第003話 残った弟子
前回のあらすじ
フラフラになって家に帰ると、真っ暗。でも一つだけ明かりが!
この世界での魔法使いは、魔法を極めると同時に術式の改良や発明が求められる。だから冒険をしない時は研究に励み、新たな魔法の発見を試みるのが常であった。
気力が戻ったキャフは、早足に研究棟へと向かう。キャフが手塩にかけて育てて来た弟子達だ。30人以上いたから、誰かがキャフの帰還を待っていたに違いない。
「おい、帰ったぞ!」
勢い良く扉を開け、一番弟子でお気に入りのグタフを探した。デカいから居れば直ぐ分かる。だがグタフどころか、キャフの声に返事するものは誰一人いなかった。
実験室は、机と天井まで届く棚で六つほどに仕切られている。だから直ぐには見渡せない。普段は魔法も使って明かりを灯したが、今はロウソクとランタンだけのようで薄暗かった。
入口から見えなくても、どこかにいるかも知れない。はやる気持ちを抑えられず、キャフは灯りが付くその実験室を片っ端から見て回った。
だが、もぬけの殻だった。
無造作に捨てられた道具やノート類が空しく見える。
荷物整理もせずに出て行ったらしい。
まるで、夜逃げだ。
キャフは焦燥にかられ、最後の仕切りを覗いた。
すると奥の隅に、こじんまりと座り寝息を立てている獣人がいた。
ゴトン ハッ!!
物音に気付き、目を覚ます。
「あ、師匠、おはようございますニャ」
「お、お前か……」
彼女は、ラドル。弟子入り二年目の猫娘である。
猫耳と尻尾の他は、人間と同じ見かけだ。
それはともかく、すこぶるデキが悪い。他の弟子からも、ここでやれるレベルじゃないと苦情が出ていた。魔法もようやく初歩ができるだけ、魔素も素人に毛が生えた程度の量だ。
だから弟子の中でも最下層に位置し、普段はキャフと話する機会すら無かった。
「他の者は?」
「み、みな去りましたニャ……」
気まずそうに、俯きながら言う。耳と尻尾も下に向いている。
「そう、か……」
キャフも肩を落とし、それ以上何も言わなかった。
(当たり前か)
さっきまで夢想していた再興が幻と消えた今、往時を偲ばせるこの部屋は不快なだけだ。今まで何とか防いでいた心の防波堤が、決壊して目から溢れそうになる。
「お前はどうすんだ? 確かに金も名誉も失ったオレなんかの所に居ても、出世できねえぞ?」
自虐的に言葉を吐く。どうせこいつも俺を見限るのだろうと、キャフは思った。
「師匠は良い人ニャ。まだ教えて欲しいニャン」
「……そ、そうか。あ、ありがとう……」
一番素っ気なくしていた弟子に、良い人と言われるとは。
思いがけない言葉に、感涙にむせるキャフである。
「師匠、どうしたニャ?」
「……見なくていい、黙ってろ」
出来の悪い子ほど可愛いと言うが、いないよりはマシのラドルが残ってくれた。
キャフは辛うじて、メンタルの完全決壊は避けられた。
しばらくして、キャフの心も落ち着く。
「おまえ、夕飯作れるか?」
とりあえずこんな時でも腹は減る。
「もちろん! これでも賄い係を任されて、夜食はお手のものだったニャ!」
ラドルは元気良く、隣の食堂棟へと走って行った。
キャフも、ノロノロと後から着いて行く。やがて食堂にたどり着くと、既に食欲を刺激する美味しそうな匂いが、厨房からしていた。ラドルにとって勝手知ったる場所のようで、魔法の術式を詠唱する時よりも、テキパキと機敏な動きをしている。
「お、またせニャ〜!!」
そう言ってラドルが持って来たのは、グロテスクな緑色で煮込まれた肉の塊だった。見かけは凄いが匂いは悪くない。猫らしく、あまり熱くないのも良い。
恐る恐る一口食べてみた。
するとキャフは、「うめーー!!」と大声で叫んだ。
予想以上に美味しい。
「お前,いい嫁さんになるぞ!!」
「えへ、照れるニャ〜」
頭をかいて尻尾をフリフリする、ラドルだ。
キャフは拘束時のまずい飯を忘れたいのか、ガツガツバクバクとむさぼり食う。
「はあー、食った食った」
すっかり平らげて、ご満悦のキャフだ。
最近嫌な事ばかりだったから、少し発散できた。
「さて、どうすっかな……」
「師匠、ここに飲み物があるニャよ?」
厨房から、ラドルは酒を持って来た。
「うーん……」
キャフは悩む。実はキャフは酒が苦手だ。
だが今日は、何もかも忘れたい気分である。
「じゃ、飲むか!」
「飲むニャ、飲むニャ!」
