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第三十一話 蕎麦屋

 小さな門と小さな庭のある小さな家。

 瓦は他と同じく灰色で、外から見た家の作りようも、周囲の家々と大差ない。


 この家は赤烏(せきう)の首府・火輪(かりん)にて、民草(たみくさ)がよく住み、武家屋敷には遠くも近くもない場所に位置していた。


「お二人が不在の間は、我々が監視しておりますのでご安心ください。それではこれにて。あ、御用の際は城の大手門にいる衛兵にでもお声がけ下さい。『城の中に逃げ込んだ(ひわ)を探しておる』とでも言えばいいでしょう」


 火輪(かりん)の町を案内してくれた、少しお喋りな宵鶸(しょうじゃく)の男が去っていくと、ゲンタはようやく生きた心地がした。

 カヤはどうしているかと振り返ると、早くも畳の敷かれた居間で大の字になっていた。彼は一瞬固まって、口をへの字に曲げるが、すぐに思い直して緩める。ああ見えて、本当はずっと緊張していたのだろうと思って。


 ここは赤烏(せきう)の老中・大久保暁鶏(ぎょうけい)の別宅である。

 普段は何に使っているのかも分からぬが、火輪(かりん)に滞在中は好きに使ってよいと、二人に貸し与えたのだ。

 そればかりか、弓削(ゆげ)捜索にあたって、朝廷から渡された金子(きんす)が足りないとみるや、当面の路銀も工面してくれた。

 支援の約束は口先だけではなかったとの安心が、カヤの態度に現れたのだろう。

 それは当然ゲンタにも現れて、結局二人とも日が暮れる頃には、すっかりと寝てしまうことになった。


 明けて翌朝、ゲンタはどこからか聞こえる梵鐘(ぼんしょう)の音で目を覚ました。

 重く長く響く音は、どこかで彼の心を不安たらしめ、焦りを与える。

 だから、まだ日も昇っていないというのに、近くでスヨスヨと小さな寝息を立て、相変わらず大の字で寝ていたカヤを揺さぶり起こしてしまう。


「ゲンタ、どうしたの?」


 カヤは右手で瞼をこすり、文字通りの寝ぼけ(まなこ)である。


出立(しゅったつ)の準備をするぞ。一刻も早く弓削(ゆげ)に会わなければ」

「……早く会って、それでどうするの?」

「話を聞く。悪ならばその場で斬らねばならぬ」

「ゲンタに斬れるの?」

「分からぬ」

「そっか。じゃあ、ご飯を食べに行こうか」

「どうしてそうなる?」


 丁度そのとき、朝の静かな室内に、二人の腹の虫が重く長くグウーと鳴り響いた。


「それはね、お腹が空いているからだよ」


 そうしてゲンタはカヤに引っ張られるように町に出た。

 空きっ腹の二人が見た火輪(かりん)の町並みは、やはり閉まっている店だらけで、薄暗いことも手伝ってどこか寂しい。

 しかし、そんな大通りにあって、ぼんやりと輝くものがいくつか見えていた。

 引き寄せられるようにその内の一つに近づけば、目に飛び込んできたのは、大きな提灯に平仮名で書かれた〝そば〟の二文字。

 漂う匂いは醤油と出汁が混ざったもの。

 二人は知らず、鼻をひくひくと動かしてしまっていた。


「二つでよろしいですか?」


 その蕎麦屋の見た目は小さな大八車といった風情で、車輪と持ち手があり、本来は荷台であるべき場所は台のようになっていた。そこに大きなお椀と生蕎麦、それとネギなどのいくつかの具材が並べられている。


「頼む」


 ゲンタがそのように言えば、店主と思しき男性は脇へ移動して大きな鉄瓶(てつびん)を取り出した。

 何をするのかと二人して注意深く眺めていると、鉄瓶(てつびん)からお椀に何かの液体を流し込み、そこに生蕎麦と具材を入れていく。

 長めの(はし)で見た目を少し整えると、「どうぞ」と二人の前に置き、竹製の丸箸(まるばし)も後から出してきた。


「いただきます」


 手を合わせ、先ずは一すすり。

 温かい汁とともに二人の口の中に広がるのは、醤油とかつお節、それらを引き立てる何かの風味。

 蕎麦は少し柔らかく、風味はほとんど残っていない。

 けれど、ゲンタとカヤにはとても美味しいものに感じられ、するすると口の中に入れていく。


「お侍様、鉄瓶(てつびん)が珍しいかね?」


 懸命に蕎麦をすするゲンタに店主が問うた。


「ええ、まあ」


 本当は侍ではないのだが、合わせておいた方が無難だと彼は判断する。


「そうしたら、西の方の出身ですかね。これは北の方の名物でね、あっちじゃあなんでもかんでも鉄でこさえるんだから実に面白い」

「鉄が……よく()れるのか?」

「ええ、北は鉄がそれはよく採れます。ただ、今は刀よりも、もっぱら鉄砲ですからな。昔よりは賑わいが陰っているそうですよ」

「鉄砲……というとやはり硫黄、硝石、それから銅、鉛なども必要だな」

「さすがお詳しい。けれど、この国じゃあ銅と鉛は滅多に出やしませんからね、大陸から取り寄せているわけですよ」

「なるほど、勉強になった」


 それにしてもこの店主はよく話す。

 ゲンタが腰から下げているのは刀ではなく剣であるのに侍などというし、加えて袖頭巾(そでずきん)市女笠(いちめがさ)も被らず、まったく無防備に晒しているカヤの頬の痣も、気にした様子がない。


「世話になったな。代金を置いていくぞ」

「はい、ありがとうございます。今後ともご贔屓に」

「ところで店主よ」

「なんでしょう」

(ひわ)はこの辺りには多いのか?」


 すると店主は愛想の良い顔で、「ええ、それなりに」と答えたのだった。


 その後、ゲンタとカヤは城に控えていた宵鶸(しょうじゃく)に、「北方へ行く」と言伝(ことづて)し、その日のうちに出立した。


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