第四十三話 間に沈む
腰を屈め、天井に頭をぶつけないようにして、石段を降りていくと、中は少しずつ広くなっていった。
明かりは何だったのかといえば、壁面に貼られたいくつもの呪符が洞窟の内部を照らしていて、その光は眩しくないくせに真昼のように明るい。
「まだ新しいから弓削なり師父なりが貼っていったんだろう」
ゲンタがそのように説明をしたところで、カヤは初めて見る光るだけの呪符を不審に思うばかり。しかし、剥がして調べたいと思っても、知識のないカヤにはそれも危険に思えて、ただ眺めるだけだった。
石段は早々に終わり、その先はなだらかな下り坂が続いているように見える。
庵原を先頭に左兵衛、図書、星辰、ゲンタ、カヤの順に、慎重に歩を進めれば、やがて空間は更なる広がりを見せてきた。
同時に視界に広がるのは、額に呪符のある木偶人形の群れ。
一行はすぐに後ろに下がるも、木偶にとって距離は問題ではなかったようだ。
うなだれるよう姿勢で整然と並べられていたそれが、頭を持ち上げ動き始めたのだ。
背は一般的な大人と同程度、つまり五尺五寸のゲンタや左兵衛とそう変わらず、体の線は細い。武器になるようなものは持っておらず、代わりに腕の数が二本から五本までと様々である。
それがじりじりとゲンタたちに歩み寄ってきているのだ。
何を考えてこれらを配置したのかと思考を巡らせるに、やはり足止めなのだろうとすぐに思い当たるが、果たしてそれだけなのだろうか。
「小父さん!」
「おう! 派手に燃やすか!」
既に太刀を抜いていた星辰が緊迫感を漂わせて声を掛ければ、庵原は待ってましたとばかりに張り切ったのだが、声をかけた方は顔を顰めるばかり。
「違いますよ。こんなところで派手な術を放ったら、崩落するかも知れないじゃないですか。地道に確実に」
「……そ、そうだな。図書と左兵衛も分かったな」
庵原が気まずそうな顔で図書と左兵衛を見るも、二人は慣れているのか無言で頷き、左兵衛は金砕棒を、図書は弓をそれぞれ構える。
ゲンタは言われるまでもなく剣を抜いていて、呪符を左手で持ってさえいた。あの人形を見た瞬間から、もう戦うしかないと判断したのだ。
それは星辰も同じだったのだろう。呪符を構え、一同を見回したかと思うと、木偶を目指して駆けた。跳んだと言っても過言ではない速さで突っ込み、同時に唱える。
「参れ、煉獄の番人よ。我が太刀に宿りて、敵を滅する刃となれ」
瞬間、星降太刀が青白い炎を纏う。
駆けた勢いのままそれを横凪ぎに振るえば、木偶人形は次々と青白い炎に包まれ、倒れ伏した。
洞窟内が青白く光り、瞬時にして異界を思わせる光景が広がる。
だが、群れの行進は終わらない。パチパチと鳴る燃えカスを踏み越えては、奥から奥から呪符の貼られた人形どもが現れる。対象だけを燃やし尽くす性質なのだろうか、青白い炎が他の木偶どもに燃え移ることはなかった。
星辰がまた青白く燃える太刀を振るう。
しかし、その炎はつい先ほどよりは随分と弱々しい。
「左兵衛、前だ!」
すかさず庵原が指示を出し、星辰が下がれるように差し向ける。
つい先ほどまで動いていた木偶の上を、別の木偶が歩く。
そうして青々と燃え盛る炎を踏み越えた先で待っていたのは、武骨な金属の塊であった。
しっかりと腰を落とした左兵衛が、やや細い金砕棒を頭に叩きこんでは、呪符ごと粉砕した。
しかし、木偶人形は一体ではない。
続けて二体潰したところで、左兵衛は別の個体に腕を掴まれ、腹に拳を叩きこまれる。その拳は軽く、彼にとっては大したことではないだろう。叩きこまれる拳が一つだけであるなら。
そいつには腕が四本あった。すぐに別の腕で立て続けに顔を殴られ、左兵衛の動きが止まる。
「ふ!」
誰かの吐息とともにそいつは倒れた。見れば顔の呪符が斬られている。再び漏れる息。青い閃光を残して、木偶人形が次々と倒れていく。
ゲンタがいた。
