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第三十八話 洞

 獣道すら見えないような森の中を、半透明の人影が歩いていく。

 化生(けしょう)(たぐ)いでも神でもなく、蒲原(かんばら)天元(てんげん)の目には、まじないによって弓削(ゆげ)千晴(かずはる)の足取りがそのように見えるのだった。

 森の中は相変わらずどこまでも深く暗い藍鉄(あいてつ)色に染まり、足元は何年もの時間をかけて蓄積された土で柔らかく、湿り気を帯びている。

 その中を惑う素振りもなく、一行(いっこう)は歩き続けた。

 景色はほとんど変わらず、時間が進んでいる感覚もない。

 しかし、カヤにはなぜかざあん、ざあんと波の音が聞こえる気がして、隣を歩くゲンタに声をかけた。


「ねえ、ゲンタ。なんだか波の――」

「しっ」


 ゲンタの大きな手で塞がれ、カヤの唇にごつごつとした感触が伝わる。その目は瞬きもせず、視線の合わない彼の横顔をじっと見ていた。

 そして視線が合い、彼女の唇から手が離れる。


「奴がいた」


 奴とは誰か。

 もちろん弓削(ゆげ)千晴(かずはる)をおいて他にない。

 だというのに、刀剣の類いを抜く気配も見えない。

 どうなっているのかと、カヤは体を動かし、視線を動かし、前を見た。

 先頭にいるのは蒲原(かんばら)天元(てんげん)庵原(いはら)狐太郎(こたろう)、その先に広がるのは少し開けた場所で、さらにその奥には太い注連縄(しめなわ)が見える。

 なぜ(やしろ)もないところで、木戸に注連縄(しめなわ)をかけているのだろうと、カヤは最初、そう思ったがよくよく見てみれば、それは木戸ではなかった。

 木戸でなければなんであるのか。それを理解するのにまたしばしの時間を要したが、何のことはない。

 注連縄(しめなわ)が巻かれていたのは、銀杏木(いちょう)の巨樹だったのだ。

 それはカヤの位置から見えるだけでも大人一〇人が並べるほどに太く、暗い森の中にあって、そこだけが生命力に満ち溢れているようだった。


「あそこだ」


 ()を探しているのだと思ったゲンタが、カヤのために指をさす。

 その指の先、注連縄(しめなわ)の中央から左下の辺りに大きな(うろ)が見えた。

 カヤが目を凝らし、(うろ)をよく見れば、男が一人、寝そべっているではないか。

 欠けた小尉(こじょう)の面に黄緑色の水干(すいかん)

 顔は見えないが、弓削(ゆげ)千晴(かずはる)に違いない。


「手筈通りに」


 庵原が努めて小さな声を発すると、カヤを除く六人は銀杏木(いちょう)の巨樹を前方から囲むようにじりじりと、静かににじり寄っていく。

 カヤはその輪には加わららない。森に溶け込むようにして音も立てず、声も出さず、ただじっと(うろ)を見ていた。

 彼女の前を進む六人は、あとどれくらいで(うろ)に辿り着くだろうか。

 既に銘々が太刀を抜き、或いは呪符を構え、ゲンタは鳥の(くちばし)を模した面頬(めんぼお)を装着して剣を構えている。


 弓削(ゆげ)が、起きた。


 上体を起こして周囲を一瞥する。

 誰が合図するでもなく、武器を持った左兵衛(さひょうえ)星辰(せいしん)、ゲンタが突っ込む。

 天元(てんげん)庵原(いはら)が呪符を掲げる。

 図書(ずしょ)とカヤが、息を吸おうと口を開いた。


 いない。


 文字通り一瞬(ひとまたた)きの間に、弓削(ゆげ)(うろ)から消えていた。


(うた)え、共命(ぐみょう)の鳥」


 庵原(いはら)が掲げた呪符が二頭(ふたかしら)の鳥になり、上空を旋回し始めた。それは、人の声とも歌ともつかぬ、恐ろしく透き通った鳴き声を奏でる。同時、図書(ずしょ)が場に声を流し始めると、己の役割を思い出したカヤも透き通るような声を発した。

