第47話
1809年6月、ロシア侵攻作戦は発動された。
私の予想通り、ロシア軍は決戦を回避して焦土作戦を展開した上での奥地への撤退を行った。
尤もロシア軍としても、それ以外の作戦をとりようが無かった。
私の事前工作によって、この世界ではオスマン帝国はフランスに好意的な中立を取っており、オスマン帝国との国境の兵力が減少した場合、オスマン帝国はロシア帝国に対して戦争を仕掛けようと準備をしている。
スウェーデンに至ってはフランスと同盟を締結しており、サンクトペテルブルクを陸から脅かそうとボナパルト将軍を司令官にした軍勢をフィンランドに送り込んでいる。
1809年6月の開戦時、ロシア軍は自発的に参戦を表明したコサック兵も併せて約100万人の大軍を擁してはいたが、それだけの大軍を一か所に集めると補給の問題が生じるし、国内の治安維持や広大な国境線を護る都合もあるので、約100万人の大軍を分散させざるを得なかった。
このためにこのロシア侵攻作戦が発動された際にスモレンスク方面に展開して、モスクワへの陸路侵攻に備えられるロシア軍の部隊は約20万人程に過ぎなかった。
一方、フランス軍を主力とするロシア侵攻作戦を発動する側は、スモレンスクからモスクワを目指す主力部隊だけでも約40万人に達しており、オスマン帝国の兵力も併せるのならば約150万人を呼号していた。
こうした状況にあっては、ポーランドとロシアの国境近くに展開しているロシア軍としては、焦土戦術を展開しつつ奥地へ撤退するしか作戦は無かった。
だが、そこにロシア軍にしてみれば思わぬ一撃が浴びせられた。
「何だか落ち着かないのだが」
「息子のアンリが艦隊を率いて傍で守ってくれています。安心して下さい」
私は夫を宥めながら想った。
確かに一部とはいえ、フランス陸軍がバルト海を進み、サンクトペテルブルグ近郊への強襲上陸作戦を展開するという事態は、夫のみならず、多くのフランス陸軍の軍人にしてみれば、余りにも想定していなかった事態で本当に落ち着かないだろう。
しかも国王自らの親征部隊が行うのだ。
スモレンスク方面では、王太子ルイが対英戦を戦い抜いた将帥と共に主力部隊を率いて、モスクワを目指している。
この状況にロシア軍の目が主に向いているところに、フランス陸軍の別動隊がスウェーデン軍と協力してサンクトペテルブルグを攻撃するのだ。
更に言えば、サンクトペテルブルグを占領した後は、サンクトペテルブルグのための守備隊を残した上で、モスクワ攻略を側面から行うことにもなっている。
流石にサンクトペテルブルグとモスクワを失陥したままで、ロシア帝国は何年も抗戦を続けることはできまい、というのが私の考えだ。
ロシア帝国側としては、フランス軍を主力とするロシア侵攻作戦は一撃離脱的な作戦であり、腰を据えてロシアを征服する作戦とは考えていないらしい。
だから、フランス軍等がロシアで冬営する等、ロシア帝国側は想像もしていないらしいのだ。
実際、ロシア帝国の領土の広大さを考えれば、約150万人の大軍をもってしても、1年程でロシア全土を征服するのは困難で、一撃離脱的な作戦を立てると通常は考えるだろう。
だからこそ、逆説的に私はロシア帝国を段階的に征服して、ロシア帝国を屈服させるための作戦を立案して実行しているのだ。
そのために私は他の参謀たちと智謀を振り絞って、物資等の準備を整えたのだ。
それに史実のナポレオンやヒトラーと異なって、私の方がサンクトペテルブルグやモスクワに近い位置からフランス軍等の進撃を開始できるという利点もある。
ともかくサンクトペテルブルグ攻略を図る。
フランス軍はバルト海を進軍した。
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