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第二十一話 鳴

「掛けまくも(かしこ)き (よろず)祓戸(はらえど)の大神(たち) 諸々の禍事(まがごと)(つみ)(けがれ)有らんをば (はら)(たま)い清め(たま)えと(もう)す事を聞こし()せと (かしこ)(かしこ)(もう)す」


 透き通るような玲瓏(れいろう)とした声の後、佐々木図書(ずしょ)が矢を(つが)えずに引き絞った桃弓(ももゆみ)の弦を放つと、ビインという音とともに空気が凛と張りつめた。

 数瞬、(あやかし)が動きを止めたかと思えば、その次には霧散して宙に溶ける。


「祓え給い 清め給え (かむ)ながら守り給い (さきわ)え給え」


 図書が時間を置いて弓鳴(ゆみならし)を繰り返す横では、目を瞑り、九字(くじ)を切り続ける庵原(いはら)狐太郎(こたろう)がいた。

 たまに庵原が十、二十などと口にしているのは、恐らく撫祓(なではら)いが成功した数なのだろう。それが証拠に、庵原が数字を言うのは、彼らの近くにいる妖が霧散した少し後なのだ。

 これで万全のようにも思えるが、何事にも完全はない。たまに撫祓(なではら)いから漏れ、こちらに気付いた妖が喜び勇んで駆け寄ってくるが、特別力の強いものはおらず、左兵衛(さひょうえ)が黙々と桃剣を突き刺し、祓っていた。

 それを後方、擘浦(はくら)長元(ながもと)の脇で眺めていたカヤは、自分もそこに混ざりたいと、ウズウズと両の手を握り締めてはぶんぶんと振り回すのだが、剣術の心得もなく、声も出せぬお飾りの身で何をできることがあろうかと、失望もしていた。


 そのように玄武(げんぶ)城門からゆっくり歩きながら百ほどの妖を祓い、北辰大路(ほくしんおおじ)に妖の姿が見えなくなったところで、庵原は(まなこ)を開き、ふぅっと一つ息を吐いた。


「左兵衛、図書。ここからできることは終わった。進むぞ。小平、離れてついてこい」


 三者三様の返事が聞こえて、天球は大路を進む。七十人は横並びでも余裕があるであろうその通りも、今は人影がなく、終わらぬ(よい)赤昏(あかぐら)く染まるのみ。


 ――そう言えば、あれを失ったのもこんな宵の口だったと、庵原は口をぎゅっと引き結び、もう何年前かも忘れてしまったことを思い出した。

 都の小さな橋の辺りで、日が陰り始めた頃に何回か妖を目撃したと、そういう報告があったから調べてまいれと蒲原(かんばら)天元(てんげん)に言われ、庵原は薄暗くなり始める時間を狙っては、毎日、その橋を近くで見張っていた。しかし、幾日が過ぎても妖らしきものを見ることはなく、調査の最終日に家で待っていたのは、妻と小さな娘を食べる餓鬼だった。あのときも、太陽の残滓だけが空の端に踏みとどまる赤昏(あかぐら)い空だった。

 あれから庵原の生き方は変わったのかも知れない。卜部(うらべ)を辞し、自分が望むように生きることに決めたのだ。

 けれど、今にして庵原は思う。

 なぜ、魔除けの(まじな)いを施していた家に、餓鬼が入り込めたのか。果たして橋に妖がいると卜部に言ってきたのは、誰だったろう。

 武部(もののべ)の誰かだったのではないか。

 そうだ。

 武部の……確かあれは、弓削(ゆげ)家の者だった。

 だとすれば――


「庵原殿、来ますよ!」


 庵原の思考は、図書の緊張ほとばしる声で途切れた。

 見れば、いつの間にやら東に折れて白穂大路(はくすいおおじ)に入っていたようで、どしんと構えた大きな朱の鳥居と、巫覡部(きねべ)の結界に阻まれ、中に入れない妖たちが蠢いている様子が目に入った。

