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噤呪の巫女(きんじゅ の みこ)  作者: 津多 時ロウ
第七章 噤呪の巫女
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最終話 噤呪

「予想以上に内府(ないふ)殿は危険な状況のようですので、さっさと組分けをしましょう。魂抜(たまぬ)きは、星辰(せいしん)殿を筆頭として、弓削(ゆげ)殿、私。封魂(ほうこん)はゲンタ殿を筆頭に、左兵衛(さひょうえ)殿とカヤ様。カヤ様と庵原(いはら)殿は――」


 それぞれの役割を背負い、七名は再び死地に突入した。


「運べ、白鷺(しらさぎ)


 まずは庵原(いはら)が大きく静かな白い鳥の式神を出す。それは音もなく凛として地面に立ち、天元(てんげん)をじっと見ていた。

 庵原(いはら)は間髪を置かずに呪符の束を構えて宙に飛ばし、再び式神を顕現させる。


「導け、死出の蝶」


 声とともに無数の蝶が現れ、空間を紫黒(しこく)に染める。

 だが、この蝶もそこに漂うだけで、すぐに天元(てんげん)に向っていくわけではなかった。

 では、なんのために出したというのか。

 庵原(いはら)が立ち止まって式神を出した後、二手に分かれた六名は天元(てんげん)にどんどん近づいていく。

 蝶の半分は彼らの前を舞うように飛んでいて、道案内をしているようにも見えたのだが、すぐに別の目的があることが分かった。


羅睺(らごう)招来(しょうらい)


 天元(てんげん)が再び黒炎の竜を放ち始めれば、それは意志を持った生き物のようにゲンタたちに襲いかかった。

 そのとき、蝶が舞った。

 黒々とした蝶が黒々と燃える竜に立ち塞がり、ぶつかったかと思うと、吸収していく。竜に、ではなく、次々と放たれる黒炎の竜が、無数の蝶に吸収されて消えていく。

 蝶も数を減らしていくが、全体の数からすれば微々たるもの。しかし、意志を奪われているとはいえ、それでもなお同じ術を放ち続けるほど、天元(てんげん)は頑固者ではない。

 彼は二枚の呪符を宙に放ち、静かに唱える。


滅尽(めつじん)轟雷(ごうらい)


 あろうことか、洞窟内に雷鳴が轟きわたり、全ての光を吸い込むような昏い紫電が二度(ほとばし)る。それは(まばた)きすらも許さぬ時間で二手に分かれたゲンタたちに伸び、一瞬のうちに彼らを炎と黒煙で包み込んだ。

 だというのに、その様子を眺めている庵原(いはら)の顔に焦りは見えない。

 なぜか。

 じきに、火煙(ひけぶり)から駆け出す影があった。ゲンタたちだ。その体に傷はなく、火傷もなければ、(きぬ)も焦げていない。

 しかし、彼らの前を行く蝶の数が減っていた。

 天元(てんげん)が再び呪符を掲げ、駆け寄るゲンタたちに昏い紫電を放つ。それは一度で止まずに二度三度と続き、その度に紫黒(しこく)の蝶が火煙(ひけぶり)を上げて落ちていく。

 けれど、それだけだ。


「父上!」


 傲慢にも紫電で対処できると思っていた天元(てんげん)に、星辰(せいしん)が一閃。

 天元(てんげん)は予想通りに、ふわりと浮いて避ける。

 そこへ狙いすました鬼の手が二つ飛ぶ。

 これもストンと着地して躱された。実に人間離れした動きである。

 だが、まだ仕掛けは続く。遊兵を作る余裕などあろうはずもない。

 大上段に構えた左兵衛(さひょうえ)が、着地したばかりの天元(てんげん)の、その背後から刀を振り下ろす。

 その渾身と思える一振りを避けたところへ、今度は図書(ずしょ)が矢を放った。葦の矢ではなく、鉄の(やじり)の矢を。

 即座にそれを見抜くも、躱すこと(あた)わずと天元(てんげん)は宙に五芒結界を出現させた。仄かに光る半透明の障壁が、これまで通りに矢を弾くのだろう。

 その瞬間、カヤが短く声を発した。


「アタシはそれを否定する」


 消えた。仄かに光る五芒の星が、跡形もなく。まるで初めから現れていなかったかのように。

 慌てて横に動く天元(てんげん)に、けれど矢は命中し、脇腹に突き刺さる。

 いかに神に()かれていようとも、その皮膚は人間であった。そもそも刃で傷を付けられぬのであれば、結界で防ぐ必要もないだろうという、庵原(いはら)の読み通りの結果であった。