「あ、お前未成年じゃないのか?」
「獣人は十七歳なら、だいじょぶニャー!」
……
「しっかしあのヤロー、ひっく、ふざけんな! 何でオレが追放なんだ! ひっく……」
数十分後、いい具合に酔っ払ったキャフはラドルに向かってくだを巻き始める。会社帰りに新橋ガードレール下の居酒屋で飲む、サラリーマンのようだ。
顔は真っ赤で目が据わっており、しきりに髪をかきむしっている。
「だいたい、あいつらオレの石の使い方知らねえだろ! それでなんで不正って分かんだよ!」
「その通りニャー! 飲んで忘れるニャ!」
ラドルも酔っ払って同調する。
多分キャフの会話の中身は、分かってない。
「ヒック、あいつら、王立魔法学校出身だからな〜 学歴ばっか高いだけで、能力ねえクセに! 魔素がおれの半分でも賢者だとよ! んじゃけんじゃねーよ、バカヤロー!」
「そうだニャ! 私立の魔法学校でも、師匠みたいな魔導師は居るんだニャ〜!」
「おうよ! おめえ、良いこと言うな! あいつら、ホントムカつくんだ! 賢者になるには王立魔法学校卒業が必須ってな、ヒック、あいつら『きみ何期卒?』が口ぐせなんだぞ! 知らねーよ、そんなの!! やってられっか〜! こっちゃどうせ三流学校卒よ〜!!」
「おーニャー! 学歴なんか関係ないニャ! 私も五流学校卒ニャ!!」
「いや、お前はもっと頑張れよ!」
「しゅ〜ん ションボリ……」
酒の勢いで言ってしまったが、ラドルは傷ついたようだ。
キャフはその様子に、少し慌てる。
「すまん、すまん。お前も飲め飲め〜!」
唯一の味方だったことを忘れていた。
ここで去られては元も子もない。
「おーーニャ!!」
気を取り直したらしい。機嫌が直り、手酌でワインをついだ。
学歴は半ば公然の秘密であり、過去の賢者は全員が王都にある王立魔法学校卒である。
そして王立魔法学校に入れるのは、幼稚園から魔法の才能を認められた子女に限られていた。子より親が異常に熱心だから合格させる為の塾も多数乱立して、一大産業となっている。
キャフは遅咲きで、才能に目覚めたのは十歳の時である。
八歳で募集する王立魔法学校への入学は、故に無理であった。
やむを得ず私立魔法学校を卒業後、山奥で隠遁生活をしていた大聖人グラファの下を訪ねた。彼の下で過酷な修業をこなし、この地位まで来たのである。
「オレの師匠、三年前に死んじまったからなあ〜! ちっくしょー!!」
ドン、と拳を机に叩き付ける。グラスが一つ倒れて酒がこぼれ、ラドルは慌ててタオルで拭いた。
キャフみたいな遅咲きの例は度々見られ、学校の入学資格に関しても議論が起こる時があった。だが王立魔法学校の卒業生達は政財界にくまなく存在する。そのため改革は常に潰された。
だから新たな術式を次々に発表する有能なキャフは、彼等を脅かす存在と目されていた。『初の王立魔法学校卒ではない賢者が誕生か?』と、マスコミからもて囃されていた時もある。
キャフ本人も弟子を多数取って内外に精力的な活動を行う事で、賢者になる欲が少なからずあった。だが、好事魔多し。やはり出世争いでは伝統の力に一日の長があるのだ。
夜も更けたが、飲みまくる2人を邪魔するものはない。
厨房の冷蔵庫に置かれていた酒を飲み干すと、2人は地下のワインセラーに下りて行った。そこでありったけのワインを開け始める。今日はとことん飲むようだ。
腕もふらつくからまともにグラスに注げず、ワインはボトボト溢れ落ちる。
年季の入った高級ワインもあるが、2人は飲めれば何でも良かった。
「師匠、粗相ニャ〜! ウケるニャ!」
何がおかしいのか、ラドルは何でもケラケラ笑っている。
それに対し、「飲むぞー!」とキャフは挑むようにグラスに注いだワインをまた飲み干す。この繰り返しが何遍も行われ、やがていびきしか音がしなくなった。
翌日——
どうもワインセラーでそのまま寝たらしい。ようやく起きたキャフだが、まだクラクラする。悪臭がすると思ったら、寝ゲロしていた。アラフォーに近い齢でこれとは、情けない。
「あ、師匠、おはようございます」
ラドルは既に起きていたようで、スープを持って来た。
「お、すまんな」
キャフは、ありがたく頂戴する。
「ほら、師匠、ここ掃除するからどいて下さいニャ。体洗って来るニャ」
「あ、すまん」
甲斐甲斐しく世話をしてくれるラドルに、感謝するキャフであった。