第二話 噤祝の儀
牛車に乗せられたカヤは、御簾から外を窺うこともせずに、都の大社までやってきた。
その社殿の横、背の低い板塀で視線が切られ、玉砂利が敷き詰められた一画で降ろされると、皆一斉にカヤに向かって両膝を地面に付けては、両の拳をその膝に当て、次々と頭を垂れたのだ。
何事かとカヤが戸惑っているところ、じきに塀の向こうから、大きな浮線綾文様のある白練平絹の直衣を纏い、冠を被った男が歩いてきた。口は他の男たちと同様、口覆いで隠れている。
カヤはそのときになってようやく気が付いた。皆々の口覆いに描かれている奇妙な紋様は、己の頬にあるものと同じなのだと。正確を期するならば、口覆いの紋様は、カヤの頬にあるものに加えて、その上で小鳥が羽ばたいているものではあるのだが。
さて、その男。顔に刻まれた無数の皺と、自身の直衣よりもくすんだ白い髪、長い眉毛からして還暦は越えているのだろう。
それが恭しく白髪頭を下げてはカヤに言うのだ。
「五十年ぶりによくぞお越し下さいました。白葦の民を代表してあなた様をお護りいたします故、どうか後のことはこの巫覡部正永にお任せ下さい」と。
お越し下さいましたも何も、牛車とは言え、罪人のように取り押さえられて連れてこられたのだ。いかに高貴な身分の装束を纏っているとはいえ、そのような言い草はないのではないかと、カヤの心はついささくれ立ってしまう。
「ゲンタを人質のようにしておいて、よくそんなことが言えるわね」
本当は目の前の老人を思い切り蹴り飛ばしてやりたかったのだが、今のカヤにはこれが精一杯なのだ。
「はて? ゲンタ。……おお、あの少年のことですな。あの少年のことならご安心召されよ。あれは別のところに預けてあります」
「無事なの?」
「ええ、ええ、無事ですとも。罪に問うこともないと、我がお約束いたしましょうぞ。然らば、いずれカヤ様にお目通りが適うこともありましょうや」
「それで、アタシはいったいどうしてここに連れてこられたのかしら? あなたのようなお公家様の知り合いなんて、誰もいないのだけど」
訳も分からぬまま都に来いと言われ、挙句の果てにゲンタを人質同然にされた理不尽に対する怒りもあった。同時に、果たしてこれから自分がどうなるのか、カヤは不安に埋め尽くされ、或いは気絶した方がましだとすら思っていたかもしれない。だから、カヤは一生懸命に背筋を伸ばし、胸を反らし、腰に手を当てて身分の高そうな老爺に対してしまうのだ。
「……それは巫女様に大変な失礼を働いてしまいました。深くお詫び申し上げます。お疲れでございましょうから、その話は拝殿で致しましょう。ささ、こちらへどうぞおいで下さい」
カヤには今の状況がどうにも理解できなかった。都に連れてこられたことはもちろんだが、貴人が乗るような牛車で運ばれたことも、立派な服を着た人物が自分に頭を下げることも。少し考えたところで、やはり選択肢などなく、案内されるままに拝殿に行くことしかできないのではあるが。
不慣れな玉砂利に足を取られながらも、冠から垂れる纓が揺れる様を眺めていると、じきに権現造の大きな建物が見えてきた。草履を脱ぎ、開け放たれた扉をくぐると、やはり中は外よりも薄暗く、今の季節の割にはひんやりとしていた。床は、黒漆が塗られているのだろう。沢山の火を鈍く反射している。
「さて、カヤ様。そのロウソクの中央にお座り下さい」
見れば、拝殿の中央よりやや奥には、繧繝縁の真四角の畳が置かれ、その四方には少し離れて燭台が置かれていた。薄暗い拝殿の中では灯火ばかりが浮いて見え、何やら現実ではない気配も漂う。
カヤは燭台を倒さぬよう慎重に進み、畳の上にストンと腰を下ろした。
巫覡部正永の目に彼女がどう映っているのか知れないが、彼は先ほどまでと同じように彼女に語る。
「カヤ様は既にご承知のことと存じますが、あなた様の左の頬に見える御シルシ。それは紛うことなく、この白葦に文明を齎した神が一柱、葦那言主様の御神紋にございます」
そのとき、カヤの周囲をぼそぼそと呟く声が駆け巡った。
怖気に周囲を見渡せば、口覆いを付けた男が全部で四人、薄ぼんやりとした暗がりの中で、カヤを囲むように立っている。
「葦船の御神紋が現れた者は葦那言主様の代弁者にして、言葉にて未来を編む巫女にございますれば、御言女様として、身命を賭し、お護りせねばならぬのです」
淡々と語る正永の声と、どこで息継ぎをしているのかも分からぬ呟きが、カヤに否応もなく流れ込み、それは濁流となって彼女の意識を塗り替えていく。
「御言女様をお護りすること、それ即ち、御身ばかりでなく、国や民の安寧をもお護りすることにございますれば、未来を編むあなた様の言葉を奪うこと、どうか、どうか平にご容赦願い奉る」
やがて、己の頭蓋にぼそぼそと流れていた声が止むと、カヤは魚のように口をぱくぱくとさせ、ときには喉を叩き、そうして一切の声が出ないことに絶望した。
「これにて噤祝の儀は終了にございます。……新しい御言女様のご誕生、まこと無極の喜びにて、改めて言祝ぎ奉りまする」
拝殿に入り込み、行き場を失った風が、静かにロウソクの炎を揺らしていた。




