第四十五話 祟り
黒炎の竜は天元の周囲からいくつも生まれ出でては、五月雨の如く星辰に襲いかかる。
星辰はそれを避け、いなし、弾き、辛うじて直撃を免れていたが、そんなことがいつまでも続くわけはない。
「弓削! あれはなんだ!」
左手に何枚もの形代を準備しながら、怒声のようにゲンタが問う。
「あれは……分からぬ。だが、」
弱々しい返答を耳に入れつつ、ゲンタは形代をこの空間に放った。
形代はいくつかの群れをなして飛び、黒い炎を避けながら天元を取り囲む。同時、ゲンタの声が響く。
「万象囲いて、檻をなさん。閉じよ、封月結界」
形代がデタラメに増え、それはすぐに白い半球を作り、天元を閉じ込めた。辺りには静寂が戻り、ゲンタと弓削の声がよく聞こえてくる。
「ふざけるな! 分からないってなんだよ! あれはあんたたちが拝んでたんだろ!」
「まあ、待て……待ってください。ふぅ……話は最後まで聞くものです」
「……」
「確かに私と舅殿はあれに祈っていました。その対象は御祖様、つまり葦那言主と伝えられている、あの即身仏です。ああ、だというのに舅殿はどうして斯様なことを……」
「師父が葦那言主の荒魂に祟られたとでも?」
「尊体を蔑ろにしたのであれば、それは当然。しかし、これは私が望んだ結末ではありません。……どうでしょうか。ここはいったん休戦として、手を取り合い、舅殿を止めようではありませんか」
「随分と都合のいいことだな。止めなければどうなる?」
「津波、洪水、蝗害、長雨、日照りに飢饉。あらゆる災害がこの島を襲い、そう遠くない未来に白葦の民たちは消え去ることでしょう。そのような未来は到底受け入れられません」
「……分かった。師父を止めることができたときに、あなたが大人しく捕縛されるという条件で共闘を引き受けよう」
「のみましょう」
星辰とカヤもしっかり聞いていたようで、ゲンタが目を合わせると、険しい顔で小さく頷く。
直後、結界が爆ぜた。
白い形代が紙吹雪のように吹き荒れ、その中心にいるのは天元らしき何かの影。
「カヤ!」
「分かった!」
ゲンタがカヤに声をかければ、彼女はすぐに口の力を使う。
「其は紙にて紙にあらず、未だ燃え盛る獄炎なり」
役目を終えた形代が、一斉に炎に包まれた。今度はゴウゴウと音を立てるが、赤々と燃えるその見た目ほどの効果はないように思える。実際、中の天元は変わらずそこに立っていて、直衣に燃え移る気配もない。
それでも、天元が動きを躊躇するには十分だった。
手始めに星辰が突っ込んだ。
両手で握る太刀は、すでに青白い炎を纏っている。
走り抜けざまの一閃。
しかし、太刀は天元の剣に難なく弾かれ、青白い炎もすぐに消された。星辰は、その勢いのままに距離を取る。
星辰と正対する天元の背後を、音もなく現れた〝鬼の手〟が急襲する。
この手はゲンタのものか弓削のものか、どちらであろうか。
矢継ぎ早の攻撃に、早くも見ているだけとなったカヤは勝ったと思った。しかし、悠久とも言える時間、人々の願いを向けられた神の力の、その一端が、これで終わるわけもない。
天元の背後にいくつもの五芒星が現れ、その黒い手を受け止め、侵食し、破壊した。そうしている間にも、ゲンタが結界に宝剣を突き立て、術式の崩壊を試みるがいかんせん数が多く、本体に斬り込むには至らない。
振り向きざま、天元が剣を横に薙ぎ、ゲンタの目の前を通過する。
そうとなれば、すかさず星辰が背後から斬りかかるのだが、これもやはり五芒結界に阻まれ、その刃は届かなかった。
正面からの斬りつけは剣で軽々といなされ、背後からの攻撃や、死角からの〝鬼の手〟も届かない。さりとて、天元の攻撃が直撃することもないのだが、状況からいって完全に手詰まりであり、一瞬の油断が命に関わることを考えると、もはやどこで撤退すれば死なずに逃げられるか、ということまで考えなければならない頃合いなのである。
しかしそれは、弓削千晴がいなければ、の話ではあるが。
では、若者二人にだけ戦わせておいて、彼はいったい何をしていたのだろうか。
青白い閃光が飛び交う光景を前に、彼はまず小尉面を外した。
目鼻立ちのはっきりしたその顔は、女性と見まごうようなきめの細かい肌で、その額には大きな痣が浮いていた。それはカヤの頬にあるものと同じ、両端だけが反り上がった舟のような形で、しかし、彼女のものと比べれば、色が薄い。
その端麗な顔で、彼は一心不乱に印を結び、そして最後に口にした。
「いと貴き葦那言主御神にあらせられましては、疾く天に帰り給えと畏み畏み申し奉る。……封神の法」
天元の足元に、俄かに白い五芒星が現れるや否や、星辰とゲンタが飛び退き、直後、一筋の光が下から上へと放たれた。
それは、完全に彼の者を捉え、貫いたかに見えたのだ。
けれどどうだ。光が収束した後も天元の外見にはほとんど変化がない。変わったところと言えば、弓削を睨むように見ていることだけだ。
「封神、ならざり」
弓削が短く零した。
封神の法とは、その名の通り神を封じる術である。加えて弓削は、葦那言主の覡たる口の力を解放し、必勝の構えで臨み、そして失敗した。
天元に入り込んだ葦那言主だけを封じる手段はこうして失われ、残るは天元ごと斬り捨てるのみ。
そうなれば星辰もゲンタも死をいよいよ意識して、表情はいっそう険しくなる。
死は己か父か、どちらに向かうのか。
父殺しを為すのか、子殺しを為さしめるのか。
武器を握る手にも自然と力が入り、冷たい汗が二人の背をつたう。
この広い空間で、星辰が太刀で斬りかかる。
ゲンタが〝鬼の手〟で殴り、宝剣で斬りかかる。
弓削も〝鬼の手〟を出し、太刀を差し込んでは結界を崩壊させようと試みる。
しかし、その悉くに天元は完璧に対応してみせ、仕留めることはかなわない。
カヤは遠目に見ているだけで、何もできなかった。
ざあん、ざあんとどこかで波の音が鳴っていて、ただ何かが飛び込んできたときのことを思い出しては、心の中で語りかけ、涙を流していた。
アタシが絶対に終わらせるからと。
突如、ホーと高い音が飛んでいく。
その音に天元の動きが一瞬止まったが、それでも、斬りかかったゲンタの剣はいとも容易く弾かれる。
しかし、その高い音は天元の体に当たり、地面に落ちた。
今度は星辰、ゲンタ、弓削の動きが一瞬止まり、落ちた物体を一瞥する。
そこに在ったのは、特徴的な二股の鏃と蕪のような形の鏑がついた一本の矢。
そして、聞き慣れた声が聞こえてきた。




