第23話
さて、私が帰宅したというか戻った宮殿はテュイルリー宮殿だった。
言うまでもないことだが、私が王妃として即位したのはヴェルサイユ宮殿でのことで、当初は私達夫婦はヴェルサイユ宮殿に住んでいた。
しかし、このままヴェルサイユ宮殿に住んでいては、私がいくら努力してもフランス大革命が起こりそうな気がしてならず、私は夫のルイ16世を説き伏せてテュイルリー宮殿へと引っ越したのだ。
何でルーヴル美術館じゃなかったルーヴル宮殿でないのか、というと史実同様にこの頃のルーヴル宮殿は政府の官庁としても使われ、また一部の増改築が終わっていないという現実があったからだった。
私が帰宅すると長男のルイや次男のアンリ、又、長女のマリー・テレーズらが私を出迎えてくれた。
私は子どもを抱きしめながら想った。
この平和な日々が続けばいいのに。
だが、そう思いながらも、何故か心の片隅では冷めた想いが浮かんでならなかった。
結婚してから10年以上が経ち、私は気が付けば12人もの子を産んでいる。
でも、その内4人が夭折していて、この場にいるのは8人だけだ。
何故にこの頃では乳幼児の死亡率がこんなに高いのか。
21世紀ならば、私は子どもを失う嘆きをこんなにしなくて済んだのに。
もっとも、そんな想いを吹き飛ばすような書面が、テュイルリー宮殿に別途届いてもいた。
フランス軍参謀本部からの対英戦計画とその見通しが、夫のルイ16世宛に届いていたのだ。
だが、実際にそれを読んでいるのは私で、夫もそれを黙認していた。
夫の政治的軍事的才覚についてだが、私は結婚して暫く夫と話す内に、夫に冷たすぎると言われそうだが、失格の烙印を捺さざるを得なかった。
夫が善良な性格で、それこそ私が説けば節倹を受け入れてくれる等、家庭的な良い夫、男性なのは間違いない話で、その点に関しては私も認めていて、夫、男性としては心から愛している。
(そして、私が見る限り、私の身体に溺れている側面が無いとは言わないが、夫は私の身体以外に私の心をも愛してくれていると思っている)
しかし。
義祖父を始めとする周囲が主に悪かったのだろうが、まともな国王としての政治教育を夫は受けていないと、結婚後に政治的なことを夫と話してすぐに私は判断せざるを得なくなった。
様々な政治的、経済的、軍事的な感覚がどうにも鈍い一方で、周囲の意見、世論受けをまずは考えてしまう等の問題を夫は持っている。
それこそ、世論受けが悪くとも必要ならば悪評を被ってでも断行する、という決断が夫にはできない。
そして、その決断によって起きる周囲からの非難を、良い意味で厚顔無恥に受け流すことができない。
これでは一部の声が大きい側近の意見に結果的に夫は振り回されて、無定見な施策で却って状況を悪くする事態が多発しかねない、と私は考えざるを得なかった。
そうしたことから。
私は夫を政治的なことから遠ざけて事実上は押し込めるようなことをした。
それこそ、私の母マリア・テレジアが、私の父フランツを政治から遠ざけたようなものだ。
もっとも母の場合、母の方が女帝と言ってよい立場だったことを考えれば、私がやったことは本来的には許されない話かもしれないが、夫に政治を任せていては私が断頭台に上がることになりかねない以上、私としては当然の決断だった。
そして、私が体を任せた上で行った度重なる説得の果てに、夫は「そうせい王」と化してしまった。
やり過ぎたかな、と心から私は反省しているが。
だが、私がやり過ぎないとフランスが革命等の混乱を引き起こしてしまい。更には私や夫、子ども達が殺されかねない以上は仕方ない話なのだ、と半ば無理に私の心の中では割り切っていた。
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