第六話 魚影
「へえ、巫覡部のお姫様でございますか! 流石は兄貴です。たいそうお手柄ではないですか!」
神妙な顔を作って事の次第を話し始めた庵原だったが、小平がつぶらな瞳をキラキラと輝かせてしきりに褒めるものだから、今ではすっかりしたり顔である。小平も小平で庵原が喜ぶ勘所をよく弁えているのか、それとも天性のものか定かでないが、実に良い調子で首を縦に振ったり大袈裟に感心したりするから、尚の事であった。
「うむ! こいつは実に大手柄だ。であるからして、小平よ。丁重にも丁重を重ね、更なる丁重さをもって御言女様に接するのだぞ!」
「へい!」
だから、庵原もついつい良い調子になってしまうのだが、それも含めて、図書の大人げない学者然とした態度も、左兵衛の口数の少なさも、全てがカヤにとっては心地よく、一年ぶりに頬を緩めることができた時間だった。
そして一週間後。
阿和村と草浜村の中程にある兎島村の、その村はずれの丘の上に佇む白穂神社の境内にて、小平を除く天球の面々とカヤは、都の役人を待ち構えていた。
やましいことをしているわけではないが、朝廷に隠れ家が見つかるのは色々と具合が悪いため、交渉することなく天球側が一方的に決めたのだ。
果たして期日通りに朝廷の御使者は来た。それも沢山の兵を引き連れて。
丘の上からは、白穂神社の周囲を取り囲むような布陣が、それはよく見えた。
国内の村落を赤烏に襲撃され、剰え御言女を奪われかけたことなど、朝廷としては大いに隠匿したいはずなのだが、阿和村で多くの住人が目撃者となったことから、口に戸は立てられぬと思ったのだろう。わざわざ武部の棟梁である武部一胤が自ら出向いて、阿和村巡行の倍ほどの兵士を動かしてやってきた。或いは、どこへ潜んでいるとも知れない、赤烏の間者へ見せつけるためであったかもしれないが。
やがてゆっくりと石段を上がってきたのは、藤色の直垂に指貫袴、烏帽子の男。
「やあやあ、ぬしらが天球と申すか。某、武部一胤と申す。此度の御言女様救出、まことに大儀であった。礼を申すぞ」
「恐悦至極に存じます」
武部一胤の人と為りなど、庵原は知る由もなかったが、巫覡部や蒲原と並ぶ御三卿という先入観が容易く否定されるほど、人懐っこい笑みを浮かべている男だった。
加えて、通常であれば相手にもしない真贋の定かではない情報をもとに兵を動かし、そして朝廷が表立っては禁止し、裏では黙認している胡乱な野祓い屋などと、神社の境内で供の者もいるとはいえ生身で対している。
実に、得体が知れない。
これをもってして、庵原は下賜されるであろう金子を吹っ掛けようとしていたことを完全に諦めた。彼は内心、蒲原の者が来なければ良いと思っていたが、それよりも厄介な虎狼の類いが出てきてしまったのだと、そう直感したのだ。
「――さて、御言女様も無事に本陣まで御迎えできたところで、手短に用を済ませることにするが、これがぬしらへの褒美じゃ。受け取るが良い」
武部一胤がずいっと前に巾着袋を出すが、内側から押し出されている形からして、中のものは銭貨ではない。恐らくは豆板銀であろうと思うが、それにしてもあの量である。恐らく四人で一年間は暮らしていけるだろう。それほど御言女というのは白葦にとって重要なのであろうが、或いはそれに別の意味も込められていると推測することも容易だった。
頭を下げたままの庵原が、少し目を動かして金襴の巾着袋を一瞥すると、そのまま武部一胤の一歩前にぶつけるように言葉を出した。
「憚りながら申し上げます」
「……申してみよ」
声の震える庵原に対して、武部の表情は変わらず、実に穏やかである。
「その、二つほどお願いの儀がございまして、一つ目は御言女様はご両親にお会いしたいと申しておりましたもので、あの、何卒ご配慮のほど、よろしくお願い致します」
「ふむ、左様であったか。善処しよう。だが、某の一存では決められぬ。二つ目は?」
「褒美は半分でも構いませんので、身どもへの監視、と申しましょうか、それをやめて頂きたいのです。この件は決して口外いたしませぬ」
「ふむ」
それを聞いた武部一胤は巾着袋から鈍く光る豆板銀をごっそりと取り出して、お供のお盆に乗せると、「面を上げよ」と、やはり柔らかく声を出した。
その声に庵原が顔を上げれば、巾着袋がキラキラと輝きながら彼の胸元に放られ、ドチャリという音とともに、その重みが伝えられた。
そして武部一胤はもう四十も越えているだろうに、悪戯をした子供の如くにニンマリと笑うのだ。
天球の面々はしまったと思うが、もう手遅れである。
「安心せい。ぬしらへの監視などあくまでも常のものでしかあらぬし、海内に才気煥発と評判の佐々木図書を失うには惜しい。だが、半分で良いと言うたお主の忠心、まことにあっ晴れである。……減らしたものは戻さぬからな?」
「くぅぅぅ……」
「これにてさらばじゃ」
武部一胤と供の者は、意気揚々と石段を下りていき、残ったのは中身が半分に減らされた豪華な巾着袋と、肩を落とす庵原、それを呆れたように見る図書と左兵衛だった。
逃した魚は実に大きい。
それも重さとして実感できるのだから、余計だろう。
けれど、その後の三人の表情はどこか満足気でもあり、どこか緊張感を感じさせるものでもあった。




