第四十六話 呪
「見ましたか、庵原殿。小生の見立て通りでしたよ」
「おう。俺の予想が外れたのは癪だが、さすが図書だ」
呑気にはしゃぐのは庵原と図書だ。
左兵衛さんはとカヤが探せば、彼は早足で天元に近づき、すでにあと数歩で刀の間合いに入るところにいた。
「図書はそのまま奴さんの得体の知れない結界を消すことに集中してくれ。お前さんの見立て通りなら葦の矢でも大丈夫なはずだ」
「承知」
「さて、カヤ。どうなってるか教えてくれ。俺たちがいない間に、大分珍妙なことになっているようだが」
目敏くカヤを見つけた庵原は、天元そっちのけでカヤから情報を得ようとする。
カヤも当然、この状況で情報を共有しない愚をおかすつもりはなく、自分の目の前で起きたこと、聞いたことのほとんど全てを、身振り手振りを交えて庵原に話した。
「ふむう。葦那言主が天元を祟り、憑りついてあんなことになっているようだと。それで弓削の野郎がなぜかゲンタたちの味方をしていると、そんなところか」
「それは珍しい状況ですね」
庵原が驚いた顔で振り向くと、いつの間にか背後に図書が立っているではないか。だが、葦の矢は引き続き天元目掛けて放たれており、不精しているわけではないようだ。
「これは、あれだな。弓削の目的は前に聞いた通り、結界の完成と葦那言主による白葦の島の支配だった。だが、想定と違う事態にそれは諦めて、殊勝なことに事態の収拾を図っていると、そういうことだな。図書もそう思うだろ?」
「そうですね。小生もそう思います。しかし、弓削千晴殿ほどの使い手でも、封神に失敗するとは、いやはやなんとも」
庵原が奥にちらりと視線をやり、天元と今なお戦っている四人を見るが、左兵衛が加わり、図書が五芒結界を破壊する手助けをしたところで、やはり膠着状態なのは変わらない。
そうして庵原は再びカヤと顔を合わせた。
「葦那言主を鎮める手立てを何か知らないか」
真面目くさった顔を作って聞かれたところで、たった一年足らずで御言女に仕立て上げられたカヤには、巫覡部に蓄えられた祭事の知識はほとんどなく、首を横に振って言う。
「アタシには祭事のことは分からないし、あれが本当に葦那言主の御魂かと言われると、それも何か違うような気がする」
「なるほど、即身仏から抜け出た二つの何か。その片割れがカヤの中に入ったからこその意見だな」
「うん。あれは少しずれてるんだ」
「それは、よくあることですよ」
そこでまた、図書が口を挟んできた。
「よくあること?」
「そう、神にはよくあることです。ヒトがそれぞれ異なるがために、その願いもまた異なる。小生が思うに、内府殿には良くない願いが入り、カヤ様には善性が入ったのではないでしょうか?」
「ううん、違うの」
「それは興味深いですね。実に興味深い。違う、とは? 具体的に?」
図書は相変わらず一定間隔で天元に射かけつつ、器用にカヤと話をしている。そのようなことでは気が散るだろうに、彼の放つ葦の矢は、動き回る天元にほぼ命中していた。たまにゲンタや左兵衛にも当たっているが、ヒトの肉体を傷付けられるようなものでもない。
「確かに葦那言主の気配はするけど、別の気配もするの。何て言えばいいのかな、即身仏から抜け出たものがアタシに触れたとき、赤ん坊にお乳をあげてる女の人が見えたの。それでね、その次には海に沈んでた。女の人は沈みながら思うの。死にたくないって、もっと赤ん坊と一緒にいたかったって。だから、違うの。ヒトの願いではないものが混ざってるの」
「……」
庵原は黙って俯き、図書の横顔は思案顔である。
じき、庵原が口を開いた。
「これは、送らなければならないな。送って還す。図書、あの天元はここから動けると思うか?」
「……混ざっているのなら、難しいでしょう」
それで庵原はパンと膝を打ち、未だ天元と打ち合っている四人に向かって声を張り上げる。
「いったん下がるぞ! 撤退だ! 弓削も来い!」
その声が届くや否や、まずは左兵衛が離脱。残る三人は示し合わせたように形代をばら撒き、これを目くらましとして広い空間の手前まで撤退した。
「追って……こないな」
ゲンタが振り返り、天元の姿を確認するが、先ほどまでいた場所からは動いていない。少しは動いているのかも知れないが、ゲンタたちを積極的に殲滅しようというつもりはないのか、はたまた別の理由で、ともかく天元は広い空間の中央、蓮華座のそばで佇んでいる様子だった。
「それでは、現在の状況を打開するための方策について、手短にお話します」
七名が集まったところで、一同、神妙な面持ちで図書の話に聞き入る。
「内府殿は、葦那言主の荒魂に憑りつかれた。これは間違いないでしょう。しかし、その荒魂には、通常であれば混ざらない、ヒトの呪が込められていた。
その呪は、まず東国は赤烏の民。葦那言主、それ即ち朝廷なれば、必然。
次は累々たる歴代御言女の家族。名誉と衣食住をちらつかせたところで、大切な家族を葦那言主に奪われたと思うは必定。
最後は御言女。意に反し、神に捧げられた五十年前の御言女なら、殊更に朝廷を恨むは必至。
ときに弓削殿。封神の法を執り行なう際に、葦那言主の御名だけ奏じたのでは?」
「……然様。しかし、佐々木殿の賢察に則れば、それは誤りであったということになりましょうか」
「そうなりますが、今は葦那言主の御名だけの封神の法ではダメだったという事実が分かれば、あとはどうでも良いことです」
「図書、時間が惜しい。こうしている間に分社にでも逃げられれば厄介だ」
図書に先を促したのは左兵衛で、島のあちこちにある葦那言主を祀った神社に転移することを、心配してのことだった。
「今は内府殿とカヤ様の肉体に縛られておりますので、問題ありませんよ。しかし、打つ手が早い方が良いのはもっともです。手短に我々が為すべきことをお話しましょう。
一つは魂抜きの儀。葦那言主の御魂を内府殿の体から引き抜きます。社も無数にありますから、勝手に分散してじきに和魂になることでしょう。
同時に封魂の儀も執り行ないます。人身御供として海に沈められ、そればかりか、卜部の家に生まれながら名も消された彼女――先代の御言女を今再び沈めるなど心苦しくはありますが、放置しておけば未曽有の死者が出るおそれがあるため、やむを得ません」
そのとき、呻き声が聞こえてきた。
地下の広い空間で、天元が苦しそうに声を出していて、その声はもはや人のものとは思えないものだった。




