第39話
王太子ルイは半ば夢見心地の思いをしながら、英本土、イングランドの土地を踏みしめていた。
母の王妃マリー・アントワネットが、フランス陸軍を何としても速やかに英本土に上陸させないと対英戦は必敗の事態になると訴えて懸命に蒸気船建造等に奔走した結果、更に弟のアンリの提督としての奮闘もあってフランス陸軍は英本土上陸を果たすことが出来たのが。
まさか本当にフランス陸軍10個師団、約20万人が、英本土上陸を果たすことができる事態が起きるとは思わなかった。
1066年のノルマンコンクエスト以来、700年以上もの間ドーヴァー海峡の白い壁は英本土侵攻を阻む難攻不落の壁となっていた。
それこそ、スペインが無敵艦隊を英本土に向けた際にも英本土侵攻作戦は失敗した程なのだ。
当然のことながら、英仏百年戦争の際も、これまででフランスの最大の栄光の時と言えたルイ14世時代の際も、フランス陸軍が本格的に英本土に侵攻できた例は無かったのに。
自分達はそれを果たすことが出来た。
更に言えば、自分の指揮下にある将帥の能力等についてだが、自分としては全く疑問の余地がない優秀な人材が揃っており、英本土にフランス陸軍が上陸を果たせた以上、英本土征服はほぼ間違いないと自分としては断言できる程だ。
総参謀長のドゼーを始めとして、第1師団長のベルナドット、第2師団長のマルモン、第3師団長のダヴー、第4師団長のスールト、第5師団長のランヌ、第6師団長のネイ、第7師団長のオージュローに騎兵師団長のミュラーと師団長級の将軍に至っても本当に粒ぞろいだ。
後、自分としては他にコルシカ島出身のボナパルト将軍を、何らかの師団長として英本土上陸作戦に随行させたかった程だが、父の国王ルイ(16世)は何故か首を縦に振らず、ボナパルト将軍には故郷のコルシカ島防衛司令官の任に就いてもらうとして、そのような辞令を発令してしまった。
色々と周囲に事情を自分が聞いて回ったら、母のマリー・アントワネットがボナパルト将軍にはコルシカ島防衛の任に当たってもらうのが妥当だとして、父に働きかけた結果らしい。
確かにボナパルト将軍はコルシカ島出身で、故郷を愛する関係からコルシカ島防衛に熱心になると自分も想うが、どうにも閑職というイメージが自分には否めない。
尤も、例の件が未だに母の脳内では引き連られているのかもしれない、とも思う。
ボナパルト将軍は、自分の士官学校時代の知人、友人でそれなりどころではなく有能だった。
そして、自分の推挙でフランス革命に伴う戒厳下にあるパリで砲兵中隊の指揮官に抜擢されていた。
(尚、この時は抜擢されたと言っても大尉に過ぎなかった)
その際にロペスピエールらを首謀者とするジャコバン派のパリの大衆を中心とするデモ行進から暴動を起こす計画が実行された。
ボナパルト大尉(当時)は、これに対して大砲に葡萄弾を込めた上で、デモ参加者に砲撃を浴びせて暴動を阻止するという強硬措置を半ば独断で取ったのだ。
確かに結果的には正しい措置だったかもしれないが、大衆以外のブルジョワ層を中心とするパリ市民からもこの措置は流石にやり過ぎ、と批判される事態が起きるのは当然だった。
父はともかく、母はこの一件以来、ボナパルト将軍を忌避するようになった。
(だが、それ以外の理由からも母はボナパルト将軍を嫌っているような気が自分はどうもする)
そのために自分は懸命に庇ってボナパルト将軍を出世させているが、母の妨害からボナパルト将軍は閑職を転々としているのだ。
王太子ルイはそんなことを英本土上陸を果たしてから考えたが、それは僅かな間だった。
英陸軍がフランス軍撃退の為に向かって来たのだ。
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