第二十八話 火輪
「わあ、凄い!」
赤烏の首府たる火輪の町に辿り着いたのは、国境を越えてから、二日後の昼だった。
白葦の都と異なり、周囲に壁や大門はない。
その代わりにあるのが、どこまでも続く灰色の瓦屋根の町並みだった。
それは途中で幾重にも折れ曲がり、とぐろを巻いて、複雑な迷い道を作り出しているようにも見え、それでいて美しい。カヤが思わず感嘆の声を漏らすのも頷ける話だ。
そしてその壮観な通りの先で一際目を引くのが、白葦の国にはない、黒漆の天守閣である。
「これより別の者が案内いたす。御免」
瓦屋根の建物が始まるあたりで朴訥とした男は去っていき、代わりに別の者が案内をし始めた。
名乗らないあたり、やはり宵鶸の者なのだろうとゲンタは思ったし、顔と服装が最初の男と似ていることからも、それは間違いないだろう。
だが、今度の男は誰の計らいか分からないが、幾分かお喋りであるようだ。
「さあさ、お二人とも既に目に入れられたかと思いますが、あちらに見えますのが赤烏の王たる丹王様が座します火輪城にございます。五重六階の威容を誇る大天守の他に、長大な多聞櫓を四方に構える城壁はまさしく鉄壁の守りなれば、火輪に住む者たちには紫烏城などと呼ばれて親しまれております。さあさ、ゲンタ様にカヤ様。どうぞ私の後をついてきて下さいますよう」
白葦の都よりも、擘浦の港よりも賑やかな通りに、カヤの視線はあちらへこちらへと目まぐるしく、袖を掴まれているゲンタの体も、引っ張られて動いてしまう。
それでもゲンタは背を向けて歩く宵鶸の男から、片時も目を離すまいとし、それでいて視界を引いて俯瞰もしていた。だから、町並みについてもカヤとは違う印象を受けられた。
――雑然。
白葦の都が直線で引かれた町並みだとすれば、火輪は無秩序に見える。ここに住みたいと思った者たちが、おそらく昔からあったであろう集落の周りに住み始め、そうして出来上がった輪の集合の結果、とでもいうのだろうか。
けれど、ただ大通りを歩いているだけで、紫烏城の位置が右へ左へと動くのだから、総構えという思想のもとに縄張りをした都市なのではないか。
いずれにしても、これを攻め落とすには難渋するであろうなと、ゲンタはつい思ってしまう。
そうこうしているうちに、周りの雰囲気が変わってきた。
商店や長屋が減り、重厚な鉄鋲の門構えが増えてきたのだ。
屋根を見上げれば、瓦の色も赤みを帯びている。
「さあさ、もうすぐですよ」
石で固められた幅の広い水堀が見えてきたとき、宵鶸の男が言った。
ほとんど傾斜の無い木橋の向こうに見えるのは、石垣の上に立つ豪壮な鉄城門であった。開け放たれたその向こうには、高い石垣だけがみえる。
槍を持った不愛想な門番の横を通り抜けても、正面に見えるのはやはり高い石垣で、その上には狭間のある白漆喰の壁。右を見ても同じ様子であった。
「こちらです」
男の声がした方を向けば、そちらにあるのは更に頑丈そうな鉄城門である。
こちらも開け放たれているが、城攻めとなれば、第一の門を落としたところで、封鎖された第二の門の前で四方から狙い撃たれる。そういう構造なのだと思えば、ゲンタは背中に冷たいものを感じて仕方がない。
けれど、彼の隣ではカヤが呑気な声で「凄いね。立派だね」と繰り返していて、そのお陰でゲンタは正気を保っていられたのかも知れない。
「どうかしましたか? ……ははあ、さてはお二人とも、立派な門に感心なされたのですね。私としては、もっと自慢したいところなのですが、何せやんごとなきお方が二人もお待ちなのです。さあさ、まいりましょうぞ」
「あ、ああ……そうだな」
表情の止まっていたゲンタに、名も知れぬ男がしたり顔で話しかければ、己はなにを無駄な計算をしていたのかと。
そうして男に案内されるままに大小さまざまな門をくぐり、やっとのことで天守のそばに辿り着くと、果たしてそこにあったのは、大きな屋敷であった。
宵鶸の男がまた嬉しそうに、赤烏ではこういう建物を御殿というのだと語る。
ゲンタにしてみれば都で見慣れているが、こちらの御殿はどうも様子が異なる。もちろん、背後の五重六階にもなるような建物は都には無いのだが、御殿の建物そのものにも違いがあるような気がしてならなかった。
「それでは私はこれにて失礼いたします。この先はまた別の者が案内する手筈になっておりますので、下足番に草鞋など預けてお上がりください」
ここでまたしても宵鶸の男は去っていった。
さて、今度はどんな人物が現れるのだろうかと思いつつ、下足番に草鞋や宝剣、打飼袋などを預けたところでゲンタは閃いた。
都の御殿と比べて装飾が少ないのだ。
鬼瓦にしても入り口の唐破風にしても、彫りなどが実に少なく、この場所の重要性に比して簡素である。
建物の中、見える範囲も外観同様に簡素で、金や銀の箔も見えず、調度品もないせいか、却って空間が広く見えるものだった。
「何か、気になるものでもありましたかな?」
ゲンタとカヤが落ち着いた声の方を見やると、そこには坊主頭に真白な眉毛の爺が立っている。「立派な建物ですね」とゲンタが当たり障りのない回答をすれば、爺も「そうでしょう」と返した。
「さて、ここから先はこの爺が案内仕ります。よそ見せぬよう、私についてきて下され」
「ありがとうございます」
二人声をそろえて返事をすると、茶坊主のような姿の爺は静かに歩き始めた。
「この国の村々はいかがでしたかな?」
「なんとも申し上げられません」
ほんの少しのきしむ音が聞こえる廊下で、爺はやはり、落ち着いた声で話し始めた。
「そうでしょう。こちらの農村は、皆貧しい。我が君もどうにかして富ませたいのですが、国が苦しいままではうまくいかず、今は商人が幅を利かせているような状況でしてな」
「なんとも申し上げられません」
「そうでしょう。それにしても、朝廷もなかなか冷酷なことをなさいましたね」
「どういう意味でしょうか?」
「……これはご無礼をいたしました。分からなければ良いのですよ」
「……薄々は気付いております」
「であれば、運が良かったですな。あなた方に危害を加えるつもりなど、こちらには毛ほどもないのですから。もっとも、私には毛がありませんけどね」
「ご冗談を。しかし、それを聞いて安心いたしました」
「然程のことはありません。……おや、無駄話をしている間に到着してしまいましたな。ささ、この大広間の中ほどまで進んでお座り下さい」
そう言い残して翁も去っていった。
そうして案内されるがまま、一〇〇畳はあろうかという広間の中心に、二人は腰を下ろした。
いつも佩いていた宝剣はないが、こちらを監視する者の気配もなく、二人は恐怖を感じることなく、ぽつんと静かにしているだけだった。
広間の奥には上段の間があり、御簾が二つかかっている。宵鶸の、最初に会った男が言った用事が本当ならと、ゲンタは緊張を隠せない。
やがて御簾の向こうで二つの人の形が動き、ストンと座ったかと思うと小さく声が聞こえてきた。
「これ、邪魔だのぅ。片付けてくれまいか?」
その声は、急いで頭を下げたゲンタには覚えがなく、カヤにはいつかの擘浦で聞いた声だった。




