第30話
尚、立憲議会で王室と多くの議員が最初に対立したのが何かというと。
談合等による価格操作を犯罪とする法律制定だった。
テュルゴーの改革によって、フランス国内の穀物取引は自由化されたのだが。
この当時、価格操作は犯罪という意識がフランスというか世界中の国に無かったので、談合等による穀物の価格操作が横行するという事態がフランスでは多発していた。
それに対処するために、私は当初は談合等による価格操作は犯罪という主張をしたのだが、夫以外はほぼ誰も耳を貸してくれない有様で、そのために国家が飢饉対策と称して穀物をある程度備蓄して、余りにも穀物価格が高騰したら放出するという弥縫策を取っていたのだが、この弥縫策はブルジョワ層から俺達の努力の儲けを減らすことだと極めて評判が悪かった一方で、大衆からは極めて評判が良いという事態を引き起こしていた。
(この当時のブルジョワ層のほとんどは、談合等の価格操作は自分達が利害調整を行ってやる、自己努力の結晶で何処が悪いのだ、国の価格介入は許されない、という論理を主張していた)
こうした中で、この当時のパリは全国三部会の開催という事態もあって大量の人が集まっており、それを見越して穀物価格が例によって穀物商人の談合により暴騰する事態が起きていた。
そのためにパリの市民、特に貧困層は激昂しつつあった。
私が戒厳を敷いたのは、これに対処するためもあったのだが、それではムチだけだ。
私はこれに対処するために、談合等の価格操作を犯罪とする懸案の法案を、国王の名で立憲議会に提出した。
これを知ったパリの貧困層の市民、大衆は即座に国王擁護に動いてくれた。
パリの大衆がバスチーユ牢獄を襲撃する代わりに、国王の提出した価格操作犯罪法を成立させろ、と喚きながら議場を遠巻きに取り囲む事態が起きたのだ。
尚、軍は非武装の大衆に銃は向けられない、と言って私の指示から静観している。
それでも、ブルジョワ出身を中心として議員の多くは、価格操作犯罪法の制定に抵抗したが。
価格操作犯罪法の採決は記名投票で行ってその結果を新聞等で報道する、と夫のルイ16世が言った瞬間に多くの議員が終に屈服した。
議場はパリの大衆が取り囲んでいる。
更に軍が動こうとしない中で、価格操作犯罪法の制定に反対投票をしては、文字通りに自分の命取りになる、激昂した大衆に襲われて殺されると観念したのだ。
そして、価格操作犯罪法には内部通報者の保護、免罪規定も設けることで、談合等をやる際の歯止めになるように配慮もしておいたことから、価格操作犯罪法によって、パリを始めとするフランス国内の談合等による価格のつり上げはこれ以降は徐々に収まった。
また、王室は大衆の味方だというイメージを、パリを中心として一度にフランス中の大衆に広めることにも成功した。
これによって軍と大衆という支持基盤が何とかできた、少なくとも当面の間は自分や家族の王室が断頭台に上がることは無い、と私はホッとした。
とはいえ、軍はともかく、大衆は気紛れだ。
もう一つ、私としては農地改革という手を打って、それによって大量の自作農を生み出して、王室の支持基盤にその自作農をする構想を持っていたが、それには手間暇をかける必要があった。
何しろ価格操作犯罪法を成立させた代償として、立憲議会の多くの議員が反王室に転じて、新憲法制定が混迷する事態が生じたからだ。
新憲法の主権者にしても、国民主権にするのか、王権神授説に基づく君主主権にするのか。
人権が保障されるにしても、その人権はどれがどこまでが入って、また認められるのか。
立法、行政、司法はどう分けられるべきかとか。
論点は多岐に亘っていた。
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