第四十一話 帰郷
帰り道は、枯れた落ち葉の道なき道を通ることなく、国境の砦を通り抜けた。
蒲原星辰も天球の四人も、赤烏に入るときは使者として堂々と入ったというから、ゲンタとカヤが特別だっただけで、当然といえば当然だった。
そして小平は、ずっとよそよそしかった。
国境の砦から麓の阿和村までの道のりは、さすがによく整備されていて、苦労はない。ただ細い道がぐねぐねと続き、通常の峠道と比べて余計な時間がかかるのが難点だったが、いずれも普段からよく歩く者たちにとっては、些末なことでしかなかった。
阿和村は通り過ぎるだけだったが、以前の襲撃から一年以上経っていることもあって、黒焦げの建物は見当たらなかった。
その次、葦那言主を祀った白穂神社が有名な兎島村も特に変わった点はなく、阿和村と同様に平和そのものといった様子である。
それは、赤烏で嫌というほど貧しい農村を見てきたゲンタとカヤにとって、眩しくもある光景だった。
「ねえ、ゲンタ。草浜村って豊かだったんだね」
「向こうと比べればな。村の土だって、外から来た人間に言わせれば痩せているらしい」
「そっか……」
「上も下も比べたらきりがない。結局、居ついた場所であがくしかないんだ」
「そっか、そうだよね。……村は今、どうなってるかな?」
「分からん。だが、もうそろそろ一年経つ。すべて元通りとはいかないだろうが、住む家くらいはどうにかなっているかも知れないな」
今日もカヤは背負子にちょこんと座り、ゲンタと背中合わせ。
視界の左右を流れる枯れ尾花を眺めては、心地良い振動とどこからかざあん、ざあんと聞こえてくる漣の音に、いつしか眠りに落ちていた。
「――カヤ、起きて着替えろ」
目を覚ました彼女の目に映るのは、嘴の面頬を着け、なお精悍な幼馴染の顔。その服装は、いつの間にやら、以前のような卯の花色の水干と、裾を括り上げた袴になっていて、しかし、いつかの烏帽子は被っていなかった。
「うん、分かった」
立ち上がり、辺りを見回すと、ゲンタの向こう側には小道と灰青の冬の空。
水の匂いに気付いて振り返ると、桟橋に小舟が三艘つながれていた。
その右手に、漁か何かの道具を保管しているであろう小さな小屋が建っていて、ゲンタがそこを指さしている。
はて、着替えろと言われたところで、同じような小袖しか持っていなかったはずだと、今更ながらにカヤが思えば、彼はそれを見透かしたように、「中に赤いきれの刺さった柳行李がある」と愛想の欠片もなく言った。
少しガタのきている木戸を開け、薄暗い小屋の中を注意深く眺めると、果たしてゲンタの言う通り、赤いきれが見える柳行李が横たわっているではないか。やや土埃のある小屋の中にあって、それは明らかに質が良く、これは誰かが都の大社から運ばせたのだと、カヤはすぐに勘づいた。
板敷に上がり、そろりと行李の蓋を開けたところで、壁の向こう側からゲンタの声がする。
「脱いだものは、行李に入れておけば回収してくれるそうだ」
「そう。……ねえ、ゲンタ」
「どうした」
「ここって、もう草浜村だよね」
そのときゲンタは何を思っていたのだろうか。返事には随分と間があったようにカヤには感じられた。
「……ああ」
「今、どうなってるの?」
「昔と変わらん。畑はまだまだ時間がかかりそうだが」
「ゲンタのお母さんは、今どうしているの?」
「都で暮らしている」
「そう、無事で良かったね」
「……そうだな」
カヤの頭の中ではざあん、ざあんと漣が鳴っていて、ずっと悲しいはずなのに、心が凪いでいる自分を許せなくなりそうだった。
白衣、白足袋に葦葉色の切袴、そして無紋の千早。
都の大社で祭事を執り行なうときに着た装束。
声を殺され、押し込められて、覚えたくもない神楽を舞った装束。
けれどいざ着てみれば、それは不思議と馴染み、背筋がしゃんと伸びもした。
巫覡部正永は、最期に何を思っていただろうか。大昔に御祖様を謀り、平気な顔をして祀り上げた一族の末裔は。
「私の……父ちゃんと母ちゃん、いた?」
「死んだ人間が生き返るはず、ないだろう」
ならば――ならばあなたは何であるのかと、口から出そうになった言葉をぐっと飲み込む。
「村の皆は?」
「元気にしてた。街道沿いで商売をしている家は、立ち直りが早かったみたいだ」
「たくさん殺されて、たくさん焼かれたのにね」
「……そうでもないらしい」
「あいつの肩を持つの?」
「そういうことじゃない。村が焼き討ちにあったとき、老沼に飛び込んで助かった者も大勢いたんだと」
「そう」
「まるで昔のカヤみたいにな」
「そんなことあったっけ?」
板の一枚を隔てて、カヤにはゲンタが笑っているように感じられた。
「五つか六つか、それぐらいのときに、この辺でよく遊んだだろう? お前が俺に飛びかかって来たときがあってな、だけど俺がひょいっと避けたらお前だけ老沼に落ちてしまったんだ」
「……覚えてない」
「子供の頃のお前は色々なところに落ちてたからな」
「むぅ」
頬を膨らませた勢いで木戸を開け、彼に見せたところでどうということはない。
いつも通り、笑顔の分かりにくい幼馴染がそこで待っていて、「行くぞ」と短く促すだけである。
カヤの耳には小さな波がざあん、ざあんと寄せては返し、夢現のようだった。




