第37話
さて、この頃の欧州情勢だが、フランス革命に伴う内政干渉戦争が無かったこと等から完全に二つの陣営に分かれていた。
フランスとオーストリアを中心として、それにポーランドやスペイン、ナポリ、スウェーデン等が加わった陣営と英国とプロイセン、ロシアを中心として、それにポルトガルやオランダ等が加わった陣営とに。
カトリック大同盟対反カトリック大同盟といえる二大陣営の対立が起きていた。
(厳密に言えば、カトリックのポルトガルが英国側に入っていたり、プロテスタントのスウェーデンがフランス側に入っていたりでそう厳格に分かれている訳では無く、大よそではある。
尚、スウェーデンがフランス側なのは、対プロイセン、ロシア関係から来るものだった。
また、こうした関係もあって私の息子や孫が、ナポリやスペインと縁戚関係を結ぶことになった)
私はジャコバイトを対英戦の理由とするために、サルディーニャ王国を完全に味方の陣営に引き込もうとしたが、本当にサルディーニャ王国は強かで苦労する羽目になった。
1804年頃のサルディーニャ王国は周辺情勢に鑑みて、一応はフランス側に入っていたが、そう積極的な味方という訳では無かったからだ。
それに歴史的にサルディーニャ(イタリア)王国は、本当に強かな外交を展開してきた国でもある。
サルディーニャ王国の初代国王のヴィットーリオ・アメデーオ2世は、スペイン継承戦争等に際してフランスとオーストリアの間を渡り歩いた末にサルディーニャ王国を建国したし。
サルディーニャ王国は、イタリア統一戦争でも周辺諸国と巧みな外交を展開した末にイタリア半島の住民の支持までも得てイタリア王国の建国を果たした。
更に二つの大戦でイタリアは戦勝国となり、ドイツから賠償(補償)金をせしめているほどだ。
唯一の誤算が、第二次世界大戦後にイタリアの王制が廃止されたことだろうが、それでも国民投票の結果は僅差と言えるもので、ローマ教皇庁が中立を宣言せず、イタリア王室に肩入れしていたら、絶対に王制は存続していただろう。
この時も、サルディーニャ王国も伝統の外交戦を展開してくれて、私としては英国王になれるのだし、それこそフランスとオーストリアが全面的に味方するのだから、別に構わないのではと思うのだが、中々ジャコバイトとして英国王位を請求することに、カルロ・エマヌエーレ4世は肯いてくれなかった。
しまいには、サルディーニャ王国だけで私、朕は充分だ、と欲の無いことまでもカルロ・エマヌエーレ4世は言ってくれた。
人間としてはこのように無欲なことを称賛すべきなのだろうが、それでは私が困る。
私がタレイランを外相に抜擢して、更に様々な手練手管を駆使した結果、ようやくカルロ・エマヌエーレ4世はジャコバイトとして英国の王位を請求すると言ってくれた。
これに対して、フランス海軍の軍艦の蒸気船化の方は遥かに順調に進んだ。
「リシュリュー」と「ジャン・バール」は実際に運航してみると、フルトンの基礎設計の良さやフランスが高圧蒸気機関の開発、量産化に史実より早期に成功していたこともあって、それこそ史実より10年は早い優秀な蒸気船になった。
(尤も時代的に外輪船なので、砲門数が減るのは止むを得なかった。
それに帆船と異なって蒸気船なので大型の蒸気機関を搭載する必要もある。
英仏海峡の制海権を握れればいい、と割り切って食料貯蔵庫等を思い切り圧縮し、兵員全員が寝れる寝床が無いような軍艦を整備することになった)
そして、「リシュリュー」と「ジャン・バール」を手本として20隻余りの蒸気機関を搭載した軍艦を1807年までにフランス海軍は建造、保有することが出来た。
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