第1話
「本当にマリア・アントニア様をフランスに嫁がせても大丈夫なのでしょうか」
腹心の宰相カウニッツ伯爵の言葉を聞いて、朕、マリア・テレジアは心の底から溜息を吐きながら言わざるを得なかった。
「私とて不安でなりません。しかし、マリア・アントニアしか未婚の娘は私には今やいないのです」
「確かにその通りなのですが」
朕、女帝マリア・テレジアの前で、宰相のカウニッツ伯爵は頭を垂れていた。
カウニッツ伯爵は内心で想わざるを得なかった。
マリア・アントニア様は余りにも母上である女帝に似すぎておられる。
男として産まれていれば、平時の君主としてならば神聖ローマ皇帝として辣腕を振るい、又、戦場の君主としては宿敵と言えるフリードリヒ2世でさえも凌ぐ将才を持っておられる気がするが。
問題はマリア・アントニア様は皇女であり、将来のフランス王妃になられる方であることなのだ。
何故にマリア・ヨーゼファ様が薨去されたのか、と死んだ皇女の歳を数えてしまう。
マリア・ヨーゼファ様が生きておられたら、このようなことにならなかったものを。
「フランス側からマリア・アントニアは王妃として相応しくない、と言って来たらそれは受け入れますが、こちらから熱心にフランス王家との縁組を推進した以上、いまさらマリア・アントニアをフランス王家に嫁がせる訳には行きませんなどとは言えません。これが私の最終意思です」
「分かりました」
朕、マリア・テレジアの言葉に、宰相のカウニッツ伯爵はこれ以上の言葉を諦めたようだった。
カウニッツ伯爵は内心で想った。
フランス側にもマリア・アントニア様を将来の王妃として迎え入れることに難色を示す勢力がかなりいるのだが、問題はフランス側も自分からはマリア・アントニア様を将来の王妃として迎え入れられない等、外交上の礼儀から今更言えない、と言うのが多数派のようだということだ。
本当にどちらかが自分の面子が潰れることを覚悟で、マリア・アントニアと(将来の)ルイ16世の婚約を破棄したい、と言えないのだろうか。
とはいえ、自分も女帝マリア・テレジアの意図を忖度して、マリア・アントニアの婚約破棄を強く主張できないでいる以上は同じ穴の狢か。
カウニッツ伯爵はそんな乾いた想いを抱きつつ、先日、駐仏大使から自分宛に届いた密書を読んだ時のことを改めて思い出した。
「マリア・アントニア様が、男勝りの戦女神の化身といってもよい性格なのを、フランス政府も熟知しているようです。更にマリア・アントニア様が、ルイ・オーギュスト(ルイ16世のこと)が初夜の際に男としての役目を果たせないのなら、白い結婚として即日離婚すると公言していることから、先日、ルイ・オーギュストは手術を受けたという噂が密やかに流れています。また、ルイ15世が、孫に何人もの女を世話しているとも。マリア・アントニア様に、孫が魅入られては敵わないとの考えからだとか」
駐仏大使の密書は、他にも色々と書かれていたが、主な内容は要約すれば上記のようなものだった。
本当にそこまでマリア・アントニアのことを知っているのなら、フランスから婚約破棄を申し出ても良い気がするが、そんなことをしたら、面子を潰されたと喚いて、マリア・アントニアがオーストリア軍を率いて、フランスに攻め入りかねない気さえしてくる。
たかが14歳の乙女の筈なのだが、ラシー将軍以下、オーストリア軍の将帥のほとんどがマリア・アントニアに心酔しており、私の面子が潰されたので、フランスを攻めます、とマリア・アントニアが言ったら、
「皇女様の仰せのままに」
とオーストリア軍がフランスに攻め込みそうだ。
本当にトンデモナイ皇女が育ったものだ。
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