第45話
そんなことがプロイセンでは起きる一方で、私は着々と対ロシア戦の準備を進めることになった。
私としても、本音ではナポレオンもヒトラーも敗れた対ロシア(ソ連)戦争はしたくはないが。
そうは言っても、どれ程宥和的な講和条約をロシアとフランス等が結んでもポーランド問題等から何れはロシアとフランスは戦争になるとナポレオン戦争の史実の流れから考えられる以上は、私は最後通牒と言われても仕方のない講和条件をロシアに突き付けるしかなかった。
私がロシアに突き付けた講和条件は、次のようなものだった.
「今後、ロシア皇帝は「(東方)正教会の守護者」という称号を永遠に放棄して、ユダヤ教徒やイスラム教徒といった異教徒、及びカトリックや東方典礼カトリックといった異宗派の信徒をロシア帝国内では正教徒と完全に同等に処遇することを求める」
この講和条件は、皇帝を始めとするロシア帝国上層部に憤激をもたらし、戦争を選択させた。
さて、少なからずメタい話になるが、何故にこの講和条件が最後通牒となるのか、と21世紀の世界ならば思われると思う。
だが、19世紀のロシア帝国においては、こんな講和条件は非常識極まりない話で、最後通牒にも程がある講和条件という叫び声が上がる代物だった。
何しろポグロムという言葉が21世紀にまで遺っているように、19世紀どころか20世紀前半になってもロシア帝国、更にその後継国家といえるソ連においては、反ユダヤ主義から来る国家をバックとするユダヤ教徒への虐殺を含む計画的な迫害は恒常的に行われていた。
更に東方典礼カトリック教徒も異端のキリスト教を信じる面々が迫害されるのは当然だという小理屈から、ロシア帝国内ではユダヤ教徒と同様に虐殺を伴う迫害に晒されているといっても、あながち間違いではなかったのだ。
私はそういった事態が、21世紀から来た身であることから自分の正義感からまず許せなかった。
それにこの講和条件は、ロシア帝国との最終決戦を覚悟している私にしてみれば、まずロシア帝国が受諾し得ない講和条件であり、講和条件をロシア帝国側が蹴ったから戦争になったという周囲、同盟国や世論等への主張、言い訳ができ得る講和条件でもあった。
こうしたことから、私はロシア帝国にこのような講和条件を突きつけたのだ。
この講和条件が自国、フランスに返ってくるのではと言われそうだが。
その点に抜かりはない。
(この世界の)1793年のフランス王国憲法において、宗教、民族を理由とする差別的取り扱いは全面的に禁止されており、法の下の平等が実現しているからだ。
(実際問題としては、それぞれのフランス人個人の中では差別的意識が残っており、異教徒や異民族に対する差別的発言が19世紀初頭のこの頃のフランスでは完全に公言される有様だった。
私としてはそれを止めるべく奔走していたが、なかなか上手くいってはいなかった)
だから、表向きはロシア帝国に対して、フランス王国と同様に異教徒、異宗派の面々を平等に処遇すべきだという講和条件を突きつけることが出来たのだ。
ともかくフランスとロシアの講和は成らなかった。
そして、フランスを盟主とする同盟国の国々は共に対ロシア戦争への意思を固めつつあり、特に歴史的経緯からポーランドは積極的な態度を示していた。
こうしたことから、1809年春を期してフランスとその同盟国は、ロシア本土侵攻作戦の本格的な準備を1808年の内から始めることになった。
私はフランス王国参謀本部に積極的に赴き、ナポレオンやヒトラーの失敗といった未来知識も駆使した上で、対ロシア戦争における勝利を掴もうと参謀本部の面々と協議を重ねることになった。
更に付け加えれば、主人公の突き付けた講和条件は、ロシア帝国に対する内政干渉と言われても仕方のない講和条件でもあります。
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