 三つの声は揺らめき、合わさり、天上の音を作り出す。

 そのとき、天元(てんげん)が、再び「えい!」と大声を出し、空間にぶつけた。

 弓削(ゆげ)が、いた。ゲンタの目の前に。

 大上段の構えから、弓削(ゆげ)が太刀を振り下ろす。

 声の波が乱れる。

 ゲンタの剣が太刀を受け止め、寸時の鍔迫り合いに持ち込むも、彼は弓削(ゆげ)の太刀をすぐに下に流し、右足で峰を抑えにかかる。

 しかし、弓削(ゆげ)はゲンタを諦めて後ろに飛び退き、そして再び森に溶けてゆく。


左兵衛(さひょうえ)!」


 庵原(いはら)の指示に左兵衛(さひょうえ)がゲンタの前に出て、弓削(ゆげ)がいた位置に刀を振るう。

 あえなく空を切るも、これも想定通りだった。

 すぐに刀を立てて構えれば、金属音が鈍く響いた。

 弓削(ゆげ)の姿が再び現れ、太刀の峰を押して、左兵衛(さひょうえ)()し切るような動きを見せる。けれどそれも、星辰(せいしん)とゲンタが切っ先を向けたことで、弓削(ゆげ)は飛び退かざるを得なくなった。

 そうして再び姿を隠そうとすれば、そうはさせまいと星辰(せいしん)が斬りかかり、三人で弓削(ゆげ)を囲む形となった。一人が斬りかかられれば、一人がかばい、一人が攻撃を加える。正面で対峙する者を次々と代え、入れ替わり立ち代わり、三方向から間断なく刃を交えていく。

 しかし、敵もさる者。多数の刃を躱し、いなしているというのに、僅かな隙を見つけては、的確に攻撃を加えてくるのである。

 だが、これも想定の内。

 肉を切り裂かんとする刃は、ほのかに光り宙に浮かぶ局所五芒結界によって、その(ことごと)くが()らされていた。これは天元(てんげん)の経験と才能がなせる技で、恐らく海内(かいだい)をくまなく探したとて、彼以外に行なえるものはいないだろう。

 また、弓削(ゆげ)の〝鬼の手〟も神楽歌で封じ込めることに成功し、傍目には押しているようにしか見えない。

 そこまでしても、戦況は一進一退の攻防どころか、このまま長引けば敗北か、取り逃がす可能性すら見えている状況だった。

 そのとき、式神の維持に集中していた庵原(いはら)が、叫ぶように指示を出した。


「頃合いだ! 星辰(せいしん)、ゲンタ! (うた)え!」


 三つの声の波が、もうすっかりとその場に馴染んでいる。整ったのだ。

 星辰(せいしん)が銘・星降太刀(ほしふるたち)を片手で握り、白銀の刀身を煌めかせて、舞い、(うた)う。

 ゲンタが銘・青星(あおぼし)を片手で握り、月白(げっぱく)の剣身を煌めかせて、舞い、(うた)う。


「朗詠。わが聞きし 耳によく似る 葦のうれの 足ひくわが背 つとめたぶべし」


 一瞬の静寂の後、弓削(ゆげ)の体がガクンと崩れた。苦し気に足を引きずり、そこに今までの力強さは微塵もない。

 好機とばかりにゲンタが斬りかかるも、太刀に弾かれる。

 更に態勢を崩した弓削(ゆげ)に、星辰(せいしん)が白銀の太刀を振るうが、これは()()うの体で避けられた。

 それならばと、左兵衛(さひょうえ)がどっしりと腰を落として渾身の突きを繰り出せば、弓削(ゆげ)は息も絶え絶えで、太刀を振るう事すら難しい状況。当然、そこにいた誰もが討ち取ったと思った。

 左兵衛(さひょうえ)の刀の切先が、真っ直ぐ弓削(ゆげ)の首を目指し、いよいよ突き刺さらんとしたそのとき、刃は弾かれた。

 見開かれた左兵衛(さひょうえ)の瞳に映るは、仄かに光り、宙に佇む五芒星。

 蒲原(かんばら)天元(てんげん)弓削(ゆげ)千晴(かずはる)を担ぎあげる。

 誰もが呆気にとられ、初動が遅れた。

 おかしいと気付いた頃には、二人の姿は森の中へ消えていた。


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