第三十二話 北方捜索
カヤは、この国が嫌いだった。
カヤは、自分を利用しようとする朝廷が好きではなかった。
ただ普通にゲンタと話がしたかった。
ゲンタと新しい土地で暮らしたいと思っていた。
けれど、実際に新しい土地に来てみても、変わるのは土の色と風の匂いだけだった。
それでも、西国と味付けの違う蕎麦は、少し塩辛かったが美味しかった。
しかし、赤烏の人間たちも自分たちを利用しようとしているだけに思えて、好きにはなれなかった。
例えばこれが、すべて葦那言主のせいだとしたならと、日に日に、頬の痣を引っ掻く回数が増えていった。
――赤烏、つまりこの島においては長らく東国とひとまとめにされていた地域の、その北方は秋の入り口においても衣が二枚か三枚は追加で必要なほどに、そして早朝には霜が立つほどに冷えていた。
火輪から山を避けて北に伸びる街道沿いは、幸いにして宿場も多く、着るものを手に入れるには事欠かない。
だからといって、このまま冬に突入してしまえば、雪によって身動きが取れなくなることは簡単に予想できることで、二人の足は自然、早まるのだった。
そうして周囲の畑の土が赤茶から黒茶に変わり、杉の林が目立つようになってきた頃、同時に川底に赤いものが見えるようになった。
最初に見たときには、二人で「赤土だろう」などと話していたのだが、やがて一面が赤茶けた川に出くわした際には考えを改めた。
鉄、なのである。
豊富な鉄が川にもあり、その赤は、製錬する前の鉄鉱石の色だったのだ。
自然、そういった場所には大鍛冶場を中心にして、大小を問わず鍛冶屋が集まり、生き物のように巨大な工場を形成しているようだった。
しかし、北方では弓削千晴の情報は得られなかった。
およそ一カ月半、足を使って方々を見聞したが、彼の者と思われる目撃情報はなく、また、葦那言主を祀った神社も見当たらない。
あるのは黒々とした木で覆われた山、赤い山と賑わう鍛冶場、そして貧しい農村だけだった。中にはゲンタとカヤが聞いたこともない『石炭』なるものを採掘する鉱山もあったのだが、それはただ二人の興味を引いただけである。
二人の興味を引いただけと言えば、この北方に葦那言主を祀った神社が見当たらない理由についても、そうだった。
立派な神社を見つけ、宮司から話を聞いたところによれば、どうやら赤烏の建国を宣言した頃から、葦那言主信仰を廃止せよとのお達しが出たとのことで、それは今でも続いているのだ。
二人と会談した際に丹王が言っていたことは、もう一〇〇年も前から始まっていたのだろう。
「言留め、疾く天を飛べ、文の鳥」
今宵もゲンタは文を折り、式神の文鳥を宿の板戸から夜空へと放つ。紙でできているはずのその鳥は、羽ばたくと同時に、本物と見紛うばかりに羽毛が見えて、桔梗色の空へと溶けていった。
それは宵鶸、延いてはその上の大久保暁鶏に〝何も無かったこと〟を伝えるための、いつもの作業であった。
だけど今夜ばかりは、いつもの、ではなかった。向こうから文鳥が来たのだから。
それはゲンタの肩でチチチと鳴いて、彼が無造作に掴んで体の前に出すなり、手の中でパタパタと勝手に開き始めた。
そうして完成した文には、簡潔に『相談の儀あり、火輪に戻られたし』とだけあり、ゲンタは顔を曇らせる。
しかし、北方での捜索に拘泥する理由もなく、カヤに向け、「帰るぞ」と呟いた。
* * *
「ゲンタ殿とカヤ様。北方での捜索の成果は芳しくなかったようだが、体の具合はいかがかな?」
火輪に戻り、大久保暁鶏から掛けられた声がそれだった。
たいそう寒かったとはいえ、風邪をひくようなこともなく、ここにこうして戻ってこられたのだからと、二人は「ええ」や「はい」などと返事をするしかない。
「それは何より」
「ところで、相談の儀とはなんでしょうか?」
「うむ」
短く返事をした大久保は、赤烏の地図を畳の上に広げて見せ、何やら山の名前が書かれているところを指差した。
「実を言うと、この辺り……千明岳という山があるのだが、その周辺で手の者が行方をくらませているようなのだ」
「……宵鶸のですか」
「その通りだ。恐らくここで妖の類いでも出ているのだろうと思ってな、妖祓いをしているゲンタ殿に頼ったのだ。何か火山に関係のある化生に心当たりはないか?」
「その、こちらには陰陽師や法師は?」
「昔の決定でな、おらぬのだ。ごく限られた者が文鳥を使えるだけでな」
妖、妖怪、物の怪、化生。
これらはすべて人の心から生まれ、人に恐れられ、人によって概念が決まるものだ。
人がそこにいると思えば姿をなし、そこで見たと言っても姿をなす。
しかし、ゲンタもカヤも、北方では一切それらを見なかった。もちろん火輪でも見ていない。
一切、というのは正確ではない向きもあるのだが、ともかく東国では妖の存在を否定している者が多いのである。否定して、頭に浮かべる者が少ないのだから、妖は存在を許されないのだ。
だからゲンタは別のことを考えた。
「弓削がこの辺りに潜んでいるのではないでしょうか」
「……ふむ。その可能性も考えたが、連絡のつかない者は、妖を祓う力は持っていないものの、いずれも手練れ。それが立て続けに消えるとなると、弓削の実力はかなりのものとなるが、そういうことなのであろうか?」
「そういうことです。もちろん、妖の可能性もありますので、ここは俺たちが行ってきます」
「陛下と我が君が言っていたことではあるが、実際、彼奴ばらは危険であろう?」
「ご安心ください。奴が、弓削千晴が、カヤの力を欲している限り、カヤを殺すことはできない。そしてカヤが生きている限り、俺は何度だって蘇ることができるのですから」
こう言っているゲンタとて、それを確信しているわけではなかった。
けれど、カヤを守るためには弓削の目的を知らねばならぬと、そう思い始めていた。




