第三十六話 目撃情報
そうしてゲンタとカヤが意図せず、しかし、カヤが内心で望んでいたかもしれない休暇を火輪でとっている間に、宵鶸から大久保のもとへと、弓削の目撃情報が届いていた。それも一度ではなく何度も。
それを宵鶸から聞いたゲンタは居ても立っても居られず、目撃された場所を聞き出そうとしたのだが、宵鶸の男たちは頑として教えてくれない。
ただ、「後日、大久保様より追って連絡いたす」と答えるばかりであった。
そう言われてしまえば、ゲンタにそれ以上追及する気持ちはない。結局のところ、二人の命は大久保に握られているようなもので、どうせ殺されるのなら、せめて弓削に挑んだ方がましだと思っているに過ぎないのだから。
しかし、カヤを死なせるわけにはいかないともゲンタは考えているから、安心している気持ちもあるのだ。カヤが何を考えているのか、聞きもせずにいるくせに。
「ゲンタ殿、カヤ様。大久保殿が本丸御殿へ来られたし、との仰せにございます」
それから何日もしない内に迎えに来たのは、すっかり顔馴染みになった宵鶸の男ではなく、いつか御殿で会った坊主頭の翁であった。
挨拶程度に返事をし、支度を済ませた二人が翁の後ろをついて歩くと、やはり翁はゲンタに話しかける。
「ゲンタ殿」
「はい」
「弓削某を打ち倒す覚悟はできましたかな?」
「はい」
「それは重畳。しかし、若者の中には身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれなどと、自分の命を軽く見積もる者も多い。かつての私がそうであったように。けれど、この年になってくると思うのですよ、やはり生きていた方がいいと。出世栄達、名誉、天下取り、大いに結構。けれど、そんなものがなくとも人間というものは案外幸せで、どうにでも生きていけるのですよ。もちろん、ゲンタ殿に成し遂げたい本懐があるのなら、それを大事になさるのが良かろうとも思いますが。果たして、ゲンタ殿に本懐はありますかな?」
「俺は……」
言いかけて、次の言葉が出てこない。
分からないのだ。
果たして自分は何を望んでいるのか。
弓削千晴を打ち倒すことが、それだけが自分の望みなのかと。
「あなた方はまだ若い。この世界をもっと知れば、為したいことも見えてくるでしょう。だから、これからです。これから探すのも、きっと楽しいと思いますぞ」
「……はい」
そんな話をしていると、いつの間にか大広間に着いていて、上段の間には御簾。影はない。そして、上段の間の手前には大久保暁鶏が、いつも通り置物のように控えていた。
「しばし待たれよ」
広く静かな空間に大久保の声がよく通り、二人はしんとした大広間の中央に、正面を向いて座した。
今回呼ばれたのも間違いなく弓削のことで、そうであれば場所を特定できたのだろうかと、二人はそのように考えを巡らせ始めていたが、ほとんど待たずに数人分の足音が聞こえてきて、思考は中断した。
背後から聞こえる足音は五つ。
二つは入り口で止み、三つはゲンタとカヤの並びで止まった。
衣擦れの音が、座った気配を漂わせる。
「庵原殿、佐々木殿、古江殿、よく戻られた」
大久保がそう言うと、今度は廊下から足音が三つ近づいてきて、ああ、これはそろそろ始まるなと、ゲンタは身構えるのである。
果たしてその足音はゲンタの予想通り、一つは案内の者で、二つは蒲原父子だった。
大久保が労い、すぐに「御成りである」と厳めしい声を出せば、一同揃って平伏すること暫し。上段の間、御簾の向こうからスッスッと緩やかな衣擦れの音が、二人分聞こえてきて、すぐに止んだ。
「面を上げよ」
この緊張感のない声は白帝のものである。
その声と同時に御簾と一同の上体が上がれば、大久保の咳払いが一つ鳴る。
「白葦の衆に手短に申し上げる。我が手駒より弓削千晴目撃の報、多数あり。場所はここ火輪より東に二〇里ほどの藍鉄の森周辺である。討伐の際には案内の者をつけるゆえ、人員及び出立の日を決定し次第、当方まで連絡されたし」
「大久保殿、目撃された際の弓削は、どのような格好であったか教えて頂きたい」
大久保に質問したのは童水干がまだ似合う蒲原星辰で、若者らしく、よく通るはきはきとした声であった。
「ゲンタ殿から以前に報告があった格好と変わりござらん。欠けた小尉面に黄緑色の水干、髪の様子は私と同じ総髪の慈姑頭にて」
「心得た」
「内府、勝てそうか?」
相も変わらず声に緊張感がないのは白帝で、けれど本人は至って真剣な顔で蒲原天元を見ている。
「……御言女様がいても四分ほどかと」
「それではいかん。是も非もなく、彼奴の首を獲ってまいれ」
「……主上の命とあれば如何なる手立てを用いても、成し遂げてご覧にいれましょう」
「おいおい、白帝さんよ」
このやり取りに、丹王は居ても立っても居られなくなり、口を出した。
「どうした、丹王殿」
「そちらの蒲原殿は、内府ってことでお偉いさんなんだろ?」
「いかにも」
「しかも、弓削なんたらって奴の舅ときて、どうして蒲原殿が行く前提で話をしているんだ? しかも嫡男殿も行くような気配じゃないか。大丈夫なのか?」
彼の疑問は尤もなことで、ゲンタ、庵原、図書、左兵衛、そして大久保も、なぜ蒲原天元は供も連れず、しかも何かあれば跡を継がなければならないはずの星辰までもが一緒に来たのかと、そのように思っていた。
それだけに、丹王の問いかけに、皆が集中するのは必然なのである。
恐らくそれを考慮したのだろう。答えたのは白帝ではなく、蒲原天元だった。
「丹王殿は拙に二心ありと思し召しか」
「平たく言えば、そうだな」
「ご安心召されよ。婿殿に嫁いでいた娘は既に引き揚げておりますれば、既に縁はございませぬ。加えてこれなる倅を連れてきたのは、弓削を討つための必勝の構えにて、我らにもし万が一のことがあったとしても、政務が滞らぬよう、別の者によくよく言いつけてございます」
「……そうか、覚悟ができてるってんなら、別にいい。むしろ、こっちでどうにかしなけりゃいけないってのに、すまないな」
「それもこれも、主上を一刻も早く、我が国に連れ戻すためにございます」
それを聞いた丹王は、目を細めて満足そうに笑うのだった。