 そして、天元(てんげん)の動きが止まり、呻く。どれくらいの時間、止まるのかは分からないし、想像もつかない。

 しかし、彼の中では荒魂(あらみたま)とヒトの(しゅ)、そして彼の魂魄(たましい)がせめぎ合っていることが、容易に想像できる。


 ――今ならば。

 星辰(せいしん)弓削(ゆげ)図書(ずしょ)が声を重ね、波を作るように祝詞を(そう)じる。その三人の中にあって、図書(ずしょ)だけが幣帛(へいはく)を持ち、左右に揺らしていた。

 天元(てんげん)を挟んで反対側では、ゲンタが両手を合わせ、彼を守るように左兵衛(さひょうえ)が前に出る。その左兵衛(さひょうえ)は左手を刀印(とういん)にし、片手で刀を持っていた。カヤはゲンタの後ろで神妙な顔をして待機していたが、やがて三人声を揃えて唱え始めた。

 式神の白鷺(しらさぎ)が舞い始める。大きく翼を広げ、彼らの上をゆっくりと旋回する。


「掛けまくも(かしこ)き、葦那言主(あしなことぬし)。諸々の禍事(まがごと)(つみ)(けがれ)有らんをば、(はら)(たま)い清め(たま)えと(もう)す事を聞こし()せと、(かしこ)(かしこ)(もう)す。

 ちはやぶる(かみ)御恵(みめぐみ)のかたじけなしとて、いと(たっと)きその御名(みな)天地(あめつち)のむすびに(かしこ)(かしこ)み、お返し(もう)す」

「ノウモボタヤ、ノウモタラマヤ、ノウモソウキャ、タニヤタ」


 この広い空間を満たすのは、神へ捧げる声の波と、(しゅ)を祓い、(しゅ)を喰らう言の葉。それらは呻き声を吸収して、反響を繰り返す。

 やがて、白鷺(しらさぎ)が低く、短く、「クァー」と鳴いた。

 天元(てんげん)の体がビクンと跳ね、その口から白い靄が湧き出る。それは白鷺(しらさぎ)を追いかけるように、ぐるりと一回りすると、吸い込まれるようにカヤの中に消えた。

 しかしカヤは一瞬、呆けたように虚空を見つめただけで、動じなかった。

 次に、死出の蝶が鳴いた。

 庵原(いはら)の周囲に(たむろ)していた蝶も、いつの間やら天元(てんげん)の周りを飛び回り、「ぎゃあ、ぎゃあ」という不吉な鳴き声とともに、黒光りする鱗粉をまき散らす。

 そして、天元(てんげん)が右腕を上げた。

 その手に持つは二枚の呪符。


滅尽(めつじん)霹靂神(しらい)の法」


 すぐに男のものとも女のものとも知れぬ二重(ふたえ)の声がして、天元(てんげん)の周囲に紫電が降り注ぐ。

 直後に立ち昇るは黒い火煙(ひけぶり)

 天元(てんげん)に群がっていた死出の蝶の、その(ことごと)くが、一瞬にして焼き尽くされたのだ。

 間を置かず、天元(てんげん)が再び呪符を掲げた。


「させるか!」


 言うが早いか、星辰(せいしん)天元(てんげん)に向けて形代(かたしろ)を放つ。しかし天元(てんげん)はそれを予期していたかのように、五芒星の結界を盾とした。

 形代(かたしろ)はバタバタと音を立て、結界に貼り付くだけに終わる。


「アタシはそれを否定する」


 カヤの声がしたが、今更結界を解除したところで手遅れで、はらはらと落ちてゆく形代(かたしろ)をよそに、天元(てんげん)は再び呪符を掲げようとしていた。

 だが、その直後に天元(てんげん)は目を見開いた。

 力なく落ちてゆく形代(かたしろ)を、別の形代(かたしろ)の群れが突き破ったのである。その白い紙の群れは瞬く間に目を塞ぎ、口を止め、更に腕や脚に貼り付いて天元(てんげん)の動きを封じる。放ったのは弓削(ゆげ)だった。

