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第二十四話 西部

 空に浮かぶは月に叢雲(むらくも)

 その下で鳴り響くは、三つの音。

 一つは、空気を震わせる虎の如き咆哮。

 一つは、低く、それでいてどこか甘い、若い男の吐息。

 一つは、場を(きよ)めるが如くに朗々と流れる、乙女の神楽歌(かぐらうた)

 かつて賑わいを見せた御殿も、今ではすっかり骨ばかりになり、影が蠢くのみだった。


「参れ、閻羅(えんら)従卒(じゅうそつ)よ。我が宝剣(ほうけん)に宿りて、悪鬼をくじく力となれ」


 次々と繰り出される重い音の、その僅かな隙を躱すように甘い声が流れれば、男の持つ剣は冴え冴えと青白い輝きを放つ。

 けれど、重い音が止むことはない。

 雲間から降り注ぐ僅かな月光が照らすのは、只人(ただびと)の倍ほどはあろうかという大男。

 否。

 それは、人のように見えて人でなし。

 額の左右から伸びる牛の如き角が、それを明示していた。


 鬼。

 それは悪心の成れの果て。

 それは人にして人の果て。

 それは人を喰らうもの。

 それは妖、それは仇。


 鬼にしてみれば、自らを退治しにきた弱き者を早々に捻りつぶし、平らげる。そのようないつもの退屈な作業のはずだった。

 しかし、目の前にいる男には、すっかり手に馴染んだ金砕棒(かなさいぼう)が一向に当たらない。

 片手で軽々と振り回し、次から次へと攻撃を加えたところで、空を切り地面を抉るばかり。

 そんなことが続けば、いよいよ鬼もいつもの奴らとは違うなと思い始めた。

 もっとも、鬼の意識は緩やかに波打つ神楽歌にもう随分と侵食されていて、何を考えられるわけでもない。

 それでも、男の持つ青白い宝剣は危険なものだと思った。

 だから、力を込めて金砕棒(かなさいぼう)を振り下ろした。

 一回で当たらなければ二回、二回で当たらなければ三回と、自慢の右腕で得物をとにかく振り下ろした。

 やがて鬼は気が付いた。

 振り下ろす右腕が軽くなったことに。

 右腕の肘から先が消え失せたことに。


「カヤ、今だ!」


 若い男が振り返り、一瞬の静寂。

 (のち)、無言で頷いた乙女の声が、夜に溶け込むように流れた。


()は、鬼に(あら)ず、化生(けしょう)(あら)ず、元より人に(あら)ず。土より出でし豆なり。豆は豆として豆ならん」


 朦朧(もうろう)とした鬼の瞳に、最後に映ったものはなんだったろう。

 因果を捻じ曲げられ、押しつぶされ、そして一粒の豆になった鬼は、若い男の胃袋で、最期に人の夢を見たのかも知れない。



 *  *  *



「草浜のゲンタ。そなたに弓削(ゆげ)千晴(かずはる)追討の任を与える」

「はは。この身に代えましても成し遂げてみせましょう」

「うむ。また、これより明星(あかぼし)元太(げんた)の名乗り及び青星(あおぼし)の常時佩剣(はいけん)を許す」

幸甚(こうじん)の至りにて」

「励むがよい」


 ゲンタが卜部(うらべ)の頭領、蒲原(かんばら)天元(てんげん)から追討令を受けたのは、(みやこ)の大乱が収まった、その僅か一カ月後のことだった。

 当然、追討の任を受けた者は他にもいるのだが、都を守るときにのみ貸し与えられていた唯一無二の宝剣・青星(あおぼし)佩剣(はいけん)を許可されたのはゲンタ、ただ一人である。

 そのことにゲンタの気持ちは高揚し、しかし、あの弓削(ゆげ)千晴(かずはる)を己の技量で討ち取ることができるだろうかと憂慮もしていた。

 だから、嬉しかった。


「なにがなんでもアタシはゲンタについていく!」


 村にいたときの調子で、カヤがそう言ってくれたことが。

 それだけでゲンタの口元は、本人にしか分からない程度に緩んだ。


 ――そして現在。

 都から西の広い地域を、ゲンタとカヤはさまよい歩いていた。

 ゲンタは髪を茶筅(ちゃせん)に結い、卯の花色の小袖と紺色の裁着袴(たっつけばかま)。カヤは緑色の小袖に小豆色(あずきいろ)道行(みちゆき)を纏い、枲垂衣(むしたれ)を付けた市女笠(いちめがさ)と、大社(おおやしろ)にいたときの恰好ではなく、しっかりとした旅装であった。

 出発前、弓削(ゆげ)は果たしてどこへ行ったのだろうと、二人で思案してみれば、それは容易に葦那言主(あしなことぬし)所縁(ゆかり)のある場所だと思い当たった。

 それを頼りに各地の(やしろ)を捜し歩いたのだが、目ぼしい情報を得られることはなく、そればかりか行く先々で妖祓(あやかしばら)いを懇願されるような状況だった。


「見つからないね」


 先ほどの豆をゲンタが嚥下(えんげ)したのを見計らい、カヤがもう何度目になるか分からない言葉をぼそりと零す。


「捜し続けるしかあるまい」


 ゲンタのこの返事も、常の挨拶の如し。

 それにしても、と彼は思う。

 二カ月ほど白葦(はくい)の島の西部を歩き回り、その目で見た現状は、卜部(うらべ)に属するゲンタにとって、胃が痛くなるようなものだった。

 妖の前に民はなす術がなく、ただ葦那言主(あしなことぬし)に祈るばかり。

 稀に、国司(くにつかさ)がこっそり抱えている陰陽方や、近くの野祓(のはら)い屋が退治してくれたなどという話もあったが、それはかなり幸運なもので、ほとんどが頼みにする者もおらず、中には野祓(のはら)い屋に頼んだはいいものの、前金を受け取ったきり、とんと姿を見かけなくなった、というものもあった。

 この原因を辿れば、すべての陰陽師を卜部(うらべ)官吏(かんり)としたことが原因である。

 (あやかし)が日常的に発生するこの国において、それを祓える者を独占することは、中央支配を盤石とするために必要なことではあったのだったのだろう。

 けれど、けれどだ。

 蒲原(かんばら)天元(てんげん)という男は、集めたきり、それを地方に配置していないのだ。

 (あやかし)の被害が出てから、各地の国司(くにつかさ)が都に派遣を要請するのでは、どう考えても遅すぎる。

 そのような後ろめたさもあり、ゲンタはカヤに悪いと思いながらも、妖祓いの話を全て引き受けていた。これも卜部の役割なのだと思い込んで。


「どうしたの?」


 カヤは市女笠(いちめがさ)(へり)を上げると、尼削ぎ頭を(かし)げながら、枲垂衣(むしたれ)の隙間からゲンタの顔を覗き見る。もっとも、薄雲越しの月光では、お互いの表情など見えていないだろうが。


「いや、なんでもない」

「そう」

「夜はまだ冷える。(ふもと)に戻るぞ」

「うん」


 手を取り合い、暗い月が照らす階段を二人は降りていく。

 ゲンタはその間にも、故郷の村と西部の村々の違いを考えていた。


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