第十八話 草浜村
「……五十年前の赤気の変は存じているか?」
「もちろんです。空を赤い流れが何カ月も覆い、大飢饉で多くの村落が消えた。人心は大いに乱れて国内あまねく荒廃し、そして、一時収まりかけていた赤烏の攻勢までもが活発化したと」
「うん、その通りだよ。その原因が、当時の御言女が噤祝の儀を執り行なったにも関わらず、偶然発することができた恨み言が原因らしい。だとするならば、御言女になる娘には可哀想だが、口を噤ませた上で、葦那大社にて、何不自由のない生活を送らせるのも分からないではないかな」
唾をのむ音がいくつか聞こえたそのとき、店の外から「あ」とビックリしたような声が聞こえてきて、声の主はシロの傍らまですうっと音も少なに歩いてきた。
「ご歓談中のところまことに恐縮ですが、都までお戻りください。シロ様」
「おや。もう見つかってしまったのか。ははは」
道楽息子が店の者に連れ戻されにきたような何気ない会話だが、庵原はその群青の童水干を着た、年の頃十四ほどの茶筅髪の童子と目を合わさないようにし、左兵衛は頻りに周囲を気にし始めた。
「だけどねえ、拙者はまだこの方たちと話したいのだよ」
「お仕事が溜まりに溜まっておりますので、そういうわけにも参りませぬ」
渋るシロをさておき、童子がくるりと話し相手の面々を見渡せば、先ずは庵原を睨むように見て、次にカヤをじっと見る。
「さ、……御息女も帰りますぞ」
これには天球の面々が焦った。庵原は鯉のように口をパクパクし、何かを言おうとしているが言葉になっていない。左兵衛は刀を手元に手繰り寄せ、図書は周囲を見渡して何を詠えば良いのかと検討し始めているような目つきである。
けれどシロは言う。
「それはどこの者とも知れぬ娘御だ。捨ておけ」
「しかし……」
「くどい」
シロがピシャリと言い放てば、群青色の童子は不服そうにカヤを俯き睨むが、それ以上は追及せず、簡単な詫びの後、二人で颯爽と茶屋を後にした。
「なんだかどっと疲れたな……」
「そうですね……」
舌鼓を打っていたはずなのに、疲れた様子で鶴屋に帰った一行は、シロと童子の話になるかと思ったのだが、会話の口火を切ったのはカヤの懐紙だった。
「――カヤ。両親とそれからゲンタにも会いたいというのは、流石に」
懐紙を読んだ庵原が諦めさせようとするも、カヤは実に寂しそうに肩を落とし、その上、艶のある尼削ぎの黒髪から潤んだ上目を覗かせる。
そうなれば、庵原は困ったように頭を掻きまわし、葛藤し、唸るのだ。
「くぅぅぅ……。で、では、こうしよう。ゲンタは都にいるから難しい。だけど、草浜村にいる両親なら会うことも叶うかも知れない。まずは、小平を草浜村に行かせて両親にはこっち、擘浦まで来てもらう。……ゲンタと会うのは都の様子を探りつつ隙があったらで、どうだ?」
焦りを隠そうともせず、どうにか対応をひねり出した庵原に、初めカヤは不服そうに頬を膨らませていたが、やがて状況を飲み込めたのか、首を二度三度と一生懸命に縦に振った。
その瞳には喜びと哀しみの色が半々と言ったところで、庵原はやはり唸るのだが、そもそも擘浦長元の影響力のお陰でこうして何事もなくいられるのだ。上津から一歩でも出てしまえば、表立って活動していない小平ですら危険な目に遭うかも知れない。ぎりぎりの譲歩だった。
「そういうことだ。小平、頼まれてくれるな?」
「へ、へい。兄貴とカヤ様のためなら、あっしの命も惜しくはありません」
「お前が死んでしまうのは困るから、生きて帰ってくるんだぞ。……ところでカヤ。両親の名前と家の場所、それからゲンタの母親だったか。それを小平に教えてやってくれ。それがなければ探しようがないからな」
そうして小平は、翌日の朝には擘浦を発った。
目当ての草浜村は存外に近く、比良峰を越える必要はあるが、その後は老沼湖岸の平坦な道を半日も行けば辿り着くことができる。
小平は、巫覡部の役人に見咎められて、天球の一員であることがバレでもしたら、ただでは済むまいと怯えながら歩いた。だが、奇妙なことに草浜村に辿り着くまでに、一人の役人ともすれ違わないばかりか、目当ての村はなくなっていた。
いや、あるにはあるのだが、村としては存在していなかった。
そんな状況で、そんな惨状だったのだ。
その臭いにおもわず鼻を曲げた小平の視線の先では、かつて賑わっていた街道沿いの建物という建物すべてが炭になり、原形を保てず崩れ落ちていた。街道から見た限りでは住民の姿はなく、カヤの家を探す中でたまに見かける人影は、どうやら小平と同じ旅の者で、皆、足早に通り過ぎていく。
問題は、やはり役人らしき者の姿が一切見えないことだ。これほどの有様だというのに、検分をする者も、燃え尽きた建物を片付けようとする者も見当たらない。小平にもすぐに分かるくらい不可解な景色だった。
だが、今回の目的はカヤの両親を擘浦に招くことである。このような状況であれば、避難先としてよそへ移ることも不自然ではないとも小平は考えていたのだが、果たして街道から外れた田畑の周囲の家々も、その多くが無残に焼け落ちていた。
カヤからもらった紙片に記された建物もまた然り。
悄然として来た道を戻る小平だったが、それでもその目は比較的被害が少なかった家の前に佇む男をしっかり捉えていた。
「あたしゃ、ここいらを気ままに旅しているんですけどね、この村は一体全体どうしてこんなことになってしまったんでさ?」
「旅の……。どちらから来なさったので?」
「擘浦からで」
「そうですか。そうなると擘浦に逃げた者はいなかったのですな。ああ、この村がどうしてこうなってしまったのか、でしたな」
小平は初老の男をじっと見ながらコクリと頷く。
「……二日前か、三日前か。もう思い出したくもないんだが、東から役人どもがぞろぞろとやってきて、口々にオコトメはどこだ! と叫ぶんだ。オコトメなどというものは聞いたことがないから誰も答えられずにいると、その内に家々を巡って住民を無理矢理引き摺りだしては、また脅すようにオコトメを出せ! などと言って、しまいには方々に火を付け始めたんだ。まったくオコトメっていうのはなんだって言うんだろうねえ。あ、そうそう、ここから東に行くのなら気を付けるんだよ。兎島は何事もなかったけど、阿和村も同じように酷くやられたってえ話だからね」
「その役人はどこの役人だったので? 衣は何色で?」
「巫覡部の役人と名乗っていたよ。衣は……白だったなあ。だけど袴は黒かったし、烏帽子も前のような張ではなく平礼だった。前に村の娘を連れていったお役人のと似てたけど、少し違ったから覚えているよ。そう言えば、模様の描かれた口覆いもしていなかったなあ」
「村の娘……。そうだった。その村の娘の両親を探していましてね、どこに行ったのかご存知じゃありませんか?」
「さあ。娘を取られた後、あの二人も懸命に生きてたんだけど、この前からは見かけないねえ。無事だといいんだけど」
「では、その娘さんと仲が良かったという男の子のお母さんのことは?」
「おや。お前さん、この村に縁がある人だったんだね。でも、その人のことはよく知らないんだ。すまないね」
その後も運よく数人の村人を見つけて話を聞き、これはすぐに戻らねばなるまいと、小平は足を速めた。