 それでもなお、形代(かたしろ)を剝がそうとともがく天元(てんげん)星辰(せいしん)が太刀を振るう。本気で斬ろうとしているわけではない。あくまでも、ゲンタたちの術が成就するまでの時間稼ぎであった。

 天井近くを飛ぶ白鷺(しらさぎ)が、「クァー」と鳴いた。

 成ったのだ。

 天元(てんげん)が再びピタリと動きを止めた。

 彼の(へそ)の辺りから、ずるりと黒い靄が這い出す。


「ノウモラカタン、ゴラダラ、バラシヤトニバ、サンマンテイノウ、ナシヤソニシヤソ、ノウマクハタナン、ソワカ。オン、マユラギランデイ、ソワカ。オン、マユラギランデイ、ソワカ。オン、マユラギランデイ、ソワカ!」


 両の手をピタリと合わせたゲンタとカヤと、片手で刀印を作る左兵衛(さひょうえ)の声が、大きく速くなる。

 天元(てんげん)が、膝から崩れ落ち、地面に倒れ伏す。

 天元(てんげん)から漏れ出た黒い靄は、女人の形をなした。長い髪に丸みを帯びた体は、けれど、(しゅ)を封じる言の葉によって、地面に沈み込んでいく。

 このまま順調にいくと、誰もがそう思っていた。


(おん)


 黒い靄が、()いた。

 白鷺(しらさぎ)が落ちていく。


(おん)


 黒い靄が再び()いて、左兵衛(さひょうえ)が吹き飛ばされた。


(おん)