その動きは、大社で対峙した頃とは比べものにならないくらいに速い。
我に戻った左兵衛が立ち上がり、腕をつかんだまま動かなくなった人形を振りほどいているとき、今度は耳のすぐ近くを何かが通った。
そちらへ目を遣れば、少し離れた場所にいた人形の顔面に矢が突き刺さり、三体同時に崩れ落ちる。
「左兵衛殿、休憩してる暇はありませんぞ」
「……うむ」
左兵衛は金砕棒を握り直し、再び木偶人形を破砕し始めた。
その前ではゲンタが飛び跳ねるように動き回り、次々と人形の動きを止めていく。
左兵衛の横を図書の矢、庵原と星辰の色の違う火礫が通り過ぎ、彼らが囲まれぬように、阿吽の呼吸で立ち回っていた。
カヤは物陰から顔を覗かせ、ただ黙って見ているだけだったが、これも事前に決めた通りの行動で、決して彼女が怠惰なわけではない。
生き物でも妖でもない、このような形の式神は、呪符によってその在り方が強固に定まっている。それがために因果改変の口は通じにくく、カヤは何もできない。口を除けば、所詮は無力かつ非力な娘なのだ。
それだけにゲンタは、カヤを連れてくることにも反対していたのだが、彼女がいなければ弓削千晴と蒲原天元に勝てる見込みはないだろうと、押し切られてしまった。
結局のところ、カヤの異能が必要で、必須で、どうしたって利用したいし、どうしたって逃がれられないのである。カヤという一人の少女ではなく、過去を否定する御言女という存在が魅力的であるがゆえに。
朝廷も最初は修験者の荒魂を恐れて、崇め奉っただけなのかも知れない。しかし、どこかで気が付いてしまったのだ。その口が権力に有益であることに。そうして銀朱で囲い、呪で塞ぎ、誰にも触れさせないようにした。
だから、彼女は朝廷が嫌いだった。
己を利用しようとする者たちのことが嫌いだった。
「くそ、次から次へと湧いてきやがって! これじゃあ、キリがねえ!」
庵原の焦りの声が洞窟内に響き渡った。
カヤは言わずもがなとして、星辰とゲンタ、そして左兵衛はまだ平気そうだが、庵原と図書は既に肩で息をし始めている。
「図書、沈めるか?」
かなりの数を動かぬ木っ端にしたはずなのだが、それでようやく半分くらいだろうか。奥が見えず、正確な数は把握できそうにない。
だから庵原は沈もうと思った。
だから図書に確認した。
「……いけるかと」
「任せた! 星辰、ゲンタ、カヤ! ここは俺たち天球が引き受けた! お前らは先に行け!」
直後、図書が聞いたこともない文句を、裏声と低音で唱え始める。
「召しませ召しませ。昼と夜、此岸と彼岸、人と神、天と地、日と月、その間を司る夜見の神よ。我の口をして御蔭を与えたもう」
「カヤ!」
図書の声に聞き入っていたカヤは、ゲンタの声で我に返り、奥へと駆ける。先には既に星辰とゲンタが切り開いた道があった。しかしそれも、人形によってどんどん狭くなる。
カヤはゲンタだけを見て懸命に駆け、その手を握った。
彼女の小さな背にはまだ、図書の独特な声が響く。
「間に沈め」
その声はいっそう高く、言うが早いか、図書はその姿ばかりか存在すらも希薄になった。
図書だけではない。
庵原も左兵衛もその姿は朧気で、向こうが透けて見えていた。
カヤが見たのはそこまでだった。
次々と押し寄せる人形が、通ってきた道を途端に塞ぎ、それっきり見えなくなってしまったのだ。そうなれば、囲まれる前に突破口を作り、どんどん進むしかなく、天球の三人に構っていることなどできない。
星辰とゲンタとカヤの三人は戦いながら奥へ進み、それから間もなくして木偶人形を振り切ることに成功した。
緩やかに下り続ける道が少し狭くなると、三人は走るのをやめて歩き始める。
時折り風が吹いては、びゅおうびゅおうと奇妙な音をぶつけてきたが、これから先に待ち構えているものを思えば、そんなことはどうでも良いことだった。
波はまだ、カヤの中で鳴っていて、その大きさは前と変わらない。ずっとずっと、変わらない。




