幸福の分岐(1)
私は慣れない作業や会議に追われていた。
商品開発事業部に配属されて、3ヶ月が過ぎた頃だった。
「リナさん、母の具合が悪いみたいで1度実家に帰ろうとうと思います。2、3日来れないのですが…。」
ユウくんは夕ごはんの準備をしている時、私に申し訳なさそうに言った。
ユウくんは就職を機に1人暮しを始めた。
祖父母の家から割りと近くに住んでいる。
「私なんかより、お母さんを優先して。大丈夫だから。」
私は彼に微笑んだ。
既に私の手首の傷は少し痕にはなってしまったが、落ち着いていた。
その過ぎた時間だけ、彼に支えられた。
彼を、彼の大事にしている人を大切にしたいと思った。
「…母、長くないんです。子宮体がんと聞きました。他にも転移しているようで、家族でどう治療するのか話をしてきます。もちろん、母の希望が優先ですが…。」
ベッドに入り私を抱きしめて、私の頭に顔を埋めながら静かに話す。
彼はいろんな思いを巡らせて、少し苦しそうだった。
私は彼の背中に腕を回し、
「頼りにならないかもだけど、話くらいは聞くからね。」
少しだけ強くハグをした。
翌日、1人で夜ゆっくりしながらユウくんがいないことを実感した。
スマホの着信音がしたので、電話に出る。
「リナさん、明日、僕の実家に来てもらえませんか?母が会いたいみたいで…。難しいようなら断って下さい。」
ユウくんが遠慮しながら話しているのが分かった。
私は“大丈夫だよ。行くね。”と伝えた。
「すみません。今日家族と話をしたんですが、母は母の希望で延命はせず、緩和ケアをしていくことになりました。まだ、元気なうちにリナさんと話がしたいみたいで…仕事が終わる頃に会社の近くまで行きますね。」
と、電話が切れた。
ユウくんのお母さんが私になぜ会いたいのかはわからなかったけど、少しでも彼の希望を叶えたかった。
1人でベッドに入ると冷たくて、なかなか寝付けなかった。
この部屋にはあちこちに彼の面影がある。
気がつかないうちに寄りかかりすぎている。
何度か目が覚め、諦めて起き上がった。
まだ薄暗い窓の外を眺めた。
「パウンドケーキでも焼こうかな?」
冷蔵庫と棚にある食材を見て、計りとボールなどを出した。
何か喜んでもらえたら嬉しいと思った。
朝から甘い匂いが部屋中にした。
焼き上がり、急いで出勤準備をして、ケーキを包んで手提げに入れた。
エイタとのことがあって4ヶ月、久しぶりに少し心が弾んでいる。
初対面の人に会うのは緊張するけれど、ユウくんの大事な人達に会うのは楽しみでもあった。
バスに乗り、会社に向かいながら時々手提げの中身を確認して、嬉しくなった。
私にもまだこんなに楽しい気持ちが残っていたことに、自分でも驚いていた。




