第36話
ともかくフランス革命という荒業は、結果的に私達家族にも刃のように襲い掛かった。
史実のフランス革命と異なって、私と夫と子ども全員が(病死を除いて)フランス革命の嵐を生き延びることができたが、革命断行による様々な立憲議会との対立や大量の流血の惨事が相次いだ精神的重圧は、私にも耐え難かったし、夫に至っては尚更だった。
私達夫婦は一時は共依存関係と言われても仕方のない有様になって、お互いの体に溺れていた程だ。
そのためもあって、私は45歳になるまで子どもを産み続けることになり、危うく初曾孫より年下の子どもを私は産むところだった。
(この際、序に書いておくと結局、私は24回出産して1回が双子だったので、25人(男12人、女13人)もの母になった。
だが、成人できたのはその内15人(男6人、女9人)だけで、改めてこの世界というか、この時代の成人前での死亡率の高さを私自身が痛感することにもなった)
この世界の最終的なフランス革命の犠牲者数は、史実と異なり内政干渉のための外国軍の侵略戦争が無かったとはいえ、貴族を主とする反動主義者らが主に起こした国内の暴動等に対しては、私の指示もあって断固たる武力鎮圧を国家憲兵や陸軍が行ったこともあり、約20万名余りに達した。
私としては、国民によって平和裡に行われる請願やデモは認める余地があったというか、むしろ(内心では)歓迎しても良いものだったが、暴動や武装蜂起はどうにも認める余地はなかった。
そのためにフランス国内で起きた暴動や武装蜂起に対しては、断固たる処置を私は国家憲兵や陸軍に対して命じたのだが、こうしたことは必然的に猛烈な反発、攻撃を引き起こすのは当然の話だった。
そのためにやられたらやり返せではないが、反動主義者らの暴動や武装抵抗は私が抑圧すれば抑圧する程に反撃が激しくなるという悪循環を一時は引き起こしたのだ。
その結果が、フランス革命による20万名余りの犠牲者を出すという結果だった。
私としては、史実ではフランス大革命による死者は、内政干渉戦争による死者も含めてだが約100万名に達したことから考えれば、史実よりもフランス革命による死者、犠牲者が少なくて良かった、と喜ぶべきかもしれないが、実際に私の指示でそれだけの死者が出たという重みは私の心を痛めたのだ。
そうしたことから、一時、傷心の私は夫との性愛に溺れてしまい、夫も同様に現実逃避の想いから、私との性愛に溺れて、結果的に私は45歳まで子どもを産む事態になったという訳だった。
それでも革命後の平穏な歳月の流れと言うのは、徐々にだが人の心を癒していく。
私は徐々に心を癒していき、周囲も同様だった。
そして、フランス国内は徐々に宥和的な空気が漂うようになっていき、国王を中心とする新たな政治体制は徐々に国内に馴染んで、国内は再統一されたといってよい状況になった。
更に新たな蒸気機関を搭載した軍艦の量産化にフランスが終に成功したという事実があった。
私はこの状況から、いよいよ対英戦の時期が来たと判断した。
それでは対英戦の口実は何にするか。
私はジャコバイトを対英戦の口実とすることにした。
現在はヘンリー9世がジャコバイトとして英国王の継承権を表向きは主張しているが、ローマ教皇庁の枢機卿となられていることもあり、具体的なジャコバイトの活動はしていない。
それに私としても、枢機卿が英国王になるのはどうか、と躊躇ってしまう。
だが、ヘンリー9世は高齢で史実同様なら1807年に亡くなり、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世がジャコバイトとして英国王の継承権を主張することになる。
私はこれを活用することにしたのだ。
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