第180話 決断
前回のあらすじ
魔導師キャフ、女王の涙に何もできない甲斐性なし。
翌日早朝、マドレーは女王の補佐官として議会に出席するためにレスタノイア城へと赴く。議会に出席しないキャフ達も、警護の役割も兼ねて登城した。講和会議後、広場で女王が演説の予定となっている。
「お前らも城内を探索してくれ。怪しい奴がいたら連絡するんだぞ」
「分かった」
「はい」
「はいですニャ」
「おう」
キアナも含め、4人が城内に散らばる。城にある議場入り口には議員達の馬車がひっきりなしにやって来て、その度に偉そうな態度の議員達が赤い絨毯を踏み締めて議場内へ入っていく。タージェ評議員長や、カジャーリー司令官、魔法協会会長リル皇子と魔導師ファドなどといったお馴染みの面々もいる。
開戦当初の議会参加者は少人数であったが、他にも必要だと言う声が上がり、参加者が続々と増えた。全員が入場すると議場の扉が閉められ、女王の挨拶で議会が始まった。
まだ講和使節到着の知らせはなく、先日決まった予算案の確認事項を官僚達が読み上げるだけの、退屈な時間が過ぎる。議員達も緊張感はなく居眠りする人もいた。
(相変わらずですね……)
久しぶりの参加のせいで、以前より弛んだ印象を受ける。
モドナを知るマドレーには、この平和な状況に違和感があった。
遠くからであったが、あの閃光と直後に轟いた爆音はまだマドレーの記憶に焼き付いていた。モドナが消滅と知らされても、現場を知らない議員達の議論は的外れで悠長に思える。こんな空気の中でクムールの講和使節団が何を提案するのか、マドレーは不安に感じていた。
小一時間ほど経ったろうか。議場の正面扉が開く。
「講和使節が到着いたしました!」
使いの兵士が発する声で会場はざわつき始める。議長を務めるカジャーリー司令官が「静粛に」と声をかけ、小槌を振り下ろし注意喚起をした。それでも声はやまない。議場正面の大きな扉はそのまま開かれ、両橋に兵士が控えている。やがて使節団が現れた。
(戦場では見なかった、顔ですね)
クムール皇帝の家族構成、臣下の情報は持ち合わせていない。諜報部門が無いアルジェオン王国は、圧倒的に敵国の情報が足りなかった。情報戦に弱いのは、ずっと戦争をせずに済んできたツケと言える。
扉から続く中央の広い通路を歩いてくる数人の講和使節団は、みな黒装束の質素な帝民服を着ている。中でも五十代と思われる先頭の男は威厳に満ち溢れ、一目で代表であると分かった。演壇の手前で止まり、奥にいるルーラ女王に恭しく敬礼する。ルーラ女王も軽く返礼する。
「お目にかかれて光栄であります。本日は皇帝ラインリッヒ三世の代理で外務大臣を務める、わたくし、カッツォレン公爵が皇帝陛下に代わり講和の使節として参りました」
「遠路はるばる、ご苦労様です。それではお話を伺いましょう」
ルーラ女王に一礼するとカッツォレン公爵は演壇に上がり、手紙を広げ話を始めた。議員達も無駄話を止め、緊張した空気になる。
「……『二千年の伝統と歴史を持つクムール帝国は、ここに至り、アルジェオン王国へ講和を提案する。条件は、一つ。チグリット河上流の中洲にあるハグータ島を『友好の島』として共同開発を望む。他には何も要求しない。
これ以上お互いの民を疲弊させ、両国に不幸な歴史を繰り返すのを終わりにしたい。良き返答が得られることを期待する。
皇帝ラインリッヒ三世』
このように、皇帝ラインリッヒ三世の署名入りです」
そう言ってカッツォレン公爵は壇上で手紙を広げ、女王や議員達に見せた。
「ありがとうございました、カッツォレン公爵殿。今から会議を始めます。申し訳ありませんが、結論が出るまで別室にて待機をお願いします。終わりましたらお呼びいたします」
「お気遣いありがとうございます、ルーラ女王陛下。それでは吉報をお待ちしております」
そう言って、使節団は退場した。
彼らの退場後、議員達は思い思いに喋り始めた。
「『友好の島』か。もともと使ってなかったんだろ?」
「悪くないんじゃないか? 大して重要な島じゃないし」
あちこちから議員達の話し声が聞こえる。議会の空気は、これで戦争が終わるならと講和条件を受諾する方向に意見が纏まりつつあった。見たことのない島一つで終わるのであれば、願ったり叶ったりという風だ。だがアルジェオン王国ではケモン島と呼ばれるその島はアルジェオン側に非常に近い大きな島で、彼らの目的は明白である。
(これはマズいですね……)
この中で1人マドレーだけ意図を理解し、危機感を持っていた。少しでも譲歩すれば、なし崩しに次が来る。こんなどうでも良い講和で、終わる訳が無い。だが争い事が苦手で無責任の輩であれば、想像ができないのも当然の流れと言えた。このままではクムールの思うがままだ。
「それでは、採決をとります……」
とカジャーリー司令官が言い始めた時、マドレーは勝手に演壇に上り話を始めた。
「皆様、一つだけ。あなた達が思うほどこの決断は簡単ではありません。この採決がアルジェオン王国の今後百年、いや一生を決めることになるのです。ここで勇気を持たねば後々の子孫に軽蔑されますよ。くれぐれも良く考えてください」
