第31話
そして、フランス王国初の憲法制定だが混迷を極めることになった。
新たなフランスの体制については憲法を定めて立憲君主制に移行することは、王室と立憲議会の主な議員との間で早々に決まったのだが、その内容で大揉めに揉めたのだ。
人権はこの憲法で保障するとしても、それは神聖不可侵なのか、法律の範囲内なのかで立憲議会の議員同士でさえも対立が起こるのは当たり前だったし。
主権論にしても、皮肉なことに本来は21世紀人で一番開明的で国民主権主義者な筈の私が、国民主権論者によって自分(?)や夫が断頭台に送り込まれた史実から、ゴリゴリの王権神授説による君主主権論を主張しているのだから、本当に我ながら始末に負えない。
更にどのような統治機構にするか、となると議員それぞれの考えが出てもっと酷い甲論乙駁になった。
特にミラボーと私は激論を交わす羽目になり、史実通りにミラボーは1791年に亡くなったが、これは私との対立から来る心労から来たのでは、と私自身が内心で謝罪することになった。
結果的には最終的に憲法が施行されるのには1793年まで掛かり、多くの議員も私も疲れ果てることになった。
主権に関しては国家に帰属するということでお互いに妥協した。
その一方で、国王は神聖にして不可侵ということになった。
また、王位継承に関しては勅令で定められる(要するに議会は関与できない)ことになった。
人権については、身体的自由、精神的自由、経済的自由が憲法で保障される一方で、その多くに公共の福祉に反しない限り、という但し書きが付けられた。
また、法の下の平等が宣言され、貴族制度は存続するが、ほぼ爵位だけの名誉称号になった。
(もっとも、立憲議会が成立して速やかに人間に対してかけられていた領主裁判権等の貴族の封建制度に関しては無償で廃止はされていたのだが、土地に対してかけられていた年貢等の貴族の封建制度に関しては、財産権の問題が絡むので様々な紆余曲折を強いられることになった)
そして、私は20世紀の憲法における社会権のはしりといえる「この憲法における目的はフランス社会の共同の幸福である。公的な扶助は神聖な義務であり、フランス国家は国民の生活を保障する義務を負う」という一文を、1793年憲法とほぼ同様に入れることに成功して何とかホッとすることが出来た。
統治機構に関しては、立法、行政、司法の三権分立が定められ、世界で2番目の議院内閣制が採用されることになった。
何故に世界で2番目かというと、1791年5月3日にこの世界でもポーランドが成文憲法を制定し、その中で議院内閣制を定めたからだ。
そのためにフランスの(議会の信任に基づく)議院内閣制は、結果的に世界で2番目になって、私はポーランドの後塵を拝したことを内心で悔しがった。
ついでにこの際、(この世界の)ポーランドについて説明しておくと、第一次ポーランド分割を回避した後、オーストリアやフランスと攻守同盟をポーランドは締結しており、その外交関係もあって、ロシア帝国の干渉をポーランドは排除している。
そして、フランス軍やオーストリア軍の指導も相まって、史実と異なり強力な自国の軍隊をポーランドは整備しており、かつての東欧の強国の地位を徐々に取り戻しつつあった。
そして、議会について併せて説明すると。
制限選挙(とはいえ、直接税の納税額を基準とするもので、フランスの男性国民の約6割に投票権が認められていた)による議会と国王の指名により終身資格で選任された元老院との二院制議会がこの憲法で認められた。
この憲法案は国民投票の結果、憲法として認められて、ここにフランスは立憲君主制の国家になった。
色々とツッコミどころ満載ですが、できる限り緩く見てください。
最初は議会に関しては二院制で上院、下院にしていたのですが、民選議会を下院というのはどうか、という想いから、本文のような表記にしています。
また、違憲立法審査権とか、法律論に関してツッコミたい人は色々と質問があると思いますが、その辺りも感想欄で考えている限りは回答するつもりです。
(というか、弁護士とかではない私では、法律論でツッコまれては答えに窮する事態が多発します)
ご感想等をお待ちしています。




