖母は独り暮らしになった。

最初こそ祖母は祖父の看病疲れで体調を崩したが、体調が戻る頃には解放された分、楽しそうに様々な趣味を謳歌した。

ゲートボールやシニア合唱団、町内婦人会の旅行など、祖父がいた頃には出来なかった事を自由にしていた。


田舎の息苦し環境でも自由に飛び回る祖母が私は大好きだった。


それでも独り暮らしは淋しいのではないかと、時々私は祖母の家に泊まっていた。


その頃はまだ私は幼く、何も知らなかった。


梅雨が始まり夕方前なのに雨で白く靄がかかり、薄暗かった。


その日は小学校の授業が4時間目で終わり給食を食べて、その足で祖母の家に寄った。

ちょうどまだ祖母が家にいて出かける前だった。


「今から合唱団の練習があるけど、一緒に出かける?」

と、祖母は手早く私におやつを出し、荷物を準備していく。


「宿題して、ゆっくりしとく。」

と、私が答えると“早めに帰って来るね”と伝えて祖母は楽しそうに出掛けた。


私は宿題をして、その後はうとうとと寝てしまっていた。


外では雨に濡れ、栗の白く小さな連なる花の独特な匂いがしたのを、薄れる記憶に覚えている。



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