 三度()いたその声で、庵原(いはら)を除く全員を、洞窟の固い地面に叩きつけた。


「くそったれ!」


 庵原(いはら)が叫び、ゲンタたちに駆け寄ろうとするも、近づけば近づくほど、その足は重くなり、やはり地面に伏した。

 黒い靄は立ち上がり、夢の中のようにゆっくり歩き始める。

 その先には、気を失ったカヤが倒れていた。


「カヤ! 起きろ!」


 庵原(いはら)の呼びかけに、カヤはピクリともしない。


「くそ! ゲンタ! カヤを起こせ!」


 ゲンタが目を開いた。起き上がれぬままに、のそりのそりと動く黒い靄を見た。庵原(いはら)、カヤの順番に視線を送る。

 次にゲンタは(つるぎ)があるかどうか、左手だけで確認した。

 (つるぎ)はあった。

 鬼の手はどうか。鬼の手は、問題なく出せる。試しに、黒い靄を殴ってみたが、虚しく通り過ぎるだけだった。

 あれは、在り方が違うのだとゲンタは悟る。


「カヤ! 起きろ!」


 今度はゲンタが叫んだ。

 叫び、器用に鬼の手でカヤの体を揺する。

 黒い靄がのそりのそりと近づいて、もうあと数歩もない。

 そこで、カヤが目を覚ました。バタバタと手足だけを動かしている。


「カヤ! なんでもいいから否定しろ!」


 そんなゲンタの言い草に、しかし、カヤは彼が想像していなかった言葉で実行に移した。


(つぐ)め!」


 一瞬、ゲンタはどうしてカヤがそんなことを言ったのか分からなかった。

 だが、今まで押さえつけていた力は完全にではないが消え失せ、どうにか立てるようになっていた。

 他の面々もよろよろと立ち上がる。

 しかし、もう時間がないのだ。

 よろよろと立ち上がる最中(さなか)のカヤに、黒い靄が今にも届かんばかりであった。


「うおぉぉぉ!」


 ゲンタが雄叫びを上げ、気力を奮い起こす。

 そして、鬼の手に剣を持たせた。青白く輝く青星(あおぼし)を。

 剣を持った黒く大きな手は、黒い靄の頭上を舞う。


「カヤ、避けろ!」


 カヤは反射的に後ずさり、目の前を鬼の手がかすめる。

 青白く輝く青星(あおぼし)は、黒い靄を脳天から刺し貫いていた。

 黒い靄が青星(あおぼし)に押され、どんどん沈んでいく。

 そうして最後に頭だけとなったとき、その靄は、カヤを見ては何かを話そうとして口を開け、けれど何も言葉を紡げないまま、地中に消えた。

 ついに、終わったのだ。


弓削(ゆげ)千晴(かずはる)、いいな?」

「ええ、約束通りに」


 庵原と左兵衛が天元(てんげん)を担ぎ始めたのを横目に、すっかり体が軽くなったゲンタは皆に目配せをして、弓削(ゆげ)の手を縛り縄につないだ。

 白葦(はくい)赤烏(せきう)を騒がせた大悪党も大人しく従い、ゲンタに促されるままに、洞窟を出ようとゆっくり歩き始める。

 そのときカヤが不意に弓削(ゆげ)にぶつかり、よろよろと後ずさった。その手に握られているのは、黒漆に蒔絵(まきえ)(こしら)えの短刀。刃に残るは赤黒い血。


「父ちゃんと母ちゃんの(かたき)だ! 思い知ったか!」


 カヤが涙をこぼしながら叫び、唇を噛みしめて震える。

 ゲンタはカヤから反射的に短刀を取り上げようとして、弓削(ゆげ)から離れた。

 後ろでゴトリと音がした。

 ゲンタが振り返ると、弓削(ゆげ)の体から離れた首が、地面に転がっていた。

 傍には星辰(せいしん)が立っていて、感情のない顔で、首をじっと眺めている。

 ゲンタは突然のことに、何をすべきか分からなくなり、一瞬立ち尽くした。

 天井から水滴が落ちてきて、彼の(うなじ)を濡らす。

 水滴はあっという間に滝となり、川となり、大きな音とともに天井が割れた。


「カヤ、掴まれ!」

「ゲンタ!」


 大量の水が流れ込み、七人も、弓削の頭も、かつて葦那言主(あしなことぬし)だったかもしれないものも、何もかもが飲み込まれ、押し流された。



 *  *  *



 それから三年が経った。

 白葦(はくい)赤烏(せきう)白帝(はくてい)の号令の(もと)、再統合され、今は赤烏(せきう)と称している。

 (まつりごと)(いただき)には相変わらず白帝(はくてい)がいて、そして相変わらず勝手気ままに各地を漫遊しているらしい。

 実際の政治は太政大臣(だじょうだいじん)に任命された丹王(におう)と、その下に置かれた軍部(いくさべ)星読方(ほしよみがた)、それと老中たちが執り行なっている。

 軍部(いくさべ)の初代長官には武部(もののべ)一胤(かずたね)が、星読方(ほしよみがた)の初代長官には蒲原(かんばら)星辰(せいしん)がそれぞれ就任。老中には大久保暁鶏(ぎょうけい)擘浦(はくら)長元(ながもと)巫覡部(きねべ)正白(しょうはく)が就任したのだから、丸く収めるために、白帝(はくてい)の思惑と異なる形で、統合が進められたことが窺い知れる。

 なお、大久保暁鶏(ぎょうけい)直下の宵鶸(しょうじゃく)は、老中の預かりとなり宵雀(しょうじゃく)と名前を改めた。

 天球は相変わらず擘浦(はくら)長元(ながもと)に気に入られていて、高給をもってお召しの話もあったのだが、性に合わないと固辞した。元より、役所勤めが嫌いな者たちの気楽な集まりだったのだから、やむを得まい。


 争乱に巻き込まれた都も村々も、この三年の間で復興が進み、それは草浜村(くさはまむら)も例外ではない。


「ゲンタ、アタシと勝負しろ!」

「あたしとしょーぶしろ」

「お前も母親になったんだから、少しは大人になれ」


 草浜村(くさはまむら)では今日も青空の下、カヤがゲンタに勝負を挑んでいた。

 けれど、その手は別の小さな手を握っていて、勝負の後は三人で決まって(もう)でるのだ。御言女(おことめ)が封じられ、何もかもが流されたあの(ほこら)に。



『噤呪の巫女』 ―完―


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