第7話
さて、この妊娠出産騒動は想わぬ効果をもう一つ産んだ。
私としては、史実のようにデュ・バリー夫人と対立するつもりは無く、然るべく対応するつもりだったのだが、この妊娠出産騒動のために社交の集いに出ることは控えざるを得なかった。
そして、アデレード王女らにしても、件の生首事件のお陰で私を敬遠していた。
このために、私はデュ・バリー夫人とアデレード王女らの社交の集いの場での対立に、全く巻き込まれずに済んだのだ。
更に言えば、夫のルイ・オーギュストは私が産後から無事に回復すると、すぐに私を求める有様で。
お陰で私はすぐに妊娠する羽目になってしまった。
多産を寿ぐカトリックの信徒としては喜ぶべきことなのだろうが、20歳までに5人は私は子を産むことになるのでは、更に生涯で20人は子どもができるのではないだろうか、と2人めの懐妊を知った時に15歳の私は少し気が遠くなった。
史実と異なるとはいえ、全く夫がここまで元気とは思わなかった。
とはいえ、やるべきことはやらねばならない。
私は母のマリア・テレジアと月2回は手紙をやり取りする中で、第一次ポーランド分割の時期が近付いていることに気付いた。
母はポーランド分割に大反対しているが、兄のヨーゼフ2世は前向きらしい。
そして、後々の事、特にフランスの利益を考えるならば。
1771年5月、私が2人目を確実に懐妊したことを知って義祖父のルイ15世は上機嫌だった。
「今度は娘が欲しいな」
と義祖父は私に声を掛けてきたのを機に、私はお願い事をすることにした。
「陛下、孫としてお願いがあります。私の実母を援けて頂けませんか」
「何をしてほしいのだ」
「はい」
私はポーランドについての母の想い、自分の想いを切々と訴えた。
ポーランドにはオスマン帝国による第二次ウィーン攻囲の際に援軍として駆けつけてくれて、神聖ローマ帝国、オーストリアを救ってくれた恩義がある。
そのポーランドが、プロイセンとロシアによって分割されようとしている。
母マリア・テレジアはその恩義から反対しているが、兄のヨーゼフ2世はプロイセン王のフリードリヒ2世やロシア皇帝のエカチェリーナ2世に篭絡されて、オーストリアも分け前を貰えるのならば、とポーランド分割に参加することに前向きらしい。
「私も母と同じ想いです。第二次ウィーン攻囲の際にポーランド軍が駆けつけてくれねば、ウィーンはオスマン帝国の軍靴に踏みにじられていたでしょう。その恩義を忘れる訳にはいきません。更にポーランドはカトリックの国でもあります。フランスもカトリックの国、同じカトリックの国は助け合うべきです。それに」
私は敢えてそこで言葉を切った後で、小声でささやいた。
「ローマ教皇庁との関係も改善されるのでは」
「ほほう!中々聡い孫娘だ。確かにそういった観点もあるな」
義祖父は目を丸くしながら言った。
「しかし、それだけでは足りぬ。何せ今のフランスは戦争ができる状態ではない」
「いえ、戦争をしたくないのはフリードリヒ2世らも同じ筈。何しろ先年の戦争(七年戦争)で、何処の国も財政に余裕はありません。ポーランドの分割に反対するとフランスが音頭を取れば、母もそれに同調するでしょう。そうなれば、私の兄も沈黙せざるを得なくなり、フリードリヒ2世もポーランド分割を諦めるでしょう」
私は更に言葉を継いだ。
「ふむ」
「それにこれでポーランドに恩を着せれば、凶作になった際にポーランドから小麦等を輸入しやすくなります。プロイセンやロシアに小麦を頼る訳には行きません」
「うむ。確かに」
私の言葉は義祖父に徐々に確実に響き、義祖父は私の言葉に従って、ポーランド分割反対を諸国に訴えてくれた。
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