第十九話 大火
「兄貴、兄貴! 草浜村は大変なことになっておりやした!」
小平は逗留している鶴屋の部屋に辿り着くなり、ぶつかるような勢いで庵原に駆け寄って、自身が見聞きしたことをぺらぺらと語り始めた。
草浜村が焼き討ちに遭い、壊滅していたこと、兎島は無事らしいこと、阿和村も焼き討ちに遭ったらしいこと、ゲンタの母親は、彼が連れ去られてからじきに役人が迎えに来て、どうやら都で暮らしているらしいこと、カヤの両親の所在が分からなかったこと、そして、焼き討ちをした役人の誰一人として、カヤの両親に御言女の所在を問わなかったこと。
想定していなかった事態に、「なぜ?」と疑問を呈した図書を除いて、一同は沈痛な面持ちで黙り込むばかりであった。
そんなとき、衾の向こうから鶴屋の主人の、愛想の良い落ち着いた声がした。
「天球の皆様、お殿様の遣いの方がいらっしゃいまして、戌の刻に全員で御殿まで顔を出すように、との仰せにございました」
「……分かった」
庵原が衾の向こうに返事をすれば、鶴屋を出るまでに発せられた言葉もそれだけで、案内の者もいない寒夜の道は、彼らにはいっそう寒いものだった。
* * *
「おうおう。お前ら随分と景気の悪い顔をしてるじゃあねえか」
御殿に着いて、擘浦長元の前に案内されると、姿を現した数瞬で威勢の良い声が飛んできた。
それをまずいとでも思ったのか、脇の古江政重が咳払いを一つしてから言う。
「先日、その方らの手の者が草浜村に行ったそうじゃが、当家でもあちらを調べているところ、詳しく聞かせて欲しいと思うて人を遣わせたのだ。聞かせてくれるかな?」
「へ……へい」
反射的に返事をした小平がこれはしまったと横目で庵原を見るも、物言わずに首を縦に振ったことから、小平は観念して、草浜村とその道中で見聞きしたことをしどろもどろになりながらも、どうにか最後まで話し切った。
「ふうん。そいつはどうにも胡散臭い話じゃねえか。爺もそう思うだろ?」
「は。辻褄の合わないこと故、何が起こっているのか慎重に見極めねばならぬことと存じます」
「だろうなあ。大体なんだって中央の奴らが今さら嬢ちゃんを探してるんだ? 武部や卜部あたりにはバレているだろうに。なあ、庵原の。お前もそう思うよな?」
「やはり一昨日の茶屋の一件、ご存知でしたか」
「ああ。いくら姿を誤魔化そうと、帝や蒲原の小倅などは、雰囲気が異質ですぐ分かる。しかも分かれば分かったで、危害が及ばないように影から危険を排除しなきゃならねえんだ。全く、七面倒なことこの上ねえ」
「日付として草浜村の件が先ですが、確かに柳門様の仰せの通りかと存じます」
「となると――、おっといけねえ、この話は後だ。実はお前らを呼びつけたのにはもう一つ、話があるんだ。爺、話してやってくれ」
「はは。まずは天球。草浜村の件、知らぬ情報が手に入った。礼を言う。じゃが、これから話す件はそれとは関係がないのだ」
「と、申しますと?」
「うむ。その様子だとやはりお主らも聞き及んでおらぬようじゃな。……いつどこから火が出たのかは分からぬが、都で大火があったようでな、もう丸一日以上、燃え広がっているようなのだ」
「それは何ともまた……」
いかに広大な都といえど、丸一日も燃え盛っていれば、どれほどの被害が出るか計り知れない。
「朝廷でも対処が難しいと悟ったのか、今朝ほど早馬で救援を要請してきての。大急ぎで都に出す軍を編成しておるところなのじゃよ」
「つまり、それに加われと、こう仰いますのか?」
「うむ」
「それにしても、軍を出すというのは些か大げさではありませぬか?」
疑問を溜めておけなくなったのか、図書が鋭く口を開くも、理由があってのことである。古江政重が動じることはない。
「図書殿の疑問も尤もだが、武部、卜部、巫覡部が揃っている都で、今も火が鎮まっていないのだ。用心しなければなるまいて」
「……得心いたしました。そうとなれば我らが同道するのも頷けます」
古江政重は「うむ」と頷き、庵原は「ふぅ」と一つ溜息を吐く。
「次にカヤ様」
言われたカヤは小さく体を震わせて、白髪の老爺を見遣った。
「今回の都行き、カヤ様にもご同行頂きたく存じます」
これにはカヤも天球の面々もぽかんとした。なぜ、未知の危険を警戒している場所に、彼女をわざわざ連れていくのか分からない。そもそも、大社を出たいと願ってこの擘浦まで逃れて来たのだ。都まで行けば、また連れ戻されてしまうのではないかと誰もが思う。だが、庵原だけは口を引き結んでいるから、その理由を理解しているのかも知れない。
「都の多くが焼失していることが予想されます。そうなれば、民は希望が持てず人心は乱れに乱れてしまうものなのです。そこに御言女様が再び来臨されたと、民に知れ渡ればどうなるでしょう。カヤ様には辛いお役目ともなりましょうが、ここは我ら擘浦家とともに都にご同行下さらぬか。巫覡部の追手が恐いのであれば、我らが陣中にいる限りは向こうも手出しはできませぬから、安全とも言えましょう。如何ですか?」
「……本当にそれだけですか?」
やや震えている声に、古江の視線は庵原に戻るが、それに答えたのは古江ではなく長元だった。
「それ以外にあるって言ったら、お前さん、いったいどうするつもりだね?」
沈黙。
普段の長元の目は、なるほどチョウゲンボウとはよく言ったもので、丸く愛嬌があり、彼の性質を隠しきれていない。だが、目の前にいる男はどうだ。この男は。これのどこがチョウゲンボウなどと言うのだ。まるで獲物を見つけた鷹のようではないか。
まったくこの国のお偉いさんという奴は、と庵原は心臓を握られたような気がしてたまらなかった。キョトンとしているカヤを除けば、恐らく皆同じ心地で、声を発することができないのだ。
しかし、その沈黙を破ったのもまた長元だった。
「おっと、こいつはすまねえな。別にお前さんたちを脅そうって話じゃねえんだ。それにお前さんたちが駄目だと言っても、嬢ちゃんが首を縦に振れば連れていくしな。で、どうだい、天球も嬢ちゃんも一緒に都に行ってくれるかい? もちろん褒美は出すし、嬢ちゃんの身の安全は保障するぜ。悪くないだろ?」
一転して柔和な顔を作った長元に、キョトンとしていたカヤは鼻息荒く首を縦に振り、庵原はたいそう疲れた表情で「畏まりましてございます」と頭を下げた。
そうして翌早朝には、擘浦軍とともに町を発った一行だったが、行軍二日目の最初の峠を越えるその頂で、彼らの目は赤々と光る空に釘付けになった。




