第三十七話 藍鉄様
一行は、明朝からすぐに動き始めた。馬が貴重な東国では、二十里進むのに三日はみなければならず、弓削が再度行方をくらませることも危惧したためだ。
それにしても、今回は人数が多い。蒲原父子、小平を含む天球の四人、ゲンタとカヤ、そして赤烏の案内二人の都合一〇名の大所帯である。しかし、小平と案内人は藍鉄の森の中までは入らず、手前の集落で待機する手筈となっていた。
そのためか、或いは過去の宮城門前の一件で負い目があるのかは分からないが、小平はどこか挙動不審で、特にカヤとは絶対に目を合わせなかった。
そんなことがありながらも、道中は庵原狐太郎がゲンタとカヤを退屈させないように話しかけたり、佐々木図書の万神始末草子をもとに、葦那言主とはなんであるのかと意見をぶつけ合うなど、過度に緊張することもなく、森への旅は順調に進む。
それでも男たちと比べて体が小さく、先日の風邪の影響が残っているカヤにとっては険しい道のりで、ゲンタの背負子にちょこんと座って運ばれる場面もあった。
背負子からは懸念していた妖も式神も姿は見えず、カヤの印象に残っているのは、痩せた土地に暮しながらも、どこか長閑な村々の風景だった。
「この辺りは賑わっておりますな」
ようやく森の手前の集落まで辿り着いたとき、庵原が案内の男にそう言えば、男は「国を挙げて開墾を行なっておりますので」とにこやかに返した。
「しかし、九十九町歩にも及ぶような大きな森では、さぞかし立派な主がいるのでは?」
「主は、殺し申した」
「……名のある法師にでも頼みましたか?」
「いいえ。丹王様のご下知によって、この森の主、あいてつ様の社や祠の悉くを破壊したのです」
「ほう。そのようなことで神を殺せるので?」
「難しいことは我らには分かりませなんだが、丹王様が仰るには、お隣の華那琉大陸では神を棄てるときにそのようにするのだとか」
「神を殺すではなく棄てる……か。いずれにしても穏やかではないが、実際、それで効果のほどは?」
「あったようですね。森を切り拓いている今も、主が現れたという話はとんと聞こえて来ぬのですから。もっとも、主を討ったという話も聞き及んでおりませぬゆえ、まだ殺したとは言えない面もありますが」
「ふむ……そう言えば、丹王様はどうやって華那琉大陸の知識に触れられたのですかな? あそことは人の行き来はできないはずでしょう?」
「そちらは禁じているかも知れませんが、こちらは朝廷ではありませぬゆえ、たまに商いをしておりましてな。丹王様が仰るには、若い頃に向こうの商人に頼み込んで連れて行ってもらったことがあるとかで。当初はすぐ帰るおつもりだったようですが、大陸で目に付くものが面白くてつい五年も旅をしてしまったと仰られておりました」
「洒然にして昂然たる御仁だとは思っておりましたが、それはまた随分と思い切ったことをなさいましたな」
「左様でございますな。そうして大陸から持ち帰った知識を、先代が身罷られてから次々と実施されたのですが、どうも工房の関係、大陸では蒸気機関と呼ばれているものが、こちらでは動かないとお悩みだそうな」
「ほう、蒸気機関というものがあるのですか。それはどのようなものでしょうな。叶うのならば一度は見てみたいものです」
「ははは、そうですな。おっと、こちらが宿です。私どもとそちらの小平殿はこちらでしばらく待機しております。ご武運を」
森の開拓のために作られた集落から発展したこの町は、大通りにいくつも宿が立ち並んでいる。そうなれば、客を引き込もうと必死な宿の女たちが、目をぎらつかせているものだ。その視線はゲンタたちに対しても変わらなかったのだが、そこは赤烏の役人が先導しているだけあって、腕を引っ張るような強引なことをする者はおらず、拠点とする宿までの道のりは、たまに舌打ちが聞こえるだけの平和なものであった。
* * *
この町には名前がなかった。
大久保が一行に用意した役人が言うには、開拓が一区切りを迎えるたび、街そのものが徐々に移動するだろうから、わざわざ名前を付けるまでもないとのことだった。しかし、往来する者にとっては名前が無いというのは不便なもので、結果、この町は藍鉄宿などと呼ばれている。
その藍鉄宿を東西に貫く街道は森の中まで続いていて、今でもかつての本宮に行くことができるという。
一〇人から七人に減った一行はその言葉を信じ、ひとまず本宮を目指すことにした。弓削が願いの力を求めているのであれば、そこで何事か儀式の一つでも行なっているかもしれないと、そう図書が言えば、反対する者もおらず、即座に目標地点に決定した。
もちろん、かつての本宮なのであり、それはもう木々に呑まれてしまっている可能性もあるのだが、他に目印になるようなものはないとのことで、選択肢などないようなものだった。
宿にていくつかの打ち合わせを行ない、一応の覚悟も皆々済ませれば、あとはそこを目指すだけである。
翌朝、鶏の鳴き声とともに目を覚まし、宿近くで手配していた蕎麦搔きを口にし、ようやく明るくなってきた頃に東へと街道を進む。
町を抜けるとすぐに大きな貯木場に出くわし、切り倒された見事な大木が朝陽を浴びて、それは神々しく見えたものだった。しかし、そこを抜け、森に少し入っただけで途端に光は弱くなり、もう秋も終わるというのに、どこまでも深い緑の木々には、うすら寒いものすら感じられる。
けれど、苔むした道は続いていて、一行は溶け込むように奥へと進んでいった。
それから何時間歩いただろうか。
ここでもやはり化生の類いや式神は現れず、半ば森に呑み込まれた社を目にするに至った。
しばらく辺りを探してみても弓削らしき気配はなく、木々の隙間から漏れる光芒が神の気配を漂わせるのみである。
「さて、これは困りましたな」
さして困ってもいないような顔で図書が零すと、庵原と左兵衛は腕組みをして無言で頷いた。
「ふむ」
蒲原天元は顎を左手で触り思案顔になるが、それもすぐに終わり、左の袂に右手を入れて何やら探し始めた。
少しして彼が取り出したのは、少し厚みのある小さな袋。
口紐を緩め、さらにその中から綿のようなものを取り出す。
「父上、それはなんですか?」
星辰が不思議そうな顔で尋ねると、「これは弓削千晴の髪だ」と答えた。
「さすがは父上ですね」
星辰が反応すると皆の視線も天元に集まる。庵原、図書、ゲンタなどは得心したような顔で、左兵衛とカヤは不思議そうな表情。
皆が見ている中、蒲原天元は左手で呪符を取り出し、髪の毛を親指で呪符に押さえつけながら持つ。それを目の高さで固定すると、右手の人差し指と中指を立てた刀印にて呪符の文字を無言でなぞる。最後に「ええい!」と大きな声を出せば、呪符も髪の毛も途端に燃え尽きて空気に溶けた。
「ねえ、ゲンタ。あの人、何をしたの?」
知識のないカヤが遠慮なく聞けば、ゲンタは少し困ったような顔をして答えた。
「失せ人探しのまじないだな」
カヤは「ふうん」とまだ理解できていないように返事をして、けれど「あっちだ」と言いながら歩き始めた蒲原天元の後ろを、当たり前のようについていった。




