第27話
私がそれなりに革命遂行の下準備をするのにはある程度の時間が掛かったが、1789年に全国三部会が何とか招集されることになり、私はそれを革命の導火線にすることにした。
もっとも、それが革命の導火線になるのを知っているのは、私だけだ。
1614年以来の175年ぶりの全国三部会の招集ということで、それなりどころではない高揚、というだけでは済まない興奮がフランス国内では起きることになった。
これは私が夫に勧めたことだった。
最早、フランス国内で国民の憤懣はギリギリまで高まっている。
この際、全国三部会を招集して、その権威でこの憤懣を解消するしかない、と私は夫に進言して、夫は私の言葉を受け入れたのだ。
そして、第三身分の議員定数は(史実通りだが)600名となり、第一身分の300名、第二身分の300名の倍として全国三部会は招集された。
さて、何でここまでの事態が起きてしまったか、というと。
これまでに主に私の介入によって史実と違うことが色々と起こったが、それが全てフランスにとって光をもたらすばかりではなく、影ももたらしたからだ。
先年、テュルゴーは財務総監のまま亡くなり、取りあえずネッケルに財務総監を私は引き継がせたが、(この世界では)ネッケルは外国出身でプロテスタントということもあり、フランス国民の受けは極めて悪いことになった。
更にネッケルは、(私の意向もあり)財政経済政策についてテュルゴー路線を引き継いだが、テュルゴー路線は(既述の通り)そろそろ色々な面で行き詰りを見せつつあった。
そして、行き詰まりに気付いたネッケルは財政経済政策の変更、具体的には第二身分の貴族の免税特権の廃止等を行うべきだ、と私や夫に訴えて、そのために全国三部会は開催されることになったのだ。
(もっとも、だからこそ私はネッケルを財務総監にしたのも事実だった。
万が一の際の全国三部会でのスケープゴートにするのに、外国出身のネッケルは適材だったのだ)
そして、全国三部会は開かれたが。
全国三部会と呼ばれる以上、第一身分、第二身分、第三身分、それぞれで議決が行われるのが本来は当然である。
だから、第二身分の貴族も安心して全国三部会に出席してきた。
この時、ほぼ史実通りだが、第二身分の貴族は免税特権廃止等の反対でほぼ結束しており、第一身分は貴族出身の僧侶が多いことから免税特権等の廃止反対がやや多数派、第三身分のみが免税特権等の廃止賛成が絶対多数という状況だったからだ。
だから、身分別の採決を行う限り、貴族の免税特権等の廃止が全国三部会で通る訳がなかった。
だが、史実知識のある私は荒業を行った。
全国三部会は合同審議と個人別投票ということにしたのだ。
この瞬間に第二身分の議員の貴族達は、私の企みに気付いた。
この全国三部会で投票が行われる限り、第二身分の免税特権等の廃止は絶対に可決成立する。
第三身分の票が600票なのに対して、第一身分と第二身分の票を併せてやっと600票なのだ。
それに加えて第一身分はそれなりに第二身分の免税特権等の廃止賛成派がいるからだ。
第二身分の議員達は議場封鎖によって対抗しようとしたが、史実知識のある私にしてみれば、それこそ思う壺の行動だった。
史実と違ってヴェルサイユ宮殿ではなく、テュイルリー宮殿でのことにはなったが、「球戯場」に第一身分と第三身分の議員達、更に議場封鎖に賛同しなかった第二身分の少数派議員が集った。
「王国の憲法が制定され、強固な基盤の上に確立されるまでは、決して解散せず、四方の状況に応じていかなる場所でも会議を開くことを国王は認める」
その場においてルイ16世が宣言した。
フランス大革命が始まった。
終にフランス大革命が勃発します。
ご感想等をお待ちしています。




