第42話
ウィンチェスター近郊の戦いに大勝利を収めたフランス軍は、その勢いに乗じてロンドンに突入して、ロンドン占領を果たした。
この状況から、英王室はロンドンを脱出して、更に英本土からカナダへに移動することを決めた。
ウィンチェスター近郊で英軍主力が失われ、フランス軍が着々と占領地を広げつつある現在、英軍を速やかに再建することは不可能であり、英王室は英本土での抗戦を一旦は断念するしかないと判断した。
それは英国政府の判断にも合致し、英国政府首脳陣と英王室はカナダへ向かった。
だが、それは多くの英国民に英王室と現英国政府は自分達を見捨てた、という想いをさせた。
このために、英本土では急速にジャコバイトの復活を求める声が英国民の間で高まった。
更にジャコバイトの長であるカルロ・エマヌエーレ4世はカトリック信仰を取り止めて、イングランド国教会に改宗すると公式に宣言した。
これは私の隠れた進言からなされたことでもあった。
英本土(細かく言えば主にイングランド)の国民の間では、反カトリック感情が根強い。
だが、これは裏返せば、カトリック信仰からイングランド国教会に改宗するといえば、カルロ・エマヌエーレ4世に対する英国民の反感は薄れるということにもなる。
ユグノー戦争におけるアンリ4世のカトリックへの改宗が、アンリ4世のフランス統一を結果的にはもたらしたように、カルロ・エマヌエーレ4世のイングランド国教会への改宗はジャコバイトに対する英本土の国民の反感を更に軽減したのだ。
(勿論、私なりの隠れた理屈はある。
カトリックとイングランド国教会(更には聖公会)の最終的な統一を目指して、当面はフル・コミュニオン関係をカトリックとイングランド国教会の間で結ぶことを私は考えていた。
そのための一助として、カルロ・エマヌエーレ4世はイングランド国教会に改宗したのだ。
更に私の意図を(正式復活は未だになされてはいなかったが)イエズス会に伝えたこともあり、ローマ教皇庁はイエズス会の働きかけもあって、カルロ・エマヌエーレ4世の改宗を黙認してくれた)
こうしたことから、1807年のクリスマスには流石に間に合わなかったが、1808年春にはフランス陸軍の奮闘もあり、英本土のほとんどはカルロ・エマヌエーレ4世の統治を受け入れることになった。
この状況から、ロンドンにおいてカルロ・エマヌエーレ4世の正式な戴冠式は行われることになり、私は夫と共にこの戴冠式に参列することになった。
「お忙しい中、お越しいただき恐悦至極です」
「いえ、そこまで忙しくはありませんから」
カルロ・エマヌエーレ4世に対して、私は如才なくやり取りをした。
カルロ・エマヌエーレ4世は英国王チャールズ4世として戴冠することになったのだ。
(チャールズ3世は誰?という疑問の声が挙がりそうなので、メタいが補足すると。
英国王ジェームズ2世の孫、若僭王チャールズのことになる)
そして、私は夫と共にチャールズ4世の戴冠式に参列することが出来て、その一部始終を見届けることが出来た。
この時点で、本来の英国王の筈のジョージ3世はカナダに退去している。
更に私の働きかけにより、アメリカはカナダを自国のモノにしようと貪婪な欲望を徐々に露わにしつつもある。
そうした諸々の事から、ジョージ3世は史実よりも早く病魔に襲われつつあるらしい。
このままいけば、ジョージ3世は史実よりも早く崩御して、更に英王室はカナダから更にオーストラリアへと赴くことになるだろう。
私はチャールズ4世が明るい未来を徐々に掴みつつあることに心から満足すると共に、このまま行けば欧州はフランスの覇権に収まるとの確信を徐々に覚えた。
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