表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

第七話 月氷る

 ――朧月(おぼろづき)が氷る夜、白葦(はくい)(みやこ)は濃い霧に包まれていた。

 昼間、気持ちよく晴れたことで、(みやこ)の東隣にある大きな湖、老沼(おぬま)から立ち流れて来たのだ。

 神の気配を身近に感じられる自然現象も、在番の衛士(えじ)たちにとっては視界が悪くてたまったものではない。少しでも見通しがよくなるようにと、篝火を多く焚いてみてはいるが、大して効果があるものではなかった。

 けれど、初冬の風物詩であるこの光景も、今日はどこか様子がおかしい。


 音がしない。


 そのことに夜番の市中見廻り組がいち早く気付いた。ただし、それはすぐに訂正された。音がしないのではなく、とても狭い範囲にしか声も音も届かないのだと。

 そうなれば、市中に住まう法師(ほうし)陰陽師の誰それか化生(けしょう)の類いが、悪さの一つでもしていようかと考えるのが、武部(もののべ)の夜番の(つね)であり規則であった。急ぎ卜部(うらべ)の陰陽師に合力を求め、同時に武部(もののべ)の昼番の者を叩き起こして数を増やし、碁盤のように何条もの道が交差する市中を警戒するのだ。

 彼らは市中を警戒した。それが市中見廻り組に与えられた役目だからだ。

 そして、武部(もののべ)の次席である弓削(ゆげ)千晴(かずはる)は、市中見廻り組から報告を受けるとすぐに近衛に命じて、白葦(はくい)の国を治める白帝(はくてい)御座(おわ)します宮城(きゅうじょう)の守りも固めた。卜部(うらべ)の棟梁である蒲原(かんばら)天元(てんげん)から、その才を見込まれて娘を(めと)っただけのことはある見事な対応の早さだった。


 だから、葦那(あしな)大社(おおやしろ)に忍び込む罰当たりな人影に気付かなかったのだ。


御言女(おことめ)様、これこの通り、過日のお約束に基づいて御迎えに参上(つかまつ)りました」


 カヤの寝所には霧を纏い、巫覡部(きねべ)の口覆いを着けた男が三人、彼女を囲むように片膝を立てている。

 丸坊主の大男が揺り起こせば、カヤは途端に総毛立ち、その目を更に真ん丸と見開いて、今にも悲鳴を上げそうに口を開いた。

 思わず短髪の男が口を覆うために手を伸ばすが、もとより悲鳴など出せないことに気付いて、すぐに引っ込める。


「驚かせてしまってすみません。庵原(いはら)狐太郎(こたろう)にございます。すぐにここを()ちますぞ」


 寝所の外からは慌ただしい物音も聞こえてくるが、どのような塩梅か、音は聞こえるそばから過ぎ去っていく。

 幾人かの気配が通り過ぎたところで、ようやくカヤは天球の面々であると思い至った。

 小平はおらず、庵原(いはら)左兵衛(さひょうえ)図書(ずしょ)が、真剣な目つきでそこにいる。そこにいるのだが、気配は朧気(おぼろげ)で言い表せない感覚を覚えた。


(しか)らば御免(ごめん)


 もう、何かの刻限なのだろう。

 庵原(いはら)が手近な小袖をかけてひょいっとカヤを俵に担いだかと思うと、舞良戸(まいらど)を無造作に開け、そのまま庭に降りた。庭に降りたところで、巫覡部(きねべ)の者が廊下を歩いていたが、視界に入ったはずなのに気にした様子もない。

 広い境内に出た後などは、つい先程まで慌ただしかったことなど忘れてしまったかのように、夜霧に包まれた大社(おおやしろ)はしんと静まり返っていた。

 そればかりか、どれだけ目を凝らしても大社(おおやしろ)付きの衛士(えじ)の影も見えない。

 そのことは想定外だったのか、庵原(いはら)たちの足は数瞬止まり、しきりに辺りを見回しながら再び進み始めた。

 しかし――


「春の野に 霧立ち渡り 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る」


 よく通るその声は低く、それでいてほのかに甘い。

 刹那、辺りの霧が次々と弾けるように紅色の花びらに変わり、舞い散った。

 これもまた彼らの想定の外。

 険しい顔の庵原(いはら)がカヤを立たせ、背後に回るよう小声で囁く。

 やがて、紅色の花吹雪が晴れると、そこに佇んでいたのは袴を括り上げ、卯の花色の童水干(わらわすいかん)を纏う若い男だった。その烏帽子からは、五芒星と北斗星の描かれた札が凛として下がり、顔の右半分を覆い隠している。


「くそ。ここにきて蒲原(かんばら)の陰陽師かよ」

「賊徒ども! すぐに御言女(おことめ)様を返せ!」


 庵原(いはら)が小声で弱音を吐露すれば、若い陰陽師は威丈高に声を張り上げる。

 それに最も反応したのは、賊呼ばわりされた天球ではなくカヤだった。

 記憶の中のその声に、庵原(いはら)の大きな背中からひょいっと顔を覗かせれば、すぐに向こうも気付き、視線が交差する。

 カヤは相手の名を叫びたかった。

 けれど、諦めた。

 白い玉砂利がぎゅっと鳴る。

 駆け出したかった。

 けれど、左兵衛(さひょうえ)の腕に阻まれて結果を理解した。


「カ……、御言女(おことめ)様! すぐに俺がお助けいたします!」


 若い陰陽師が再び声を張り上げ、左腰に()いた(つるぎ)をすらりと抜いた。

 ほぼ同時、左手の人差し指と中指で形代(かたしろ)を挟み、顔の前に出す。


「我、冥府の大王に願い奉る。不浄の魂を導く閻羅人(えんらにん)を参らせたまえ」


 ふいっと形代に息をかけて飛ばせば、それは見る間に膨張し、身の丈七尺にも及ぼうかという一本角の大男、有り体に言えば鬼が現れた。

 次いで、冴え()えとした月の如き輝きを放つ(つるぎ)を、高々と掲げて声を出す。


「我が宝剣(ほうけん)に宿れ」


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 だが、事実としてあれほど存在感を放っていた鬼は消え、若い男が握る剣の輝きは、より強く、いっそう冷えたものになっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