第二十七話 赤土
カヤは、白葦の国が嫌いだった。
カヤは、自分を利用しようとする朝廷が好きではなかった。
カヤは、ゲンタとずっと話していたかった。
カヤは、ゲンタと新しい土地に行きたいと思っていた。
カヤは、叶うならば、両親と暮らしていた頃の草浜村に戻りたいと思っていた。
だから、先日の朝議を受けて、正式に発給された下文が出たときは、たいそうな喜びようだった。
そうして名も知らぬ宵鶸の男に言われた通りに、五代堂なる薬屋を探してみれば、見つかったのは表通りから遠く、小路の中でも目立たないような店構えである。
しかし、運が良かったのかそれとも何者かの手引きによるものか、店の周辺は都の大火を免れたようで、人の往来は多かった。
表に日除け暖簾のない店構えを覗き込み、そろりと薄暗い店の中に入れば、そこにいたのは白髪白衣の老爺のみ。
「……何を、お探しで」
と問われれば、ゲンタは一瞬の逡巡の後に、
「お主が番頭か」
と答えた。
「左様にございます」
「鶸はどこにいる」
「居間の篭にてございます。お上がりになって、左手二つ目にお入りください」
「分かった。カヤはここで待て」
袖頭巾の中でカヤはコクンと頷いて、奥へと消えてゆく幼馴染の背中を見送った。
「どうぞ、框にでもお掛けになって下さい」
番頭に勧められるままに、カヤは腰を掛け薄暗い店内を見回した。
天井まで届く薬棚に、普通ならば威圧感を覚えるところであるが、彼女は心地良さのようなものを感じている。
どことなく桂皮の匂いが強い店の中は、何故か外の喧騒が聞こえてこず、或いはこのことが、未だ赤く輝く空の、その不穏な気配を断っているように感じていたのかも知れない。
「あなた、御言女様ではないかね」
老爺の険のない問いに、けれど彼女は答えられず、膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。
「いや、答えにくい質問をしてしまって申し訳ない。だが、ここに来たということは、白帝様をお救いに行くのでしょう。あの御方は実に良い。きっとこの島を変えて下さるに違いない。くれぐれもよろしく頼みましたぞ」
薄暗い店内で視線を合わせず、頷きもせず、カヤはただ入り口に差し込む赤い光を眺めながら、静かな老爺の声を聞いていた。
やがて二人分の足音が聞こえ、ようやく彼女は体を動かす。
「では、参ろう」
「うむ」
宵鶸の男は、相変わらず作ったような顔でその本心は分からないが、ゲンタの顔は少し安心しているようにカヤには見えた。
それから三人は老沼の南を回って東を目指し、途中、兎島などいくつかの集落を通り過ぎたが、やはり争乱の空気は消えきらず、空は青くとも暗く見えたものだった。
「ねえ、ゲンタ。草浜村も」
「今は気にするな」
「……うん」
国境に近い阿和村の集落が見えてきたとき、このまま街道を東に進み、関所を通るのだろうとゲンタとカヤは思っていた。
ところが二人の前を歩く宵鶸の男は、後ろを振り返り、集落の南に広がる森を指し示すと、そのまますたすたと森に入っていくではないか。
杣道も獣道も見当たらないような斜面を、しかし、男は迷いも見せずにどんどん進む。ときおり二人がついてきているか振り返ることから、間違っているというわけでもなさそうだ。
最初は顔を曇らせていたカヤも、まるで天球の隠れ家に向かう道のようだと、小枝が体に当たるのも構わず、歩き続けた。
そういうことだったから、宵鶸の男が今夜の仮宿として用意していた小屋の薄汚さには、随分と落胆しているように見えた。
「少々汚いが、今夜はここで夜を明かす」
男は相変わらず厳めしく、そして要件しか話さぬような朴訥さである。
本来ならばこのような道なき道を通る前に、説明があってしかるべきだとゲンタは思っているが、それはぐっと飲み込んだ。飲み込んだのだが、やはり聞かないわけにはいかない。今後の自分たちの行動にも影響があるかもしれないのだから。
「なぜ、街道を使わなかったんだ」
「知れたこと。いかに朝廷の許可が下りようとも、拙者は赤烏の間者なのだ」
「つまり?」
「皆まで言わぬ。お主に父譲りの才があれば、それで分かろう」
「……分かった」
「ところでこちらからも聞きたいことがあるのだが」
「なんだ?」
「御言女様のことだ。こちらに伝わる話によれば、御言女様は言葉によって未来を変える力をもっているという。だが、お主らは普通に話をしておった。危険はないのか?」
「問題ない」
「あ、ゲンタ。アタシから話すよ」
「そうか」
「あのね、宵鶸さん。他国の人にべらべらと喋れないんだけど、言葉に呪を乗せなければ大丈夫なの。だから、安心して下さい」
それを聞いた男は、頬がぴくぴくと痙攣して片方の口の端がつり上がり、その日はカヤと顔を合わせることなく、寝てしまった。
けれど翌朝の彼は、いつも通りに作り上げた顔で、赤烏への道を案内するのだった。
「国境はいつ越えるんだ?」
昨日と同じように草をかき分け、小枝を折りながら進む中で、ゲンタは男に問う。
結構な距離を歩いた気がするが、濃い緑と坂ばかりの景色は変わらず、ゲンタは自分たちがどこにいるのか皆目見当も付かない状態だった。
「昨日の内に」
だからゲンタもカヤも、男の返答に驚いたのだが、よくよく考えてみれば、境がはっきり分かれているところなど関所の周辺くらいなもので、川もないのだから、確かめようもない。
下らぬ質問をしたなと、ゲンタは再び口を閉じ、カヤが転ばないように支えることに注力した。
「ここより先、いくつかの集落を抜けるが、詮索や気遣いは無用ぞ」
「……分かった」
他国ゆえ、詮索をしないようにというのは分かる。余計なものを見られたくないのは当然だ。けれど、気遣い無用とはどういうことか。
ゲンタはそう思いながらも返事をしたが、最初の集落を目の当たりにすれば、男がなにを言わんとしていたのかが身に染みて分かった。
貧しいのだ。
景色が、畑が、家々が、着ているものが。
だというのに、表情ばかりが満ち足りている。
食うに困っていることが容易に想像できるような有様であるにも関わらず、村人たちはこちらに微笑みを向けている。
「宵鶸――」
「詮索と気遣いは無用と申した」
この貧しさは白葦の西のそれと同じニオイがする。本当は、苦しいのではないか、ものをねだる顔なのではないか、金品欲しさに一斉に襲いかかってくるのではないか。
そのようにゲンタは思ったが、男はこれまでと同じように歩いているし、カヤはカヤで枲垂衣の奥からいちいち村人に笑顔を返している。
ゲンタは一人、腹を殴られたような思いで、微笑みの生垣の中を歩いていった。