 その中の一部、一本角の鬼の一団が天球に気が付き、庵原が舌打ち一つ。


「左兵衛、前で踏ん張れ!」

「……任せろ」

「図書、葦の矢は使えそうか?」

「十五本!」

「上等だ。五本だけ使って、後は鳴弦(めいげん)に切り替えろ」

「承知」


 返事と同時、庵原と左兵衛は前に歩み、図書は矢筒から抜いた葦の矢を、寝かせた桃弓に三本番えて空に放つ。それの結末を確認することなく、再び葦の矢を二本番えて放った。

 それは綺麗な弧を描き、五体の鬼が次々と霧散する。

 向かってきているのは残り何体か。十であるのか、二十であるのか、あるいは四十はいるかも知れない。


「祓え給い 清め給え (かむ)ながら守り給い (さきわ)え給え」


 図書が弦を鳴らすも、形代が無ければ祓うには足りず、動きが鈍るばかり。

 けれど、それで良いのだ。

 大社(おおやしろ)に立て籠もる巫覡部(きねべ)も、ただ手をこまねいて結界の内側で怯えているだけの筈はない。事実、結界に群がる妖たちの動きは緩慢で、何らかの祓魔(ふつま)の法を行なっていることは明白であった。

 そこへ更に図書の祓いが加われば、弱きものは霧散し、強きものは動きが鈍くなる。

 そうなれば、あとは左兵衛と庵原をして、それを桃剣で斬れば良いだけだ。

 左兵衛は、達人とは呼べないものの熟達した動きで迫りくる鬼たちを次々と消滅させ、手が回らないものは、剣術に関しては素人同然の庵原が危なっかしく斬り伏せる。

 そうしながら、荷物持ちの小平も含めた四人は順調に大社に近づいていたのだが、結界に迫る妖の中に一際大きな鬼がいることに気が付き、前進を止めた。


「あれは……温羅(うら)だな。ちくしょう、誰かが冥府から連れ出しやがったんだ」


 身の丈八尺二寸を超える赤く大きな筋肉の塊が、大きな唸り声をあげ、癇癪を起こした(わらわ)のように両腕を結界に叩きつけていた。あの様子では長くはもたないと誰もが思うはずで、それが巫覡部が立て籠もらなければならない理由にもなっていた。


「庵原殿。あれは式神ですか?」


 図書が声を大きくして庵原に聞く。


「あれだけデカいと、ここからじゃあ分からないな。もっと近づければ気配も探れるんだが」

「まだ周りに黄泉戦(よもついくさ)がいる状況で、あれがこっちに来たらまずいですね」

「それはそうだが、お前の弓の腕なら大丈夫だと思うぞ」

反閇(へんばい)を試してみては?」

「あれはある程度近づかなければ届かねえ。俺を殺したいのか?」


 鈍重な鬼たちを(ほふ)りながら、早くも肩で息をしている庵原にどれほどのことが望めようか。不惑にして眼前に迫る鬼の選定にも迷うこの男に。


「それは残念」


 そう言いながら、まずは一射。

 葦の矢が温羅の背中にストンと突き刺さるも、それは消えもせず、ピクリともせず、結界を叩き続ける。

 二射、三射と続け、およそ五十五間は先にあろうかという(まと)に当てるが、やはり意に介した様子もない。

 が、突如そのむき出しの大きな右目で、音がしそうなほどに図書を睨んだ。


「ああ、これは小生、失敗してしまいましたかね」


 けれど、その声も涼やかに四射目を放つと、それは吸い込まれるように、見事、標的の右目を貫いた。

 ハラハラしながらそれを見ていた庵原の目には、更に温羅の頭上の形代が映る。


「左兵衛、下がれ! みんな、耳をふさいで目を瞑れ!」


 言われるがまま左兵衛が下がった正にそのとき、声が聞こえた。まだ大人になり切らぬ、滑らかな声が。


滅尽(めつじん)霹靂神(しらい)の法」


 直後、辺りには人を(しん)から震わせる凄まじい轟音と光が舞い、静寂に包まれた。

 やがて聞こえてくる下駄の音。

 恐る恐る目を開いた庵原の視線の先には、群青の童水干(わらわすいかん)を纏った童子が立っていた。


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