第三十四話 茶席
葦那言主の御名が何故揃っているか考えたことはあるのかと、弓削千晴は二人に問いかける。
ゲンタは「朝廷が神階従一位として祀り、各地に分祀したからでしょう」と答え、カヤはやはりじっとして、口をへの字に曲げたままだった。
「それではなぜ、神階従一位にしたのでしょう」
なお問いかける弓削の声は、静かで甘ったるい。
「……祟りを恐れたのでは」
「その通りです。彼が即身成仏した直後、白葦の空は真っ赤に染まり、都では三日三晩雪が降り続いたのだとか。その雪でほとんどの建物が埋もれ、或いは潰れてしまったとも言われています。
これを御祖様の祟りだと思った朝廷は、慌てて諡号を贈って祀り上げ、これを鎮めることにしました。
けれど白葦ではその後も毎年のように天災が起こったため、巫覡部をして大々的に国家鎮護の一柱に変質させ続けることにしたのです。
一人一人の祈りの力は、御祖様の呪と比べるべくもなく、か弱く、脆い。しかし、それが何千、何万と集まればどうでしょうか。
手前勝手に贈った葦那言主なる神として定義し、神霊を分けて呪を分散する。その上で、これなる神は国家鎮護の要となる和魂であるぞと、何百年も奉る。そうして那由多の時間、御祖様の呪は祝に変換されてきたのです」
「たった一つの荒魂のために、そんな馬鹿げたことをやったというのか」
ゲンタは思わずそう呟いたが、弓削の言うことには心当たりしかなく、ゆえにその声はひどく弱々しかった。
「それだけ御祖様の力が強かったということでしょう。今も続けなければならない程にね。ところが御祖様はそうなることも予測していたのかも知れません」
「それは、どういう……?」
陰陽の知識を叩きこまれたがための悪癖だろうか、ゲンタは既に耳を傾け始めている。もっとも、討伐令が後回しにされているための、ある種の余裕であるのかも知れないが。
「結界ですよ。君もおかしいと思ったことくらいはあるでしょう。なぜ、御言女様の術が言霊だけで行使できるのか。なぜ、唱文を省略しても術が発動するのか。……これらは全て御祖様の企図した結果です。彼は土木工事をする傍ら、各地に特別な呪符を仕掛け、人為的な龍脈の経路を作ってたようです。それらは表出し、海内に住まう者に祝を授け、呪を増幅させる役割をしました。その上、葦那言主様を祀るお社は、すべてその上に建てられた。皮肉なことです」
「だとすれば、統治とは何をするのです」
「結界の完成により、そこな御言女様は法力無限に至り、一切の敵を寄せ付けなくなるでしょう」
「御言女とはいったい何なのですか? それに敵とは……まさか大陸の?」
「御言女とは、御祖様が結界を築き上げた後に、各地に生まれるようになった特に強い呪の力を持つ者。朝廷はこれも御祖様の荒魂を現す者として手元に置くことにしました。
御祖様の血が流れている者なら、誰でもシルシが発現する可能性があり、しかも、同時代に複数の者に現れることもあります。けれどその力はシルシの濃淡によって決まり、ほとんどの者は肌の色と変わらず、強い呪の力も持たず、その一生を終えます」
「シルシが濃い者だけが御言女であることを強制される……」
「然るに、無限の祝と呪をもって、御祖様を頂点、御言女様をその口とした朝廷に作り替えれば、いかな華那琉大陸の強国が攻めてこようとも、国の守りは揺るぎなし」
「結界は完成していないのですね」
「あくまでも私の考えに過ぎませんが、御祖様の結界は未だ不完全であり、これを完成せしめることによって、千古不易の御世の礎となると確信しています」
「結界の完成には何が必要なんです」
「人々の願いの力。意志と言い換えてもいいでしょう。或いは法力、神通力、呪の力。これらが強ければ強いほど、結界の完成は早くなる」
「赤気の乱はそのためだったと?」
「然り。お陰様で随分と力を集めることができました」
ゲンタが相手をしてくれることが嬉しいようで、面から覗く彼の口は緩んでいるようにも見える。
しかし、住む家ばかりか命を失った者が多数いたあの事件を、嬉々として語るその口に、ゲンタもカヤも、手をぎゅっと握りしめた。
その様子も把握していることだろうが、弓削の演説は続く。
「でも、まだまだ足りません。結界の完成にはあなた方の強い力と、願いを引き出す更なる争乱が必要なのです。どうですか、ゲンタくんと御言女様。私に協力してみる気はありませんか」
そう言われた二人は、けれど、黙ったまま弓削を睨み付けるだけだった。
「ああ、そう言えば私としたことがうっかりしていましたが、御言女様のご両親の件」
カヤの頬がピクリと動く。
「赤気の乱の折に、お亡くなりになってしまったのでした。そのお詫びがまだだというのに、あなたを勧誘するだなんて、私はまったくどうにかしておりました。申し訳ありませんでした。どうかこの通り、お許しください」
誠意の感じられぬ声が、甘ったるいままカヤの胸をかき回し、そのまま声に出る。
「弓削! お前が……お前が、殺す!」
カヤは今、どんな感情なのだろうか。
毛を逆立て、瞬きを忘れた瞳は充血し、見開かれたまま。
握りしめていた手をガっと開いて、右足を踏み出し、今にも弓削に飛びかからんとしているのか。
けれど、それ以上、動かなかった。
それ以上、動けなかった。
手を動かそうとしても、立ち上がろうとしても、転がろうとしても、カヤは体を動かせなかった。
掴みかかって殴りたかったはずなのに、懐の短刀で刺してしまいたかったのに、物音一つ立てられず、嗚咽一つも漏らせず、悔しくて情けなくて、どうしようもなくて、カヤは涙ばかりが溢れ出る。
そのとき、ゲンタが声を出した。
「お断りします。民の犠牲を厭わぬ国が滅ぶは必定にて」
静まり返った空間を打ち破るような彼の重い声が、カヤの耳にすんなり入る。
「そうですか。では、お引き取り下さい」
弓削の反応も淡白で、元々うまくいくとは思っていなかったことが滲み出ている。
そうしてカヤは固まったまま、ゲンタに小脇に抱えられるようにして庵の外に出て、そこでようやく体を動かせるようになった。
「言留め、疾く天を飛べ、文の鳥」
庵が見えなくなると、ゲンタは木道に腰かけて、火輪に文鳥を飛ばした。
カヤはずっと顔をむくらせていて、それが枲垂衣越しでもよく分かる。
「火輪に帰るぞ」
「ゲンタ、どうしてあいつの首を獲らなかったのよ!」
「勝てると思うか?」
「……むぐ」
そのように聞かれれば、カヤの脳裏には宮城門前での惨殺が昨日の事のように思い出され、ぐうの音しか出ない。
ゲンタの心情は分からないが、カヤの憎しみは燻ぶり止まず、陰々として帰路につくのだった。