本当は、「お前ら全員バカなんですか?」と言いたいところだったがグッと堪え、できる限り抑えて喋る。議員達はマドレーの熱弁を前にして、沈黙した。カジャーリー司令官がマドレーに演壇から下がるよう促し、投票が始まる。
……
ゾロゾロと議場から議員達が退出してきた。
キャフ達も議場近くに集まる。
「異常はなかったか」
「ああ」
「大丈夫でしたニャ」
取り越し苦労だったらしい。だが、それぐらいが丁度いいだろう。
ルーラ女王は別経路で戻るので、直接に話できる機会は無かった。
女王の代わりなのか、マドレーがキャフ達のもとにやって来た。
「講和案は、ギリギリで否決されました」
「そうか。勝てると良いのだが」
予想したものの、これからの展望がどうなるかキャフは不安であった。
* * *
午後、広場で女王の演説が行われる。キャフ達も壇上に同席した。隣席する使節団は既に結論を知らされたようで、憮然とした表情だ。群衆は以前より少ないものの、広場を埋め尽くすぐらいは集まっている。
「皆様、本日は集まってくださり、ありがとうございます」
女王が前に出て、演説が始まる。
「もう一年以上続くクムール帝国との戦争ですが、とても悲しい報告をせねばなりません。敵の新兵器によって、モドナの街が壊滅的な打撃を受けました」
広場から、ざわめきが起こる。
「やっぱり……」「そうだったか……」と言う声が、あちこちから聞こえた。
モドナに知り合いがいる人も多いだろうし、噂では聞いていたのだろう。
だが女王から発せられたとなると、意味合いが変わる。
「……正式な発表がここまで遅れて申し訳ありません。現在モドナはアルジェオン軍の手で、復旧作業に勤しんでおります。そして今日、クムールから、講和の使節団がここに来られました。議論を尽くしたのですが、講和の受諾は時期尚早、との結論に至りました。今は敵ですが敬意を表し、丁重なおもてなしの後に、帰国して頂く予定です……え?」
その時だった。女王は、上空に何かがいることに気づく。
更に誰かが後ろを向いて、驚きの声をあげる。そのざわめきは群衆に伝わり、人々はルーラ女王のいる壇上ではなく、アトンの方角の空を見始めていた。
そして、その点はイデュワに近づき、実体を現す。
雲じゃない。とても大きな飛行物体だ。
「な、何だあれ?」
「でかいぞ!!」
「すげえ!!」
人々は騒ぎ始め、ザワザワする。位置的に、まだイデュワまで来ていない。それでもよく見えるシルエットは、実物がどれほど巨大であるかを知らしめていた。
「……あ、あれが《雷の方舟》、ですか?」
恐怖を伴った女王の声は動揺し、やや震えていた。
「いかにも。我が国の最終兵器です。ぜひ皆様にもご覧いただきたく、馳せ参じました。我々次第でこちらまで来ることも可能です」
カッツォレン公爵は、意地悪い顔で返答する。姑息な手段だ。
だが民衆を恐怖に陥れるには、十分な効果があった。悲鳴が上がり、動揺が走る。広場から逃げ出す人々もいた。まだアトンの上空であるが、イデュワに来て《小さな太陽》を落とされたらひとたまりも無い。
「くそっ。これが狙いか」
「さすがクムール、カードの見せ方がうまいですね」
「ちょっと行ってくる」
「いや、キャフ少将、お待ちください」
壇上のキャフは浮遊魔法を使おうとするも、マドレーに止められる。
「無駄ですよ。あの距離ですから、また《小さな太陽》を落とされたら、どうするんですか?」
「そ、そうだな……」
マドレーに制止されキャフは思いとどまる。やりきれないがあの爆発を知っているので、下手に刺激すると危険だとは理解していた。
一方、ここからでもよく見える禍々しい姿に、ルーラは恐怖する。
(あれが、モドナを……)
あの舟でモドナは甚大な被害を受けたと言う。仕組みは分からないが、あの舟一隻でイデュワを消せるらしい。長い年月をかけて築き上げてきたこの街を、そして今ここに集まる民達を、同じ目にあわす訳にはいかない。
ルーラ女王は、上空に浮かぶ悪魔を思い詰めた表情でしばらく見ていた。
そして、決心して口を開く。
「……分かりました。講和条件を受託いたします」
「おいぃい!!」
「ルーラ様!!」
予想外の展開に、キャフとマドレーは驚く。
「……やはり、民あっての国です。これ以上の不安に晒すわけにはいきません」
今まで無表情であったカッツォレン公爵は一転して喜色満面の笑みを浮かべ、「それでは、署名式に移りましょう」と促す。
ルーラ女王は糸が切れた人形のように言われるがままに従い、侍女達に付き添われながら壇上を降りる。キャフ達は追いかけようにも、警護兵の護衛が厳しくできなかった。
恐怖に駆られた群衆達も、あっという間に広場から消えていく。
キャフ達はその寂しげな風景の中に取り残され、後片付けを始める。
「これで戦争終わりなのかニャ?」
「建前上は、そうなるな……」
「じゃあ私達も、除隊して良いんでしょうか?」
「ああ、タバコくれたら、帰って良いぜ」
「ひど〜い」
軽口を叩きながらも、このような形で終わる戦争にみな困惑している。
だが一人だけ、キャフは違うことを考えていた。
「思い出した。あいつの言っていた意味を」
突然、キャフが何か閃いたようであった。
「なんだ?」
側にいた、フィカが聞く。
「《世界樹》だ」




