罪悪感の始まり(6)
それから夏休みの間、時々エイタが来ては私の服を乱暴に脱がし、全身舐め回した。
早く終われと思った。
エイタの股間を身体に押し当てられ触るように言われ、恐くて従った。
早く解放されたいと必死だった。
何日も何日も同じような日々を過ごした。
あれからもう20年近く過ぎているのに、私は上手く眠ることが出来ない。
朝になったらまたひどく辛いことが起きると、怯えていたからだ。
もちろん、あの時から酷いことなどは起きてはいない。
エイタは次の春に少し距離のある高校に入った。
それからは何も起きなかったが、それまで私は怯えながら暮らしていた。
あの時期から少し人と関わるのが恐くなっていた。
してはいけないことをされている認識から罪悪感が常にあった。
人と関わるのが恐くなる反面、誰もいないことにも同じように思った。
誰かに普通に接してもらうことの安心感をどこか求めた。
ただ、ここにいることがつらく、出来るだけ早く家から出ようと思った。
エイタは高校に行ったまま県外の専門学校に行き、なかなか顔を会わせることもなくなった。
エイタが出席することはなかったけれど、それでも私は親戚の集まりは出来るだけ参加しなかった。
私も高校進学の際に県内の少し通うのが難しいところを選び、嫌な思い出のある家から離れた。
祖母は淋しいけど頑張りなさいと言ってくれていた。
両親も寮に入るならと進学は許してくれた。
人に深く踏み込まず、一定の距離をとりながら過ごした。
急に後ろから声をかけられたり、必要以上に誰かに触られたりするのがやはり苦手だった。
特に男の人が近くにいることがつらく、女子高を選んだ。
成長するごとに落ち着いていたが、上手く人と関わるのが苦手なままだった。
大学生になっても相変わらずだった。
ただ、高校に入ってから気がついた。
私は美人ではなかったが、そこそこかわいい部類に含まれる事を知った。
実家にいるときは小さい頃から知っている人ばかりで、あまり容姿を比較されることもなかった。
保育園から中学生までは同じ顔ぶれで、そこまで意識するものでもなかった。
だから、高校生になって声をかけられることもたまにあった。
最初は急に声をかけられることも男の人が近づくのもしんどかった。
高校からの友達のヒナコが、
「かわいいのに自覚はあるのか?」
とダイレクトに聞いてきたことがある。
中学生までは出来るだけ普通に、はみ出さないようにだけ気を付けた。
誰にもあの事を問いただされることもなかったが、目立たないようにしていた。
必要以上に人と関わらないようにした。
両親は反抗期の一貫と思っていたが、祖母は時々、何か困っているなら相談してね、と気にかけてくれた。
「からかわないでよ。かわいいなんておばあちゃんくらいしか言ってくれないよ。」
と私が言うと、ヒナコがまたばあちゃん…とあきれていた。
数人の親しい友達にも踏み込めなかったが、ヒナコは15年くらい私を気にかけてくれている。
親友にすら相談できないまま罪悪感は続いている。