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長靴

「靴下がさ、濡れるのが嫌なんだよね」

 踏み締めた右足のスニーカーの中、少し力を込めた爪先がぐずぐずと音を立てた。梅雨の音。気が滅入るような、鬱陶しい音だ。

「それなら私みたいに長靴履けばいーじゃん」

 そう言って、隣を歩く風子はこれみよがしに片足を蹴り上げてみせる。

 真っ赤な、履き古した長靴。多分小学生の頃から履いているやつ。さすがに中学生にもなってそれはダサくない? それとも一周回って逆にオシャレなの? ――あ、ダメだ。足首辺りにワンポイントで入っているカエルのイラストが致命的にダサい。しかも目許の辺りが剥げていて微妙にホラー。

「……風子、いい加減その長靴買い換えれば?」

 ダサいしボロいし、とは口には出さないけど、とりあえず言ってみる。

 まぁ、答えは聞く前からわかってるんだけど。

「ううん。いいの、これで」

 そう答える風子の横顔は、傘の下に隠れてしまってよく見えない。けれど、わたしがどれだけ言っても、風子が新しい長靴を買うことはない。

 ばしゃん、と真っ赤な長靴が水溜りを蹴る。

 濡れたカエルのイラストは、なんだか泣いているみたいだった。


   *


 家に帰ると、母が靴箱の整理をしていた。

「ちょうど良かった。それ、古いからもう捨てようと思うんだけど」

 それ、と指差された先を見ると、真っ青な長靴が目に飛び込んでくる。

 綺麗な晴天のような青。足首の辺りには緑色のワンポイント。

 その瞬間、雨に打たれた水溜りのように、記憶に細波が立った。



「――カエルの長靴なんて、可愛くない」

 不貞腐れたように唇を尖らせていた小学生の風子。母親が買ってきた長靴が気に入らない、今日も学校でバカにされた、と雨が降るたびに目の端に涙を溜めていた。

 今となっては笑っちゃうくらい小さくて、子どもじみた悩みだ。でも、その時の風子はとても真剣に嘆いていた。

 その、梅雨空のようにぐじぐじと湿った顔を晴らしたくて、だからわたしは、全然ほしくもなかった長靴を親にねだって買ってもらったのかもしれない。

 カエルのイラストが描かれた、青い長靴。全然可愛くない、風子とのお揃い。

 それを初めて見た時、風子は目をまん丸に見開いて、それからひどく嬉しそうに笑った。

 それからは、雨の日でも風子はいつも楽しそうに笑っていたと思う。

 だからわたしは安心して、いつからか長靴を靴箱に仕舞い込んで、その存在を忘れた。



 風子のものとは対照的に小綺麗な長靴を眺め、わたしは思う。

 今日、傘の下の風子の顔は、笑っていただろうか。

 わからない。わからないけれど。

「――ねえ、それ捨ててもいいの?」

 母の声に、わたしは首を振った。

「ううん。捨てないで」

 明日もまた、雨が降ったら。

 その時は久し振りにこの長靴を履いて行こう。

 気が滅入るような雨の日だとしても。

隣を歩く傘の下、そこから晴れ間が覗いてくれればいいな、と、靴箱から青い長靴をそっと取り出して、わたしは思った。


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