第四十四話 大伽藍
蝙蝠の糞もない不自然に綺麗で、曲がりくねった洞窟の中を、三人は黙々と歩き続けた。それがどれくらいの時間だったのか分からないが、木偶人形の群れと出くわしてからそれほどは経過していないであろう頃に、また大きく高い空間が現れた。
しかし、その大きさは先ほどとは比べものにならないくらい広い。紫烏城の本丸御殿などよりもずっと広く見え、その上、明るく、身を隠す場所もない。
そうであるから、中心にいる二人の人物もよく見えた。
片や黄緑色の水干。
片や群青の直衣。
それが背を見せ、ゆっくりと印を結んでいたのだ。二人が向かっているのは蓮華座に乗った仏像のようなもので、何かの儀式を行なっているのだろう。
星辰の形の良い唇がきゅっと引き結ばれ、その目がゲンタとカヤに向けられた。三人は無言で頷き合い、そろりそろりと近づき始める。
ゆっくりと距離が狭まるにつれ、それまで木彫の仏像だと思っていたものが、どうやら違うものだということも分かった。その肌は確かに黒ずみ、乾いているが、しかし、木目は見えない。目は空洞で、珍しいことに布の服を纏っていた。しかも、その布も通常の仏像のものと異なり、僧形に近しい。
――即身仏。
ゲンタと星辰は、あれこそが御祖様であり葦那言主であると直感した。
カヤが小さく「ひっ」と漏らす。
だが、弓削千晴と蒲原天元は反応しなかった。あの二人のことだから、カヤの声も聞こえていたであろう。しかし、それどころではないことが目の前で起こり始めたのだから、振り返ることなどできなかったのだ。
即身仏の、それまで枯れていた体が俄かに光り始めたのである。
「我、願う。彼の者の、その口、その舌、その言の葉の悉くを封じんと。急急如律令」
星辰が何枚もの形代を放ち、それはばらばらと音を立てて、弓削と天元目掛けて飛んでいった。
同時にカヤも詠う。
「汝、人なり、思う者なり。されど、賢しらなケモノなり。言の葉も知らぬ畜生なり」
ようやく振り返った二人の口に、次々と形代が貼り付いて声を封じる。
けれど、弓削や天元のような熟達した者であれば、それは一時的でしかなく、すぐに剥がれてしまうだろう。
それゆえに、カヤの口を利用した。自己が確立している人間には、非常に効きにくいことは分かっている。それでも少しは効くのだ。まったく効果がないこととは雲泥の差がある。少し効くだけでも十分なのだから。
ゲンタがとてつもない速度で走る。相手は言うまでもなく、形代を剥がそうとして、もがく二人。
右手に宝剣・青星を握り、左手には何も持っていない。
斬るにはまだ不十分という間合いで、彼は左腕を外から内に大きく薙いだ。
次の瞬間、前方に巨大な黒い腕が現れ、弓削と天元に襲いかかる。
二人は目を見開き、すんでのところでそれを避けた。その間にも、口の形代を次々とはがしていく。
今度は、広い空間をカヤの神楽歌が満たし始め、鬼の力を封じにかかる。
そうなれば、反撃しようとしていた弓削の〝鬼の手〟は宙で消えた。
そこへゲンタが青星で一閃。
しかし、ゲンタの動きもいつも通りになり、鬼の力のない弓削との打ち合いが始まる。
その一方で、星辰も駆けていた。
星降太刀を両手で握り、父である蒲原天元に真っ直ぐに。
当の天元も既に剣を抜いていて、淡く光る即身仏の前で星辰を待ち構えているようにも見えた。
しかし、違った。
弓削とゲンタの打ち合いが始まった頃、天元は急に背を向けた。星辰からは、まだ距離がある。
予期せぬ動きに、何事かと目を凝らした星辰の、その視線の先で蒲原天元は即身仏を斬った。
見事な袈裟切りで切断された即身仏は、その上半身がずれ、洞窟の床に乾いた音を立てて落ちる。
星辰が止まった。何故止まったのか彼自身にも分からなかった。しかし、止まった。
気が付いたゲンタと弓削も互いに飛び退き、距離を開ける。
小尉の面を被った弓削の表情は知れず、しかし、目を見開いているであろうことは、想像に難くない。
カヤも神楽歌を止めた。
全員、本能のようなもので動きを止め、蒲原天元と即身仏を見ていた。
今、蒲原天元は何を思っているだろうか。何を思って即身仏を斬ったのだろうか。
彼は地面に落ちた即身仏の片割れをじっと見つめている。
その光はまだ失われていなかった。そればかりか、動いている。
見間違いではない。だからこそ、皆がそれを凝視しているのだろう。
やがて地に落ちた光が抜け出した。御祖様と思しき乾いた肉体を捨て、苦しそうにのたうち回る。
蓮華座に残った体からも光が抜け出した。葦那言主の殻を捨て、天井近くを旋回する。
けれどそれも少しの時間だけだった。
のたうち回った光は天元を目指し、旋回した光はカヤの体に入った。
それらはなんの抵抗もなくすんなりと入り込み、溶けるように消えていった。
ゲンタがカヤを見る。
彼女は悲しそうな表情をしているだけで、他に変わった様子は見られない。
弓削と星辰が天元を見る。
彼はうずくまっていた。
自分で頭を何度も殴り、その次は胸を掻き毟り、何かの毒にでも当てられたかのような凄絶な様子であった。
だが、それも終わった。
彼の者は立ったまま身動きもしなくなったのだ。瞳は虚空を見上げ、両手は頭を抱えるようにしている。
ゲンタとカヤも彼を見ている。まんじりともせず、何が起こったのかと様子を見ている。
そして、天元が動いた。
しっかりと地に足を着けて歩き、星辰を見据えている。
「父上!」
「止まれ!」
星辰が駆け出し、しかしゲンタは制止しようと声を張り上げた。
危ういのだ、あれは。どうにも危うくて、どうしようもなく影が濃くて、嫌な予感ばかりがする。
弓削を見れば、やはりゲンタと同じものを感じ取っているのか、瞬きも忘れて観察しているようだった。
だから、天元が、いや、天元と似て非なる何かが放つ術にも対応できた。
「羅睺招来」
重なるように声が二つして、天元の周囲を黒々とした火炎の竜が一瞬だけ舞い、弓削と星辰目掛けて飛翔する。
その動きは庵原のものよりも速く、力強い。
カヤが目を瞑る。
弓削は五芒結界で弾き飛ばしたが、星辰はどうだろうか。
さしもの星辰も即座に対応する手段を持たず、しかし、星降太刀で辛うじていなすことには成功した。
だが、星辰への攻撃は一回だけでは終わらなかった。




